もう20年以上も昔になるがクリスマスの時期をドイツで過ごしたことがある。

11月の下旬になると街がクリスマスムードに包まれてくる。

労働者を守る法律があり、日曜日には商店はお休みだった。

そのためどの店もショーウインドウが見事で、日曜日にはぶらぶらとウインドウショッピングを楽しむの

が一般的だった。

もともと見事なディスプレイだったがクリスマス時期にはいっそう華やかだった。

俺が住んでいた街はドイツのパリと言われたお洒落な街で有名なブランドの店はたいてい揃っていた。

ルイヴィトン、シャネル、グッチ、アルマーニ、その方面には疎い俺でさえ聞いたことがある店が並んで

いた。特にそういった店が並ぶ通りは華やかだった。行き交う人もまた華やかだった。

ショーウインドウはほとんど作品に近いものが多く、大勢の人がプレゼントを買うことと同じくらい眺め

ることを楽しみながら寒い中を歩いていた。

そういえばある大きな店の屋上には大仏さんにも負けないくらいの大きなサンタさんが座っていた。

街の中心には中世からの市庁舎があり、その前は大きな広場で夏には野菜や果物を商う店が並んでいた。

この時期はクリスマス用品を売る店がそれに取って変わった。

きっと何百年ものあいだ、その場所には同じ店が並んだのだろう。

ツリーに飾る小物やクリスマスらしい食器やカード、そしてお祝いの暖かいワインを出す店も多かった。

『実際にクリスマスになるとどれほど賑やかになるのだろう?』

その頃日本はバブル景気でクリスマスといえば赤プリをはじめとする高級ホテルを予約しカップルで

ディナーを楽しむのがトレンドだったらしい。

日本でさえそれだから本場のヨーロッパはさぞすごいのだろうとワクワクしていた。

もちろん市内の高級ホテルを予約することもなくクリスマスを迎えた。

ドイツのクリスマスには驚かされた。会社はすべてお休みだった。

俺がいた日本の会社は出勤だったが、仕事相手がいないので何もせずに一日を過ごした。

困ったのが電車が来ないことだった。お昼を食べる店も閉まっていた。

普段は市電や地下鉄が数分に一本の割合で来たが、その日は一時間くらい待たないと来なかった。

大体街には誰もいなかった。ゴーストタウンという雰囲気ではなく、聖なる空間が流れているようだっ

た。

どうやらクリスマスは家族で過ごすものと決まっているらしい。

日本との時差を悪用して早めに仕事を切り上げ、苦労して帰宅。

たまにしか来ない地下鉄の乗客が少ないのにも驚いた。


ドイツ人の友人に招待され、彼のお母さんの手料理を頂いた。

プレゼントを交換し、飲んで食べて、家の中では華やかだった。

『これがヨーロッパのクリスマスかぁ~』

俺は何故か感動してキリストに祈りを捧げたい気分になった。


ここ数年日本は景気が悪いためかヨーロッパのようなクリスマスが流行しているらしい。

我が家ではずっと家族で過ごすクリスマスだ。

今年は長男は戻ってこれない。

来年は次男もいないかもしれない。

あと何年かすれば、俺のクリスマスはどうなるのだろう。

いっそのこと赤プリに予約でもしてやろうか?

おっと、赤プリはもうなくなってしまっているのだった。

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選挙の結果は予想通りと言うか、予想以上に自民大勝、民主惨敗でしたね。

私が住む長野5区も自民党の方が復活されました。この方は大臣経験者のお父さんの地盤を継がれた方で

小中高は東京で過ごされたそうです。

そういうことも影響したのか前回の選挙では民主党の方が議席を取られました。

この民主党の方は今回日本未来の党からの立候補でしたが当選には至りませんでした。

お二人共当選、落選を経験したことになるのですが、それはご自身の力だったり、力不足だったりしたか

らなのでしょうか?

