話は1941年真珠湾に戻る、
舞台は北京

日本軍がアメリカ領土の
ハーバード燕京大学学園を占領、

ハーバード燕京研究所と大学の両者共に
稼動ができなくなり、日本軍部のおえらさんが
鳥居龍蔵を訪ね、米国のハーバード燕京研究所を
日本の「綜合研究所」に名前を変え
龍蔵にその所長になるよう頼んできたのを、
龍蔵がきっぱり断ったため、

収入源がなくなり、米国側責任者スチュアードさんが
日本軍に投獄され、それどころではない!

そこで、日本企業で事務手伝い、英語翻訳で
次女のみどりは働いた、家計維持のため

そのやさしく、大まじめな性格は
皆に好かれ、信用され、
まして、幼少時常にそろばん1位をとっていたため、
数字にも明るい、で
経理もまかされた・・・

どんなお仕事でも、指示をよく聞き、
きちんとこなして、働き者の「事務員」だった、
まして、大変美しいため、
マドンナ的存在でもあった、

皆に可愛いがられ、貧しいながら
幸せな「会社員」だった?

そんなある日の朝、
みどりが会社にたどりついたら、
上司が大変真剣な顔をして待っていた・・・

なにかな~? と不思議に思ったみどりに、
「鳥居さん!・・・」と上司はただごとでない口調で
「会社全員のお給料が、
全部デスクの上にあった!・・・」

優しい上司はそれ以上言わなかった、
怒ったり、しかったりもなかった・・・

みどりは、それらは大事な大事なお金で、
皆の生活源であったことを知りながら、
お金になんとなく無頓着で
デスクに置いたまま、帰宅したのだ!

これは、もう「血筋」「遺伝」としか
いえないかも?

あの「偉大なる龍蔵」ですら
腰に縛ってあった調査旅行の全経費を
きいれいさっぱい忘れたのと
共通していると思いませんか?

その親があってその子あり、なのだ!

金銭に執着のない龍蔵だから、
学問的には大成した?

金銭にも執着があったら、
もっと・・・?
もしかしたら、大学者の龍蔵ではなく、
全く別人格の大事業家龍蔵かも?

あざらしの僕には、もうわからない!

龍蔵・きみ子夫人にほれ込んだ僕は、
金銭管理できない、蓄財できない点だけ
お二人と共通なのだ!

喜ぶべきか?悩むべきか?
ゲッセラセラ、ゲッセラセラ・・・


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本当にありがとうございます!

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武蔵野文化協会11月例会は
国際基督教大学、
数少ない外資系大学
アメリカが戦後設立したもの

これと対照的に
早く1920年代
ドイツ系専門学校の上智は

全ての手続きから交渉は
全て人類学者鳥居龍蔵が
自ら文部省に直接行い
当時ドイツ系専門学校上智のため、

外資系大学が「ゼロ」の当時
鳥居龍蔵が全て代行し
その社会的地位・名声・信頼度
によって、日本全国初めての
外資系大学に昇格させた、

と同時に、龍蔵は
上智大学人類学部初代部長に就任、

当時の日本は、
外資系大学を認めておらず
当時は鳥居龍蔵の地位名声と信頼度
によって、日本初の
外資系大学上智が誕生した。

当時の歴史的背景からして、
龍蔵なくして、大学上智はありえない。

専門学校のまま戦後を迎えると
ドイツは立場上(2次大戦敗戦国)
大学昇格はむりでは?

極端の話、龍蔵なくして上智大はない?

戦後、アメリカは国際基督教大学を設立
これと並べて敗戦国ドイツ系専門学校上智
の大学昇格は難しいであろう!

しかし、上智大の大学歴史では、(例えば、そのホームページ)
この重大歴史的真実を公表せず
・・・これは大きな歴史的欺瞞では?

龍蔵の活躍により上智が大学昇格
この事実に一言も言及しておらず

「布教的功績」だけがつづられる
しかし、布教は大学昇格につながらない、

龍蔵の活躍は、上智の大学昇格の
決定的要素。
「上智専門学校」から「上智大学」の「転換点」は
ここにある。

この決定的要素抜きに記すのは
「上智専門学校」の歴史にすぎない。

龍蔵の活躍を隠すその動機・必要性はどこにある?
上智が大学になった歴史的真実、
それは鳥居龍蔵による
日独文化交流と友情の印である。

この事実は大いに謳歌すべきことで
隠す必要はどこにも見当たらないはず。

11月例会は国際キリスト大学、
対照的に上智のことを思い
よってこの疑問を提示しました。

今も夏が続いている?暑い!

空高く、さわやかな秋が待ち遠しい?
そんな時、武蔵野文化協会から、
10月例会のお知らせで~す!
秋の一日、歴史を身近に、散策してみませんか?

