あけまして、おめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いいたします!


あいだあいだ ごぶさたしてごめんなさい!
生活に追われ、仕事に追われ、
気まぐれに暮らせないのが実態です。

それでも、力の限り、出会って感動した
鳥居龍蔵のことを、引き続き綴ってゆきたい、

流れ去って、風化したものも多いかもしれないが
「風と共に去りぬ」を見送るのではなく
風を頼りに、さまざまなメッセージを受け
「学問の風雲児」ともいえる鳥居龍蔵 

という「龍」の飛翔を追跡してゆきたい、
空を飛ぶあざらしではないが、
動物仲間、飛鳥仲間のお力を借り

生涯の主な部分を
空前絶後の海外調査に活躍した
鳥居龍蔵の真実を訪ねてゆきたい。

最近、皆様に映画「杉原千畝」(すぎはら ちうね)
ご推薦いたしました、というのは
鳥居龍蔵と多くの相似点があるからです。

職業・活躍分野は全く違うが
どんな動乱な時代でも、自らの危険・利得を顧みず
もっぱら「人間としての良心」に従え行動し、
世界的に認められた「偉人」である

にもかかわらず、彼らは
日本独特な人物評価基準である
意味不明な「協調性」でマイナス評価される。

すなわち、「イエス マン」でなければ
排除され、評価されない というわけだ。

これは、今でも日本社会の「文化」であり
イジメを産出している、と思われる。

もちろん、その上、戦争、戦前戦後という
時代の空白、流れもあって、
彼らは、今だ「帰国していない」部分がある。

彼らには、世界に認められる偉績貢献がありながら、
上記理不尽な阻害要素により、日本社会における
偉績貢献の正々堂々な発揚宣伝が
拒まれている陰湿な濁流がある。
それは嫉妬、悪口、誹謗中傷である。


これは日本社会・日本文化のおける
非常に汚く、長い伝統を持つイジメの根源
と思われるもの。

・・・・・・・・・・
映画「杉原千畝」の観客に若者非常に多く
彼らが感銘感動しているのを見て

「濁流の世代」を越え
彼らが新しい価値観を持って
日本社会の新しい価値観・「文化」を築くのを
期待したい。

今の時代においても、
「濁流」「清流」が合い混じる中、
「清流」の力を信じ、

「人間の良心に従え行動する」鳥居龍蔵
人間性・活動・学問などを
「学者」ではない普通「人」として
あざらし は引き続き
ぽつん、ぽつん・・・と綴ってゆきたい。

・・・・・・・・
これまでは大変お世話になり
ありのままな、粗野なあざらし文を お読みいただき
本当にありがとうございます!

これからも、どうぞよろしくお願い致します!

新しい年が、皆様にとって
より幸せな年でありますよう お祈りいたします!


「万物に霊あり」 と、僕は信じる
今日申したいのは
「樹木は黙って語らないが、
彼らには魂あり」 すなわち 「霊あり」なのだ。

なぜ?こんな話?
それは、最近すごく残念無念な話を知人から聞き
皆さんにも、ひょっとして、
似た体験があったかな~?
と思ったからだ:

公営住宅・公園に立派な大木あり、
数十年かけないと、そうなれない
大変太い幹、うっそうとした青々の葉は
数十メートル上にあり、
視線を妨げる気配はこれっぽちもない!

なのに!「防犯」を口実に、
伐採された! 緑化の先人(例えば、公園課の
井下清さん、鳥居龍蔵の大親友)たちが
どれほどの血まみれな努力で作った
木々の茂った東京!

このような「エコ」を全く無視、「○○?住宅供給公社」?
たるものが、「防犯」「「自治体要望」など口実で
反対意見を振り切って、なんの躊躇も惜しみもなく
「大至急」伐採を実行したわけ!

警察の「指示」かのよう詐称するが、
警察は全面否定、当たり前、
「警察が木々の伐採指示を出す」など
ありえない、

「自治体要望」とは
公営住宅内「自治会長」等の要望、

周知とおり、公営住宅の「役職者」は
普通は 暇な高齢者が自己推薦でなる

暇だから?樹木も、子鳥も彼らの「邪魔」
「排除すべし」と、かつての「軍国少年・少女」の彼らは
語らないこれらの弱者相手に「排除作戦」を展開
その結果、東京都内、こっち あっち、
「禿げた庭先」「禿げた公園」・・・が続出!

