私が彼女からの家庭教師の依頼を受けたのは彼女が高2の時だった。

どちらかというと当時は中学生を専門で教えていたが彼女はそれほどレベルが高い学校ではなかったので「何とか教えられるかな。」程度の認識でスタートした。

中学生の時の職場体験実習で病院に行き、そこで新生児を抱かせてもらったらしい。その感動が忘れられなくて助産師を目指していた。

しかし彼女の夢は漠然としており、助産師がどんな仕事でどの位なるのが大変なのか、彼女に聞いてもほとんど何も帰ってこなかった。

まず彼女を本気にさせなくてはいけない。
ネットや本で助産師について調べ、私とその情報を交換し、色々話す中で少し具体的になってきた。

「うちの近所に助産師さんが開業しているから行って話を聞いて来なさい。」

私がそういうと彼女は尻込みした。

「一生に関わる大事なことだよ。勇気を出しなさい。もし話を聞いて『助産師って私が目指していたものではなかった。』と思ったとしてもそれは残念だけど、意味のある決断だよ。」

彼女は勇気を出して自ら電話をして助産師さんの話を聞かせて頂くことが出来た。
その内容を私に伝えた時の彼女はこれまでとは違っていた。
助産師がいかに大変で、いかに素晴らしいかを聞いた彼女は本気になった。