以下、お知らせです:
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      文京区小石川に近代化遺産を探る

10月例会は、文京区小石川地域に残る明治から大正期の主に教育・医学・文学の近代化遺産を訪ねます。重要文化財の「銅御殿」は、通常は非公開の近代和風建築です。

今回は特別公開の施設です。この機会にぜひご参加ください。

日 時 平成271017()12時集合(雨天決行)

集 合  メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」改札口前

ご案内 中家 健氏(都立小石川中等教育学校主幹教諭・本会常任理事)

会 費  1700円(入館料・資料代等)

定 員  25名(先着順、氏名・連絡先を明記)

申込み 葉書・FAX・メール・電話で下記の事務局へ(但し、電話は不在の場合が多い)

〆 切  9月20日()但し、定員成り次第〆切ります

コース 茗荷谷駅--拓殖大学(明治33年設立台湾協会学校が前身、設立者桂太郎)--お茶の水女子大学(東京女子高等師範学校が前身、本館は登録有形文化財}--教育の森公園{筑波大学の前身、東京高等師範学校・東京教育大学所在地)--銅御殿(千葉県夷隅郡の山林王と称された実業家で衆議院議員磯野敬邸宅)--石川啄木終焉地--播磨坂桜並木(関東大震災後に計画された環状3号線の一部)--共同印刷(徳永直「太陽のない街」共同印刷争議の舞台)--念速寺(特志解剖第一号美幾女の墓)--小石川植物園(館林藩主時代の徳川綱吉邸小石川薬園、小石川養生所、甘藷試作跡)--東京大学総合博物館分館(東大医学部の前身、東京医学校本館、重要文化財)--占春園(陸奥守山藩松平家上屋敷跡、東京教育大学演習園)--茗荷谷駅(解散4時頃)

その他 ・昼食は済ましてご参加下さい。



電話・FAX 048-775-6918 (加藤方)

メール   kt-isao@jcom.home.ne.jp                 

次 回 11月例会は、1113 ()三鷹市国際基督教大学博物館の展覧会と泰山荘見学会(予定)  

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※武蔵野文化協会 とは
  鳥居龍蔵創設「武蔵野会」は
  戦後「武蔵野文化協会」という名前で
  活躍し続けている。
  「学問は皆のもの」という鳥居龍蔵の信念に
  基づき、武蔵野の歴史、東京の歴史などなど
  幅広く学問と大衆一体の活動を。



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1930年代、夢のアメリカ
そこでの幸せな日々・・・

その中で、こころが重く・悲しく思ったことが
ただひとつ?あった:

それは、地下鉄に乗った時
黒人には「専用車両」があった、

当時、黒人は白人と同じ車両に乗れなかった
彼らは、その専用車両にしかいられない

理由を聞くと、なにか
黒人が持っている「お弁当」に
にんにく?は入っており、
その匂いが強い、とか?

乗っている黒人たちは
なんか さえない顔をしていた、

なによりも、そのうるるとした
大きな黒い目は、
とても悲しげだった!

こういう場面に出くわすみどりが、
白人の車両に乗りながら
彼らの悲しい目を直視できない気がした、

夢のアメリカで見た人種差別の現実、
それはみどりのこころを痛めた、

日米開戦後、日系を含む有色人種は
戦闘の一番危険な最前線に
繰りたてられたなどのことも、
お嬢で世間知らずのみどろにとって
大変ショッキングなできごとだった!

夢のアメリカに見る幻滅的?な一面だった!
若く芸術家肌のみどり、どきどきしながら、
アメリカの表も裏も、大変敏感に正確に
捉えていたのだ!

幸いにも、みどり自身は アメリカで
何ひとつ不幸せなことに出くわさなかった、

逆に、「花や蝶や」?と周囲から可愛がられ
若く美しい、才能豊かな日本人として

全米?絵画コンクールにトップ入賞したり
輝かしい人生航路もあったようだが・・・

しかし、親孝行親思いのみどりは
自分よりも父親龍蔵の仕事の補佐が
自らの「使命」と思い、
常に「龍蔵丸」優先でした・・・

龍蔵業績全般をみると
きみ子夫人・龍次郎同行以外

その海外調査の絵画・英文助手は
太平洋戦争まで、
と戦後中国国内調査

これらは全てみどり一人が
その美しく正確な画筆で描いたもの

これは、別の「家族」助手が
国内調査での幼稚園児なみの
ものとは、天地のレベル違い!

だからこそ、この世界に
「オンリーワン」「ナンバーワン」の
東陵壁画模写という「名画」を
残せたのであります!