「小人閑居して不善をなす」とは
こういうことなのだ!

ほとんど「税金も長年納めず」の「超高齢者」の
これらの公営住宅「自治会役職者」が
「都の財産たる樹木の生殺権」を握るのだ!
なんと恐ろしく おぞましい!

都から「権限委譲を受けた?」○○供給公社は
これら「役職者」の「指示」のまま
都の財産である樹木を「惜しみなく」
ばんばんと、伐採してゆく!・・・

しかし、誰の財産?
いつ、公営住宅入居者の財産になっちまった?

環境保護・エコの先人井下清などが種まきした
数十年の大木を残虐に伐採している!

都はこれらの財産を「公社」に丸投げ、
なにが起こっているかは、全く知らない!

「公営住宅」とは、確か入居者は「低所得」
税金も納めないものも多い
生活に追われ、樹木まで気が回る居住者は少ない

だから、逆に、長年安く住み、「精神的にたくましい」これらの
「超高齢者」が、公営住宅の「どん」に成りすまし
物事を自分らの思うまま操る
実際、いろいろな意地悪を周囲にしているようだ?
いわば、世間で言う「いじわるじじ、ばば」だ!

優良な「超高齢者」も多いが
しかし、その「老害」も少なくない
本篇で述べたのは一例だ!

樹木も子鳥も目障りならば、
彼らに必要なのは「砂漠の中の独立した家」

公営住宅を操り、環境破壊を続けないよう、
彼らへの「入居制限」も必要か?
その辺、なんかの施策あないのか?

かつての「軍国少年少女」、今の「超高齢者」
すべての高齢者が該当するのではないが、

こういう「環境悪化・破壊を働く」「老害」は排除すべきでは?

同時に、都などは、その財産たるものまで
下請け?業務委託業者(例えば○○公社)に丸投げせず、
きちんと都の財産管理をしてほしい!

話は別だが、霊のある樹木などを無残に伐採しることは
時として、自然界の「返礼」を受けることもあるようだ?

公営庭の大変立派な大木伐採を強行した
ある自治会長は、その伐採実行の春から数ヶ月後の秋に
出先にゆく途中、突然倒れ、地獄ゆき?になったそうだ?

大自然からの報いは、ないはずはない、
時間とともに、いずれ訪れるであろう。

年末にさしあたり、
自らは語らない木々に代わって語ります。

・・・・・・・・・・
「人間は年を重ねるにつれ、優しくなる」、
という言い方もあるが、一部はあてはまらない?
または、全くのナンセンス
と いってもよいかも?

現実、こういう「老害」もあるから。
そのしつこい意地悪はとどまるところを知らない!

高齢社会、「老害」対策も必須だ。
例えば、「老害」にうっかり権限を委ねるな!など。
(自治会を任せるなどは、避けるべし?)

語れない「弱者」が被害を蒙り、
今回のように、「環境破壊」に至るから。

もうひとつ、財産管理は、委託業者に任せるな!
・・・・・・・・・・・・・・・・・

年末を迎え、
沈黙の木々に変わって語り、
数十年環境に貢献し続けたこれらの樹木の
偉大なる貢献に深深感謝しながら

あまりにも理不尽な最後を迎えた彼ら、
残念無念!で、胸を痛む・・・

これらの樹霊の供養を心込めて行い
これら樹霊たちに、気持ちのまま活躍してほしい
この世のエコ、環境保護のために・・・

似たことは所々起きているはずだし、
今後起こる確率も高い、

皆さん、ぜひご警戒くださいませ!

・・・・・・・・・

全くの場違いかも知れんが
こんな先人たちが歌う哀切な歌が
どこからか 聞こえてくる:

山のさびしい湖に
ひとり来たのも悲しいこころ
胸の痛みに耐えかねて
昨日の夢も焚き捨てる
古い手紙のうすけむり」

おれら犠牲になった木々の元に
そんな薄い煙が上がってるのを感じるのだ・・・

彼らの犠牲をむだにしてはならぬだ!
前記の「鬼じじ、ばば」に負けるな!