当時生徒だった人のおじいさんに当たる人が産婦人科の医師をしていたので、これは私が仲介してその方にも彼女と会って頂いた。

「大学に入ることが今のあなたの目標のようだが、本当の目標は助産師になることです。それさえ忘れなければ何年かかるかわからないけど必ずなれます。」

そんな話を聞いて益々本気になった。

勉強の方はなかなか大変だった。

校内テストの10日前くらいに教えに行くと問題集を解くことがほとんどできずにいた。
説明しても基礎が出来ていないので理解するのに時間がかかった。

しかしテストの前日に教えに行くと驚くほどのスピードで問題を解いた。

「全部の問題を6回やりました。ここ二日は徹夜しています。」

彼女の成績はグングン良くなり、クラスで一番になった。

しかし第一志望の大学は不合格だった。

第二志望の看護大に入った。

助産師コースで学ぶためには看護を学んだあとで成績優秀なら道が開けるということだった。

彼女は相当頑張ったらしくGWなどの休み期間中も自宅には戻らず無人の寮で一人勉強していたらしい。

彼女は今、県内の大きな病院で助産師として働いている。

沢山のお母さんと大変さを乗り越え、感動を分かち合っているのだろう。

彼女の腕に抱かれる新しい命がたくさん増えてくれることを私も楽しみにしている。

高校生の時彼女はこうも言っていた。

「いつかは地元で開業し、同級生などが地元に戻って赤ちゃんを産めるような助産院を開きたい。
きっとみんな自分のお母さんの所で産みたいじゃないですか?」

そうなった日には俺の孫もお世話になる日が来るのかもしれない。
俺が新社会人になったのはもうずいぶん昔んことになってしまった。

一か月間も泊まり込みでの研修があった。

3,4日のローテーションで各部署を回り、それぞれの仕事をしっかりと体験することで会社の仕事全体を覚えるというものだった。

俺は営業配属だったが研究から製造、ハムソーセージ造りや店舗での販売などもあった。

毎日その日の仕事内容についての筆記試験があった。

研修期間トータルでの成績は80数人いた営業社員で俺が一番になれた。
随分それが自信になった。

スーツに革靴でのランニングもあった。

外部講師を招いての講演もあった。

取引先の業者の方、銀行の方、お寺の住職の方などが新人に対してお話をしてくれた。

全ての新人で180人くらいだっただろうか。

幹部社員と合わせて200人くらいが一緒にいたと思う。

講師の方は話が終わると決まって質問がないかと尋ねてくる。

俺は全員の講師のお話全てに質問をした。

話に興味があったこともあるが質問の一つもないのは失礼だろう、と思っていたからだ。

質問をするからにはくだらない質問は出来ない。

必死に話を聞いて出来るだけ良い質問をしようと構えたものだった。

他に質問をした社員はいなかった。
当然このことだけでも俺は幹部の人たちに目立ってしまったことだろう。

研修は定時に終わり、その後は会社のバスが宿舎に運んでくれる。

途中でスーパーマーケットに立ち寄り、部屋ごとに自炊の材料を買うのが楽しみでもあった。

3DKほどのマンションを6人で使わせてもらって食事を作り、将来の夢を語ったりしたものだった。

「俺は社長を目指す。」「俺は営業トップになる。」

色んな夢を語ったものだ。

学生時代の女性の話でも盛り上がった。

「総務の先輩が可愛い」「秘書課の新人なら友達になったぞ。」

途中から話題はいつもそっち方面に移っていった。

休みは日曜しかなく、段々疲れてきた。早く研修が終わって欲しかった。

研修が終わったゴールデンウィークには全員赴任地に移動しなくてはならず、
自宅に帰ることが出来るのは俺のような自宅近くの営業所勤務となった者だけだった。

赴任先は研修の終盤まで明かされなかった。

「俺、水戸だけど水戸ってどこだ?」

「俺、東京になっちゃったけど魚釣りって出来るかな?」

みんな不安よりものどかなものだった。

あの時一緒に研修を受けた仲間で今も同じ会社に残っている奴ってどのくらいいるのだろう?

研修では一番優秀で、海外勤務もさせてもらった俺だが、幹部になることもなく辞めてしまい、
使えない社員だったということになる。

毎年この時期になると桜の花の中でのあの研修の雰囲気が懐かしくよみがえってくる。
今日は長野県公立高校の入試が行われています。

県内の各高校で沢山の生徒が受験しているのです。

この時間は2時間目の数学です。

きっと難しくて手こずっていることでしょう。

すでに私立だったり、前期試験という推薦入試で合格している生徒は今頃中学でのんびりとしているはずです。

今日の試験で全ての中学生の受験が終わります。

俺が子供の頃は受験戦争と言われた時代でそういうものに反発し、

「俺は学校の看板がなくても生きて行ける人間になるから学歴なんかいらない。」

そんな風につっぱっていたものでした。

今の子たちはもっと幼くて弱いです。

折れそうな心を周りに支えてもらいながら、ゆっくり、時には落ち込みながら大きくなっています。

俺の生徒たちもどこか頼りない、でも憎めない奴ばかりです。

みんなそれなりに頑張り、それなりに成長しました。

この田舎程度の受験競争ならあった方が成長につながる分良いと思うくらいです。

そんな風に思うようになった俺も丸くなったのかもしれません。

俺のところに来てくれたらみんな成績を上げてやる。

そんな約束は出来ません。

俺のところに来てくれたらみんな成長させてやる。

そんな約束なら出来ます。

そこは他の塾や家庭教師には決して負けない自信があります。

俺と学んだことが生きる糧になるような心は伝えています。

人間は小手先のテクニックを身に付けても大した人間にはなれません。

この年代にしっかりとした心を身に付けられたかどうかが大きいのです。

これまで俺と学んだ先輩たちがそれを証明してくれています。

今日受験している生徒たちもきっとしっかりと歩んでいってくれることだけは確信しています。

まあ、たいそうな話になったけどとにかく今日で終わりだから3時過ぎまで頑張って欲しいです。
ソチオリンピックが終わってしまいましたね。
今回のオリンピックはメダルの数だけではなくて選手の人間性にもスポットを当てた暖かい報道が多く、
見ている側もホッとします。

オリンピックをはじめワールドカップなどの国際大会は国と国の戦いであり、勝つか負けるかのみにスポットが当てられていたように思います。
外国の選手は怖くて、強大で人間性すらないかのようなイメージを持っていました。
特にロシア(ソ連)の選手などは「笑わない冷徹な」機械のような人だと勝手に思っていました。

今回のオリンピックではレース後に勝者と敗者が抱き合ってたたえあう様子を何度も目にすることが出来ました。微笑ましいことです。

日本の選手に関してはオリンピックに出るまでの苦しみながら頑張った姿を見せてくれるテレビもありました。あれを見せられるといい結果を残してほしいのは勿論、何よりも「悔いのない戦いをして欲しい。」我が子の応援の時の様にさえ思えて来て、親近感がわきます。

外国の選手についてもきっと沢山のドラマがあるのでしょう。そのドラマを見せてもらえるとやはり応援したくなるでしょう。

あと一歩のところでオリンピックに出ることが出来なかった選手が沢山いるはずです。
その人たちも見たいです。

国籍を超えて同じスポーツで頑張っている人たちは本当の意味での国際人です。
スポーツは素晴らしいと改めて思いました。
素敵なオリンピックでした。
カツオの姿を見ては、「小学生はあんな感じなんだ。」と漠然と心に思い描いたような記憶がある。