私の勉強不足なのでしょうが、国政でどういう意見を述べ、どういう実績を残したのかがよくわかりません。

それなのに当選したり落選したりするわけです。

どこの党に所属しているのかで大勢を決めているように思えます。

特に野党の場合は党の偉い方が何を言った、ということで評価が分かれてくるのかもしれません。

せめて地方の新聞には地元選出の国会議員がどういう意見を述べて、どういう活動をしているのかを細か

く載せていただきたいです。

国会議員の皆様には今のこの閉塞感を打破していく方向を作り出して欲しいと念じています。
19歳の夏は若狭湾にある民宿のバイトとして過ごした。大変な賑わいだった。客の大半は17~19歳で家族連れなどはほとんどいなかった。生まれて初めて親とではなく、友人たちとのお泊まり旅行、しかも暑い夏の海、危険がいっぱい。ある女性は海でナンパされ「歳いくつ?」「二十歳だよ。」と答えると「ごめんなさい。」と逃げていかれたらしい。ある女子高校生は二泊三日のあいだに23回声をかけられたそうだ。そんな危ない海で、安心なのは民宿のバイトのお兄さんだ。夜になるとお客の女の子を乗せてドライブ。行き先は暗闇の中に突然不夜城のように現れる大飯原発だった。

20歳の夏はバイクで日本一周をした。北海道では駅前に寝袋を敷いて寝た。一人で行っても大勢の奴らとすぐに知り合いになれた。旭川、稚内、網走あたりの駅では50台、いや100台近くのバイクが連日集まっていた。盛り上がると決まってラーメンを食べに出かけた。朝は始発列車の前に駅を発つのが常識だった。10台、20台とまとまって出発し、大きな交差点が来ると3台、5台と分かれていき、最後は一人に戻る。そして夕方にはまたどこかの駅に立ち寄る。一人でいても孤独を味あわなくて済んだ。今のバイク乗りの中心はミドルからシニア世代だ。当時野宿をしていたやつらが大型バイクに乗り換えて優雅に旅をしているのかもしれない。

卒業旅行はヨーロッパ。生まれて初めての海外だった。飛行機だけが決まっているフリーツアーだった。ヨーロッパの航空会社だったが、乗客のほとんどは日本人の学生だった。俺は友人と並んで座っていたが、3人がけのもう一つに女の子がいた。短大を卒業するというから20歳だ。俺の友人と同じ滋賀県人ということもあり、意気投合した。彼女はロンドンでの数日間の行動を俺たちと共にし、そのあとのアテネまでついてきて、そこでは部屋も同じにした。その後のイタリアではいっしょではなかったのだが、その間に何があったのかを思い出すことができない。

社会人になりたての頃金曜の朝の大阪の街はスキーの道具を持った会社員で混雑した。重たい板と大きなバックを会社に持ち込んで仕事をした。夕方になると着替えてバスターミナルへ向かった。数え切れないツアーバスがいて自分のバスと友人を見つけるのが大変だった。信州のドライブイン松本でいつもバスは時間調整の休憩をした。『こんな寒いところに住んでいる人の気が知れない。』本気でそう思った。そこからバスは野沢、志賀高原、白馬などへ分かれていった。土日とスキーを楽しんで月曜の朝、再び大阪へ戻る。そのまま職場へ行き、再びスーツに着替えた。

23歳の時ユースホステルに泊まった。10数人いた泊り客の中で最年長だった。仲良くなった学生に聞かれた。「どうして社会人なのにユースに泊まるんですか?」
今から数年前に信州のユースホステルに泊まったことがある。数人いた泊り客の中で俺が最年少だった。

蓼科や白馬などの街を歩いていると古いペンションの裏に資材置き場だったり駐車場だったりになっている土地をよく見かける。昔のテニスコートだ。アスファルトが半分剥がれ、ラインがかすかに残っている。ネットを張っていたポールが残っているところもある。そう言えば、、、夏はテニス、冬はスキー、春と秋はドライブ、そんなナンパサークルがあちこちに存在し、俺たちも作っていた。近くの短大でチラシを配り、最盛期には大型バスをチャーターしてスキーへ行き、テニスの合宿へも行った。