このように、又とない助手みどりを
アメリカから呼び寄せたのは
ハーバード燕京研究所で仕事スタート時、

同年(1939年)みどりが
世界で飛行機が就航間もない
そのような飛行機で
ニューヨークから北京に飛んだ!

アメリカ人たちから大変高評なみどり、
彼女を後追い龍蔵宅に届いたのは
山ほどの、アメリカからの手紙など

そのうち、一番多かったのは、
みどりへの「ラブレター」だった
そのもてもてぶりはすごかったそうだ!

そのラブレターの山を見る龍蔵の目は
とても悲しげで寂しそうだった!

「世界の鳥居龍蔵」というよりも
一人の娘思いの「凡庸な」父親であったそうだ!

その様子を見たきみ子夫人は、
娘みどりに「前向きに」対応を
すすめられなくなった、

親思いでおとなしい性格のみどりも
自分の人生よりも、
龍蔵の研究を手伝うのは
自分の使命だと思っていた!

その結果、
太平洋戦争前後に至る龍蔵の調査
その期間中全ての論文にみる
美しい模写などはすべて、
ほかならぬこのみどりの作品である。

きみ子夫人は、その貢献に感謝
常に上記のことを周囲に語り、

龍蔵の「凡庸な父親」としての一面も
「娘を手放したくないのよね!」
と、笑いながら語っていたそうだ!

龍蔵家の悲しくもおかしい人間ドラマです!

世界の鳥居龍蔵も、普通の鳥居龍蔵も
同じもの、だからこそ
「人間鳥居龍蔵」ですもの!


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前回のお話に「つながる」が、
やはり、1930年代前半
龍蔵の次女みどりが、豪華客船で
アメリカ行きのおみやげ話を

きみ子夫人が大変うれしく、
周囲に話したことが、「伝説」がごとく、
龍蔵家友人宅で大事に「伝説」され、
今まで生きていた!


よほどきみ子夫人の親友なんですね!
世代が変わってもお話が残る!
こういうものが「伝説」なのでしょうか?

話は「豪華客船」のアメリカ行きの旅!
あざらしの僕、どうしてか 
どうしても、「タイタニック」を連想し、
客船の中の情景が目に浮かぶ・・・

豪華客船は、ハワイ島を回る航路、

ハワイ到着で、乗客たちは久しぶりに上陸、
その南国風景にすっかり魅了され、
明るく、楽しい雰囲気いっぱいに!

それに、ハワイの娘さんたちが、
あんなにも「大胆な」「ファッション」で、
真っ赤なハイピカスの花輪をかけて、
「大胆に」腰を振って、激しく? 踊り、
情熱いっぱいで皆を歓迎してくれた!

1930年代当時、
その「ファッション」も踊りも、
「時代を先駆け」た衝撃を皆さんに与え、

と同時に、その情熱は民族を、時代を越え
皆も大いに盛り上がり、拍手喝さいした!

20代前半のみどりは、大変うれしく、
南国ハワイの景色、真っ青な空と海、木々、
真っ赤なハイピスカス、
健康で情熱的なハワイ娘・・・

これらが織り成す美しく情熱的な「絵」が
音響を伴って皆さんのこころに残った!

超人的感受性豊かなみどりは
根からの芸術家肌、
このハワイの美しい情景を、
カラー、音声、人々の明るい笑顔を伴い

きみ子夫人に、「画像の再生」を行い、
きみ子夫人を含む知人たちを
情熱な南国ハワイに「案内」したそうだ!

皆も、この「夢の国ハワイ」に
一度暮らしてみたいな~、と驚嘆したようだ?

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あざらしの僕も、ハワイにあこがれる、
30年代って、こういう悠然とした旅ができる
ゆったりしたいい時代だな~
こういう中で心の余裕がもてるのでしょう!

「今」っときたら、一秒を争う用事がなくても、
人々は、追われるがごとく「暴走する」!
「用ありげに」「忙しげに」・・・
さも、そうでないと「現代人失格」かのように!

だからといって、生産性が高いのか、というと
それは、全く別問題だ!
ただ、せっせと駈けずり回る「姿勢が大事」!
こういう「素振り」が点数稼ぎと良い評価に大事?

「こころの余裕」をもつことがやさしさにつながる?
高齢社会が現実となった日本・世界にとって、

単なる「事務的方法・手段」による
社会問題解決の根底を成す:

「こころのあり方」「やさしさ」「思いやり」が
「最大必須条件」として
日増しに頭角を出してきて、
近近、「デビュー」するでしょう!?

・・・・・・・

あざらしには、遠くから
プレース・リーが歌った 
あの美しい「ブルーハワイ」が
聞こえてきます・・・

ハワイの海と空のように、
われらのこころをゆったり持ちましょう!

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