偉大なる井下清さんの
エコ、緑化という偉業を継承しましょう!

エコ・緑化にこんなにも「熾烈な」戦いがあること
こころに銘じましょう!

環境破壊の敵である 前記「老害」ども を
軽んずべからず、しっかり戦いましょう!
・・・・・・・

仕事帰り、野良さんたちとつきあっており
彼らのこころ・きもち、ひしひし伝わってくる。

どうしたか、彼らは「マイノリティ」であり
状況として、正に二次大戦中のユダヤ人?

猫好きがやたら多い日本でありながら、
彼らにはのびのび生きる場所がなかなかない?

「猫にえさをやるな!」と怒鳴る鬼婆(おにばば)がいて
それも80代後半の「人?」
大変「たくましい」お年寄りだ。
弱いものは必ずイジメ、
「ご自分」は「たくましく」生き残る
という「人種」だ!

・・・・・・・

これはさておきとして、
そういう虐められ、隠れ隠れの生活を
してきた可愛いネコさんたちに、
悲しくも、新年を迎えず、
天国に旅立ってしまった子もいます・・・

ネコさんを目の前にして
乱暴な車運転を止めず、
「わざと」ぶつけて一目散の
犠牲になったミミちゃん、
白黒交じりで、まだまだ子ネコだった

丸い可愛い顔をした、無邪気な子で、
「なにか美味しいもの食べたいわ」と
僕の帰りを待ち
言ってくる感じだった

大好きなお魚を口にしたばかりの時の
悲しい出来事だった!
必死に手足を動かして、
災難から逃げ去ろうとしたその姿が痛ましく
僕の心を粉々ちぎってしまったのだ・・・

障害をもって生まれた子猫のチーコは
一生懸命生きてゆこうと、
雨でも風でも、他の野良ちゃんたちに
見習って、えさを口に入れていた、
少しでも多く食べると
苦しそうに、ふうふうしていた、

そんなチーコは、普通のネコになりたかったらしく、
一度元気出してはしゃぎ、走ったりはしゃいだりした、
「元気になってよかったね!」と僕はほっとしていたが
その後、突然倒れ、気がついた時
なんとしても助けたかったが、
力及ばず、悲しくもなくなってしまった!

たった3ヶ月くらいの短い命で、
僕を信頼して、かけてくる
そのやせ細った可愛い姿の子猫、

まっくろで頭がよく、可愛い大きな目で
大変チャーミングな顔をした
忘れられない、ちっゃな ちっちゃな子猫でした!

高~い、きれ~いなその声は
今でも耳に響き、
僕のこころを涙まみれにしてしまうのだ!

もう一人はクマちゃん
少しとしを重ねたネコさんで、
寒さにもにもこたえてきたらしく
足取りがなんとなく弱ってきた感じだった。

そんなクマちゃんが気になって、
隠れ場所にハッポウスチロールで
防水の「家」を作り
スウェーターなどを敷き、
カイロも入れた

毎日「ネコ弁当」を配達した
クマは楽しそうにそれをほおばっていた

その家を気に入り
クマは毎日中に入って過ごした

昨年は無事冬を越え
春・夏・秋は元気に散策した、

それに、パンダみたいなもようをした
同じ庭に出入りしているパンダに恋をしたクマは
パンダが来ると、いつも来て
うれしそうに一緒にたわむれた、

パンダさんもうれしそうに
二人はいつも並んで座り
共の時間を楽しんだ

僕はいつも二人を見守り
流れてゆく時間が気にならながら

二人の幸せの時間が止まってほしいと
祈ったのだ・・・

秋になっても、クマは元気なとき
パンダの気配がすると、家から出てきて
パンダと一緒に遊んだ、

冬を迎え、かなり冷えてきて、
クマは余り出歩かなくなり
ほぼ「自宅」での生活をし
それでも、美味しそうに食事を
「カリカリ」と元気な音を立て食べていたが

最近あまり食べない気がして、心配で
拭きおフロをしてあげ、新たに暖かい物を敷いたり
それでも余り元気でなかった・・・
弱々しい声で、「ミ~」といっていた

また行ったとき、クマが「わが家」に入ろうとした姿で
そのまま動かなくなっていた、
その手の爪が必死に中のスウェータをつかんでおり
放そうとしなかった、
「我が家に入りたい、帰りたい!」と
言っているのだ!・・・