これらは全て俺の体験で旅バージョン、遊びバージョンです。今の若者は旅に興味がなく車にも興味がないやつが多いらしい。嗜好が多様化しているのかもしれない。人の絶対数が減っているのかもしれない。
旅や遊びから学び、パワーをもらっていた俺としてはさみしい限りである。
ちなみに長男は今日から沖縄へ修学旅行へ行く。まもなく羽田を出るそうだ。
あ~高校の修学旅行は楽しかったな~~また行きたいな~~
テレビをつけても新聞を開いても衆議院選挙の話題で賑わっています。

街には選挙ポスターが貼られ時々候補者の名前を連呼する車も見かけます。


しかし私の中では選挙に対する盛り上がりとか期待感はあまり大きくなってきません。

前回の選挙はかなり盛り上がりました。

「世の中が大きく良い方向に変わるのかもしれない。」

「高速道路が無料になったらもっと遊びに行けるぞ。」

「高校が無料になったら我が家にはラッキーだ。」

「日本中にいっぱいある無駄や理不尽を無くせば次の世代に良いものを残せるかもしれない。」

いろんなことを妄想しながら投票に行った記憶があります。

残念ながらそのほとんどが実現していません。

『公約=約束のはずなのに実現しなくてもいいの? 公約=目標なの?』



自分の選挙区を見てみましょう。

当選しそうな方は多方予想されています。

精々二人のどちらかであってそれ以外の三人の候補者が当選することはきっとないだろうとされています。

『この人はいい。』

そう思っても当選しそうもない人に入れても無力のように感じます。

仮に当選した候補に入れたとしてもその人が何かをしてくれるという期待感は薄いです。

野党になれば足を引っ張るばかりで建設的な活動をしてくれるように見えません。

与党になったとしても全体の政策に振り回されてしまい個人の考えが活かされるとも思えません。


前回の選挙とその後の日本を見てそのような無力感に陥っているのは私だけでしょうか?


「○○先生はおらの村に立派な道路を付けてくれた。」

昔の方がまだわかりやすかったようにさえ思えます。

前回の選挙で当選した議員はなにをしたのでしょう?

ほかの党に鞍替えした方さえいるのですから一向に顔が見えてきません。

ここの選挙区はいわゆる第三極と言われる党の候補者はいません。

お馴染みの五つの党の前回と同じような顔ぶれの方ばかりです。


そうは言っても清き一票です。

よく考えてしっかり投票しなくてはいけませんね。
先日八ヶ岳の一つ天狗岳に登山をしてきました。

車のタイヤはスタッドレスですがこの日は駐車場のある唐沢鉱泉までなら普通のタイヤでも登れそうでした。それでも駐車場の温度計はマイナス7度でした。

凍った登山道を慎重に登ります。地図のコースタイムよりも随分遅いです。

途中の展望台あたりからは完全な雪道です。それほど寒くはなく景色がいいです。

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頂上までの登りでは小学校の教科書にあった「マナスル登山隊」の気分でした。
体を低くして一歩々々喘ぐように登ります。
風は強いですが体は暖かいです。
駐車場のマイナス7度からすればマイナス15~20くらいにはなっていると思います。

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「よっしゃ~~!!着いたぞ~~!!」
叫んでも誰もいません。言いようのない達成感があります。

天狗岳には頂上が二つあります。
西天狗岳(2646m)です。何もかも凍っています。
八ヶ岳連峰の最高峰である赤岳方面が綺麗に見えます。

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一旦下ってまた登ると東天狗岳です。ここは2640mだそうですが、どっちの山が高いのかは見てもわかりませんでした。
南を見れば今通って来た西天狗や赤岳など、北を見れば蓼科山、西を見れば諏訪湖、茅野の街並みと中央アルプスが見えます。

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登山道から外れると見た目には普通ですが深いところは1mくらいの雪が溜まっていました。
一見普通に行けそうな凍った雪の上をそおっと歩くと突然ボコッと落ちてしまいます。
一度落ちると手を付いて上がろうにも手も雪の中に落ちてしまうのです。
両肘を雪の上について圧力を分散させて表面の雪が割れないようにします。
時には体を寝かせて圧力を分けなくては上がれません。
その上で雪の中に引っかかっている靴を回しながら足を抜いていきます。
木のてっぺんまで雪がある場合、その上は雪の中に骨組みがあるようでなかなか割れにくく歩き良いです。
そこを歩くのは快適です。しかし一度落ちてしまいました。
木の根元には雪があり、その上は空洞があってさらにその上の枝が多いところにたくさんの雪が積もって固まっていたのです。
ちょうどカマクラのように暖かく、そこでリュックを下ろしておやつタイムとしました。
不思議な空間でした。
十分に雪山を堪能させていいただきました。
よい経験にもなりました。
なによりも天候に恵まれました。