今では自分の3人の息子たちもそのカツオの年齢を超えてしまった。

自分自身はカツオのお父さんの波平さん(54歳らしい)に近づこうとしている。

幸い髪の毛は波平さんのようにはなってはいない。

ちなみに原作では波平さんは明治28年生まれとのことだ。

一時期サザエさんの番組を憂鬱な気分で見ていた時期があった。

社会人一年目の時だった。

当時は会社の休みは日曜位しかなく、その日曜を彼女と過ごすのが常だった。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、サザエさんが終わると現実が迫ってくるのを感じたものだった。

月曜は朝から営業会議なるものがあり、重たい空気に包まれる職場を考えただけで憂鬱だった。

サザエさんを見て笑いながらも憂鬱な気分になったのを覚えている。

明治生まれの波平さんのように雷を落とすお父さんは今どのくらいいるのだろう?

子供たちが大きくなり俺が落す雷の回数も減ってきた。

俺が落されることはもう無くなった。

サザエさんを見て憂鬱な気分になっていた頃や父親に雷を落された頃、あるいは子供たちに雷を落としていたころが懐かしく思える。
実は俺は、、、献血が出来ない体なのです。

初めて献血をしたのは高校三年生の時だった。
駅前の献血車が来ていて、無理矢理友達に誘われたのが最初だった。

注射や血が苦手な俺は正におっかなびっくりの初体験だった。
自分の血が抜かれるところを見たくないのでそっぽを向いて顔をしかめていた。
その様子を見た看護師さんが慌ててやってきた。

「大丈夫ですか?」

「え?全然大丈夫ですけど、俺、こういうの苦手なんです。」

そう言うと不思議そうな顔をして戻っていった。

その後も何度か献血をした。特に深い意味はない。

そして長男と次男が生まれる前にも献血をした。

これにも深い意味はないが医療機関にお世話になる妻に対して男の俺からの医療機関への恩返し、

まあ、そんな気持ちがあったと言える。

同じように三男が生まれる前にも献血をしようとしたところ、出来ないと言われた。

理由はある時期にイギリスに宿泊を伴う滞在をした経験があるからだそうだ。

この少し前に狂牛病が問題となりイギリスで多く発生していたのだ。

そのためイギリスに数日間でも滞在していた人間の血液は危険かもしれないということだろう。

もちろんイギリスに滞在していたのは長男が生まれる前である。

長男、次男の時の献血はどうなるんだ?

釈然としないが争うほどの事でもないのでしばらく献血からは遠ざかっていた。


イギリス滞在の経験者は献血が出来ないという規制がなくなったというニュースを見たのはその数年後だった。

たまたま東京に行ったときに献血センターがあったので三男の分をしておかないと、と軽い気持ちではいった。問診票の欄に「ある時期にヨーロッパに6か月以上滞在したことがありますか。」だったと思うが、そんな項目があった。

住んでいたのはドイツだったがヨーロッパなのでそこにチェックを入れた。
それを見た医師が申し訳なさそうに献血できない旨を説明した。

イギリス短期滞在の規制がなくなったのに、どうしてヨーロッパ長期滞在の規制は残っているのだろう?

日本人でヨーロッパ長期滞在の経験者なんてどの位沢山いるのだろう?

狂牛病騒ぎになる前に献血した人も大勢いるだろうに、それで問題にならないのになぜ規制が必要なのだろう?

色々納得できないことが多いが、俺の血は要らないというのならそれでいいや、と少々不機嫌にして東京を後にした。
全国サッカー選手権大会で長野県代表の松商学園高校は1,2回戦を突破し3回戦まで勝ち上がりました。