僕がたどりつき、
抱き上げたら、弱々しくその心臓の鼓動がひびき
なんと不思議にも、おなかが「ごろごろ ごろごろ」と鳴った!
そのあと、静まり返って、
クマはまたと僕に声をかけることがなかった・・・

もしかしたら、僕が来るのを待っていた?

そう思うと、僕はこころが乱れ
涙ぽろぽろ 泣いてしまった!

なんとしても生きてゆきたい!
わが家に入りたい、戻りたい!
クマのその切ない気持ちが伝わってくる・・・
(僕の造った家を「我が家」と思ってありがとう、クマ!)

もっともっとなにかしてあげられたのでは?
と思うと、さらに涙ぽろぽろだ・・・

パンダとの切ない恋・・・

人間となんの違いもなく
彼らの人生にも、こんなに切ないことがある

生きてゆきたい、恋もしている
でもかなわない・・・
希望と現実、
自力ではどうにもならない「運命」・・・

人間と同じく、彼らも運命で・・・

・・・・・・

今年、僕と、僕らと 離れていった
あるいは、引き裂かれたこれら小さな「いのち」
小さな可愛い友達たち

ミミちゃん、ちーこ ちゃん、 クマちゃん・・・
あなたたちはいつも 僕のこころに生きている・・・

この別れは生涯忘れがたい痛手であり
いのち と いのち が出会った記憶である。

僕ら人間より短い命だが
彼らにハートがあって、
夢も希望も、楽しみも悲しみもある

彼らと付き合い、もうひとつの世界・社会
を感じ
ことばも、生活習慣こそ違うが
そのハートは人間と相通ずるものであり

この先、時代が進むにずれ
彼ら(人間以外の動物たち)との付き合いは
より「平等」に近い形になるのでは?

と期待するものだ。

クリスマス を迎え、「なだそうそう」のあざらしだ。

メリークリスマス、皆さん!

・・・・・・

大変悲しいことを申したが
新しい年、天国の彼ら、地上の彼ら とともに
がんばってゆきたい!

動物である あざらし だからこその気持ちだ。

「なだそうそう」は沖縄の言葉では「涙ぽろぽろ」です。

なだそうそう ながら、強くなれ! と
自分と彼らを励ますことばだ。

ネット上
鳥居龍蔵人名で、検索すると
いくつもの画像が出てくる
妙に目立つのは、一人「ずんぐり頭で
めがねをかけ、大変世俗的で横柄な態度に見える者」、

この者が龍蔵だと勘違いされる場合が多いが
これは全く違う人!

記念館移転時、臨時に事務管理した者
一時「龍蔵研究者」かのよう
こっちあっちと顔出した「事務屋」で、
かつ館内大事な資料を「不法流出」もしたそうだ?

プライバシー保護法を無視
なんら関係もない龍蔵親族のことを
三面記事的に振り回し、
「龍蔵研究者」名を取ろうと・・・

いわば、一時的の事務管理の
権限を乱用した者にすぎない、などなど、と
言われた、大変評判の悪い者だそうだ?

その顔に人柄が見え見えだ?!

ネット 情報とは
このように紛らわしいものだ。

・・・・・・

めがね等かけておらず
大変ハンサムな顔をした、品格のある者こそは
鳥居龍蔵であります。

当時から、
評判になっていたのは

学者でありながら、龍蔵のような顔をした者が
珍しいということだったようだ?

当時の研究者たる者は、大体は、研究、研究で
顔が歪んでしまい、「偏屈」?に見える者が多い?
と思われていた?

龍蔵のように、端正で優しい顔をしながら
破天荒な活躍をした者は空前絶後かも?

・・・・・・・・・・・
リピートになるが、
ネット上の 「ずんぐりじじい」 は 
鳥居龍蔵ではありません。

皆さん、くれぐれもお間違いなく!