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11月のはじめパソコンが壊れてしまいました。

去年の三月に買ったばかりの少しお高いデスクトップでした。

使い方が荒くよく壊れるのでCPUの良いものにすれば長持ちするかと思いましたがだめでした。

仕事の連絡などが入るので急いでネット環境を整えなければいけません。

近くのヤマダ電機に走り、

「ネットができればいいから一番安いのを。。。」

レノボ社の27800円という格安品でした。

なかなかおしゃれなデザインで4,5年前の10万円近いノートパソコンには負けていない感じです。

マイクロソフトのキャンペーンで1200円でウィンドウズ8にアップグレードできるとのこと。

しかし簡単にはできません。レノボやマイクロソフトに問い合わせ格闘すること数日、

マイクロソフトのサポートの方には数人が立ち代り、何時間もおつきあい頂きました。

パソコンにはセキュリティーやリカバリーソフトなど初めからいろんなソフトが入っていますが、

このどれかが8をセットアップする領域を使っているようでした。

それらをチェックしあれこれやって、ようやく8が使えるようになりました。

デザインが斬新なのと動作が軽快なので気に入っています。

XPからビスタそして7に変わった時と比べてこれまでのソフトなどがそのまま使えることが多いようで

ストレスが少ないです。。。

タッチパネルではないですが面白いです。

もう少し使い方を学ぼうと思います。
だんだん寒くなりましたね…

山は既に真冬のようです。

見ている分には綺麗です。

いずれもご近所からの写真です。

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先週の金曜日は小学校のマラソン大会でした。

5年生の三男は朝9時10分のスタートで学校の近くのかなりの坂道を3km走ります。

2年生からずっと学年で一番で今年はいつにも増して練習を重ねていたのできっと一番だろうと思っていました。

クラブチームの厳しい練習にも耐えてきました。
そのクラブチームからは大きくなって全国大会や箱根駅伝に出る選手が何人も出ています。
あと一歩でロンドンオリンピックを逃した宮脇選手も属していました。
練習がきついためかメンバーはかなり少ないようですが、速い子ばかりが残っています。

市町村駅伝にも出させていただいたので何としても一番になって欲しかったです。

彼も自信があるようでスタートからかなり突っ込んだ走りをしています。
やはり一番で戻ってきました。
二番の児童とは一分以上は差がついていたようです。
新記録を更新でき、6年生の新記録にもあと五秒差だったのを残念がっていました。

ちなみに高二の長男も記録を持っていましたが、コースが変更となりその記録はなくなり、ここ5年間くらいの新記録ではあります。

素直に嬉しいです。
勉強ができるよりも足が速いほうが嬉しいおかしな親ではあります。
彼はサッカーを頑張りたいそうで陸上の練習は当分はお休みだそうです。

また同じ日ですが、中三の次男の校内合唱コンクールがあり、彼のクラスが全校23クラス中の最優秀賞になったそうです。

今の子達は色々と輝ける場面があって有難いことです。

なんでも素直に喜ぼうと思っています。

夜はご褒美のケーキとお肉でした(笑)

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万里の長城で遭難された方々には大変気の毒に感じます。

旅行会社の責任や現地の代理店に丸投げする形の業界のあり方には疑問を感じます。

ただ、この時期に中国北部の山岳地帯に行くのはかなりの危険だと思います。
参加するのはそれなりの覚悟と準備をされたものと思いますが、天気予報を見て取りやめにする、当日危なくなればすぐに戻ることをガイドに告げる、などの自己管理が出来なかったのかと残念です。

