黒い闇の空から手がニューと伸びてきて俺の腕をつかんで引っ張り上げた。
上がった先には大勢の人がいた。
大方は地元ベルリンの人たちのように思えた。
ここはベルリンの壁である。もう25年も前のことになってしまったようだ。
壁と言っても家の壁のようなものではなく、防波堤のようなものをイメージしてもらうとよい。
そこには様々な芸術的な落書き続いている。
高さは3m位はあるだろうか。上に手が届いてもなかなかそこから上がることが出来ない。
上にいる見知らぬ人が引っ張り上げてくれたのだ。
幅は2~3m位はあるだろう。
一緒に行ったカイさんも誰かに引っ張り合上げられて壁の上に上ってきた。
カイさんはベルリン大学の学生だった。
京都で知り合ったのだ。
彼には奥さんと当時4歳になる娘さんがいて京都にいても娘のことが気になって仕方がない様子だった。
190㎝を超える長身にもじゃもじゃ頭でよれよれのジーンズ姿なので京都では皆、驚いた顔をされることが多かったそうだ。
ベルリン大学の学生で京都大学に留学に来ているというと多くの日本人はまた驚いて接し方が変わると言って嘆いていた。
極々普通に接してくれる俺のことは気に入ってくれて、よくマクドナルドで談笑していた。
ちなみに彼はコーラのS一つで2時間は粘る。俺がおごろうとすると怒る。しかし、彼には金がない。
確かにややこしい人だった。
市場で買った赤飯があまりにもおいしいのでベルリンの家族に送ったそうだが、しばらく連絡が来ないとまた嘆いていた。
初めて見る、しかも腐った赤飯を前に奥さんと娘さんは戸惑っていたことだろう。
もしかするとおなかを壊したのかもしれない。
数年のち、ベルリンに出張に行くと、帰国したカイさんと会うことが何度かあった。
この時もそうで、ベルリンの壁が壊れたので見に行こう、と二人で夜の壁へ出かけたのだった。
金づちで壁を壊そうとしたが、かなり固くて歯が立たず、落ちている破片を拾い集めた。
奥さんと娘さんは実家へ戻ってしまったらしい。
壁が崩壊した結果、アパート代が高くなり、暮らしていけなくなったらしい。
カイさんは大学が残っているのでベルリンを離れられないそうだ。
殆ど音信不通になっているそうだが、
「僕には友達がいるから大丈夫。」
そう強がっていた。
確かベルリンの壁が出来た年にカイさんが生まれたのだった。
ベルリンの壁は持ち帰らない方が良い。壁を超えようとして射殺された東側の人たちの恨みがこもっているから。
そんな噂が当時のドイツにはあった。
最後に殺されたのは10歳にもならない少年で壁が壊される数か月前のことだったらしい。
そんな人たちの恨みがこもっている壁ならなおのこと、持っておかなければならない。
その当時、その場所にいた人間として、そこで無念にも亡くなった人たちのことを忘れてはいけないからだ。
ここのところ壁崩壊25年のニュースをよくテレビで見かける。
色んな事を考える。もう25年たってしまったのだ。