大晦日、1月2日、3日の三回、東京まで私たち家族4人は応援に行きました。

私の長男は3年生ですがメンバーには選ばれませんでした。

松商学園のサッカー部は爽やかで元気で可愛い生徒が多く、素敵な奴が揃っています。

長野県大会の決勝戦で後半足がつってしまった相手選手に対して、自然に近寄り当たり前のように足を伸

ばしてあげていた姿が印象的です。

今年からは生徒主導のチームつくりをしていました。

練習メニューを自分たちで作り、驚いたことに試合に出るメンバーを自分たちで決め、試合の時も監督代

行の生徒が指揮を執っています。

もちろん監督さんはいます。コーチも8人くらいいるそうで充実しているのですが、裏でのサポート役に

徹してくれているそうです。

生徒たちは一生懸命考え、自分中心ではなくチームの事を考えてチーム作りをしていたそうです。

松本のサッカー場アルウィンでの試合前には周りを掃除したりもしたそうです。

精一杯前を向いてゴールをひたすらに目指すスタイルも感動的でした。


3試合とも応援の時にはチアリーダーの生徒の横で見ていました。

その生徒にとっても3年生はこの試合で負ければ引退なのです。

必死に応援していました。

チアリーダーの生徒の親も隣で一生懸命応援していました。

寒い中、短いスカートでいなくてはいけないので足が鳥肌の様になっていました。

「寒い~」と言いながら、松商の応援の合間には相手チームの応援のリズムに乗って思わず体を動かして

しまうような生徒もいました。

みんな素直でかわいい生徒ばかりです。

「敵に勝つ」というイメージではなく自分たちのサッカーをし、自分たちのチームを応援するといった姿

勢です。相手チームにも敬意を払っています。

サッカーをする姿にはもちろん、応援をする我が子たちやそれを支える親たち、みんなに感謝です。

3年間のサッカー部生活が終わってしまいましたが、皆さんのおかげで息子も立派に成長したと思いま

す。

松商学園サッカー部は素晴らしいチームです。ありがとうございます。
息子の小学校の終業式は27日です。夏休み同様に冬休みも短いのです。

どうして??昔の慣習で1月末の寒中休みや秋の収穫休みがあったからかな?

今はそれらの休みはなくなったのに夏や冬の休みは短いままです。

不思議なことが多い長野県の学校現場です。


えーと、本題ですが、二学期が終わり近くなり学校から色々と持ち帰ってきます。

この写真の絵もその一つです。

学校から見た中央アルプスです。

千畳敷や宝剣岳の雰囲気がよく出ています。

青い空も印象的です。

息子の話によると、描き始めた頃の山はまだ緑がいっぱいで、、、、

描いているうちに紅葉になってきて、、、、

更に気が付くと、紅葉が段々茶色くなってきて、、、、

山の上にはわずかに雪が見えた、のだそうです。

「ハハハ、サッサと描かないからだ。」

思わず笑ってしまいました。

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東京都知事が辞職することになりましたね、

知事個人的なことには特別の興味はありません。

選挙が行われまた新しい知事を選ぶことになるのですね、

選挙にはどのくらいの税金が使われるのでしょうか?

その税金を建設的なことに使うことが出来ないのが勿体ないです。

悪いことをしたのなら辞めるのも当然だし、辞めさせるためのチェック機能も当然です。

任期を全うせず辞めてしまうことの責任はどうなるのでしょう?

選んでしまったのは住民ですが、不祥事など住民が知る訳もなくどうしようもないことです。

長い間政治が停滞することも大きな損失です。

悪いことをした⇒ばれた⇒辞めた それで終わりということで良いのでしょうか?

社会的制裁という人もいますが、それはお金持ちとしての活動に支障があるということだけですね。

刑事責任、民事責任などを負うとしても政治に穴をあけ、税金を無駄に使った責任は住民に支払われないといけないはずです。

幾ばくかの罰金や禁錮を食らったとしても住民に対する責任には全くなりません。


知事や議員が先生と呼ばれている間はこの矛盾はなくならないのでしょう。
2013年12月15日滋賀県の希望ヶ丘というところで全日本びわ湖クロスカントリー大会が開かれ

6年生の息子が駒ヶ根中沢RCの監督や仲間とともに参加しました。

小学生の部1000mで見事優勝しました。

トロフィー、賞状に加えて滋賀のお米5kgとアシックスのエナメルバッグを頂いてきました。

それはそれは嬉しそうな息子の様子を見てこちらまで嬉しくなりました。

エントリーは133人なのでよくその中で一番になれたものだと感心します。

遠慮するのか手加減するのか、いつもスタートで先頭から10番目くらいになってしまい、抜かすことに

体力を使ってしまい先頭の数人に負けてしまうというのがこれまででした。

短距離も速いはずの彼なので最初からダッシュで行けるとこまで行け、という監督の指示を守ったそう

で、ずっと一番のままゴールしたそうです。

私は仕事のため応援に行くことが出来ずに残念でした。その姿を見たかったです。

監督、付き添ってくださった保護者の方、本当にありがとうございました。