10年以上前だが、地元の山歩きの会に入ったことがあった。
30代は俺だけでメンバーの多くは60代以上、そして大半が女性だった。

年少で男性の俺は当然のように役員にされてしまった。
他の役員もみな男性だった。
役員は実に熱心だった。
皆で話し合い、細かく検討したうえで山を決め、下見までした。

チラシを作りコースタイムや注意事項など細かに書き込んだ。
登山口まで車でメンバーを乗せるのも役員が分担した。

「今日はどこの山に連れて行ってくれるの?」

車の中でメンバーの女性にそう言われ愕然とした。
あんなに苦労したチラシを読んでもいないのだろう。

美しい風景に出会えばキャーキャーと子供のようにはしゃぎ、
ちょっとした岩場や急坂があればすぐに愚痴をこぼす。

役員もその人たちも同じ会のメンバーである。
もちろん役員の報酬などはない。
下見やチラシや会合の費用などの持ち出しは多い。

会員の女性はみんな良い方で息子の様な俺をかわいがってはくれた。
他人にお任せの意識が強すぎるのが日本人の悪いところかもしれない。
「お客様は神様」は言い古された言葉だが、それはお店の側からの言葉であって、
客側はそう考えてはいけないと思う。そう考えないことが自分を守ることにつながるのだ。

「もしも怪我や遭難などがあればあの時も責任を問われたりしたのだろうか?」

今回の遭難を受けてなぜかこの会の事を思いだした。

詳細はわからないが、しっかり自己管理をしていての遭難なら仕方がないともいえる。
山や旅には危険はつきものだからだ。しかもこれは冒険旅行らしい。
すべて旅行会社やガイドにお任せで遭難してしまったのなら、今後自分が参加するときは
「自分の身は自分で守る。」を心掛けていようと思う。

写真はドイツの最高峰ツークシュピッツです。

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2006年9月4日にこのブログはスタートしたようだ。

当時はパソコンを買って間もない頃で、ヤフーのトップ画面の項目を恐る恐るクリックしながら「ブログってなんだ?掲示板てなんだ?」とやっていたうちの一つだった。

近くの風景を写した最初の記事を載せた後はドキドキしながらコメントを待った。
しかし誰からもコメントはなく、この時点で辞めてもよかった。

適当に出てきた他の方のブログにコメントを載せるとそのうちの一人からコメントが来た。
嬉しかった。

間もなく俺のブログは子供たちの成長記となった。
長男が5年生、次男は3年生、三男に至っては年中さんであった。

それでも最初はコメントを残してくださる方も少なく、写真で笑っている自分の子供たちが妙にかわいそうに思えたこともあった。

そのためもあってこちらからコメントを残していき、たくさんの方が来て下さるようになった。

多い頃は一つの記事に50人くらいの方が来て下さり、自分の返事を入れるとコメントが100を超えることもあった。

しかし、多くの方がブログを辞めていった。
生真面目にコメントを返していた人はたいてい辞めてしまった。
もしかすると俺との付き合いが無くなっただけで他でやっているのかもしれない。
いずれにせよブログと言うのは放っておけば人が来なくなり、廃れてしまうようだ。
そうなると記事を載せる気分が失せて来てますます廃れてしまう。

最近は載せる記事がない。
大きくなった子供たちの画像を載せる気にもならないし、
大体、子供たちとどこかへ行くなどのイベントが減ってしまった。
山の写真ばかり載せても多くの人にはつまらないだろう。
ヤマレコという山登り専門のサイトがあり、そちらに山の記録は載せている。
こうした独り言ならいくらでもかけるがよそ様にお見せするようなものではない。

新規訪問をしないので来て下さる方も減ってきて、
「記事を載せなくては。」という気持ちが無くなり、
気楽でいいのだが、気が付けば長らく放置した状態となってしまう。

わざわざ閉じることもないので開けてはいるが、開店休業状態だ。

たまに来るなじみの客とのたわいのないやり取りを楽しむ老店主といった風情であろう。
突然の閉店も有りうるかも知れないが、今しばらくは看板を掲げておこうかと思ってはいる。

写真は今日撮ったもので我が家の近くからの中央アルプスと南アルプスだ。
すばらしくいい天気だった。

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