「お人柄は、顔に出るもの」とは
正にこのようなことだ?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現在上映中の映画に
この「杉原千畝」(すぎはら ちうね)がある。

数年前から、この方のことを
ご紹介したことがあった、

というのは、杉原と鳥居龍蔵に
共通点が多くある からです、

そのひとつは
彼らはともに、海外では「偉大な人物」として
人々に敬愛されながら、対照的に

日本国内では適正な評価を受けておらず
「協調性がない」など
いわば、「YES マン」ではないことを
マイナス評価され
その偉大なる業績までも
きずつけられたのである。

彼らは共に、海外を主な活動地とし
戦争中、「国粋」の旋風に
巻き込まれることなく、
人間としての良心に従い行動し
「マイ ウェイ」を貫いたのである。

偉大なる業績を建てながらも
日本人として、日本国内で
「疎遠」されている側面が見られる。

この意味では、彼らは今だ「帰国しておらず」
とも表現できるでしょう。
大変理不尽で悲しいことだ!

考えられる理由のひとつは
日本の民主主義は「輸入品」で「インスタント」
民主主義の根底は「自由・平等・博愛」
であることは、社会全体に浸透しておらず、

今でも「イェス マン」を最高とする
そういう「暗黙な価値観」が主導であり、
「マイウィ 人間」 ははずされる、
これは特に 社会組織に見られる

抜群の才能・個性・業績は、逆に
集団攻撃にあうことも多い、

日本独特でしつこい「イジメ」の根源も
この辺はひとつでは?かも知れない?

・・・・・・・・・・・・・・・・

「前置き」は少々長くなってしまったが、
両者の共通点に基づき、
映画「杉原千畝」を大いにお勧めです。

外交官の杉原は
最初旧満州で勤めたが
その状況に耐えかね、
ヨーロッパに転勤

二次大戦のリトアニアが主舞台。
外務省の意向に反し
杉原は数千人のユダヤ人にビザ発行
彼らをナチの虐殺から救い、逃がした。

今これらの人々の子孫は 4万人を超える。
自らの出世・安否を投げ出し、
ビザ発行に踏み切ったその行動は
決して「凡人」にはできない。

戦後にわたっても、杉原は外務省で
「はみ出しもの」として、不遇な立場だった、

反面、海外では最高に評価され、
イスラエルにも、リトアニアにも
記念碑・記念館があって、
永遠に敬愛される人物である。

・・・・・・・

この映画は海外的視点から作られたもの?

戦争の真実の姿が見られ、
  旧満州の関東軍の動き
  ナチドイツの動き
  ユダヤ人の悲惨な状況
生々しい記録映画に近い画面はこわいものだ。

杉原さんについても
「美化」などなく、自然な姿であり
説得力があり、

主役の唐沢さんも好演、英語も大したもの、

想像したよりはるかに素敵な映画であり、
歴史的真実もリアルに再現され、
大変感動的で涙を誘うような場面も多い、

ぜひ皆さん、この映画を見てください、
時代の真実は映像から迫ってきます、

「世界に、日本に、こんな信じがたい時代があった」
と、びっくりするに違いありません。

それによって、その時代で活躍した
杉原、鳥居龍蔵は、どれほどの勇気・迫力をもって
その中を切り抜いてきたかを
感覚的に体験できるし、理解しやすくなるのでは?

と思って、久しぶりのこの素敵な映画を
ご推薦いたします。
必ず「見てよかった」とおっしゃるに違いなしだ!

主役は「杉原」ですが、舞台は海外で
周囲の役者はほとんどは外国人、
日本映画にはあまりない形でおもしろい。
言葉はほぼ英語(字幕)、
海外、特にリトアニアの風景はいいものだ。

見る機会を逃すなよ!
あざらし が一押しだから、
まちがいなし!

・・・・・・・・・・・・

この映画でもうひとつよく分かるのは
「国際人」とは、「語学・言葉」ではなく
ハートである。

言葉ができなくても、ハートが通じれば
国際人である。

国際人になるために英語勉強は、おろか?

ではまた!