今日2月12日は長野県の公立高校の前期試験の日です。

いわゆる推薦入試です。

すべての高校で行われるのではなくて普通科以外の学科や、比較的低い点数で入れる高校で行われているようです。学力によらず自分の夢を実現したいと思っている生徒たちのためのものといえるかもしれません。
先ほど述べた低い点数で入れる高校にはコース制をとる学校が多いです。福祉、音楽、など学科まではいかないまでもコース制で興味のある内容を学ぶことができます。

今の中学生の中にもしっかりした子は多いです。パン屋、パティシエ、美容師、料理人、ファッション関係、福祉関係、などの仕事に就きたいという夢が人気です。

高校によって差はありますが、推薦入試は面接と内申点で合否が決められます。
夢を実現するためにこの高校で自分がしたいことを熱く語る必要があります。

中学でも指導されますが、先生たちが指導する話の内容には熱さがありません。
大人が作ったような小ぢんまりとまとまり、面白味のない表現に変えられています。

「どこの中学の生徒もみんな同じ内容だったら、どうして君が合格できる?」

「大人っぽい表現なんてしなくていいから自分が何をしたいのかを熱く語れ!」

中学で訂正された内容を俺と一緒に再び直します。

最後の判断は生徒に任せます。

「自分の言いたいことがしっかり言えているのはどっちだ?」

100%の確率で俺の方を選んでくれます。
合格率はなかなかいいです。
合否は内申点によるところが多いのですが、同じくらいの内申なら面接の内容は大きな要素となります。

高校、特に職業学科の先生は話が出来るというか、熱い気持ちを持った方が多いようで、
熱くて元気な生徒が好きなようです。

ただ、高校生になって大学の推薦を受けるときには同じ先生なのになぜか小ぢんまりとまとまった面接を
するように指導してしまうのが残念です。

いずれにせよ勉強が得意でない生徒でも真面目に一生懸命頑張れば自分の夢を見つけ、そこにむかって頑張る道が開けているということはいいことですね。

少し落ち込むことがあるとこの世の終わりのように嘆き悲しみ、「必死に頑張る」などと言う事だけは
一流のようなことを言う。しかし、数日すれば何事もなかったかのようにヘラヘラしている。そんなヤツが多いです。

一方、陰日向なく努力を続け真面目に精一杯生きているヤツもいます。

高校の先生たちは顔つきや話し方も含めて、しっかりと見て間違いのない判断をして頂きたいものです。

面接を受ける生徒たちは「受かろう」とするのではなくてしっかりと自分を表現して言い残したことがないように心がけてほしいです。

春は少し先に見えています。
最近テレビを見ていて気になることがある。

「○○○○だと私は思います。」

多くの政治家やコメンテイターがそう述べるのを耳にすることが多い。

「私は」の部分は必要なんだろうか?

「○○○○だと思います。」

の方がすっきりしていると私は思う。(笑)

少なくとも以前の日本語にはあまり「私は」は出てこなかったように記憶している。

もちろん沢山の言語を知っているわけではないが、日本語以外の言語では主語である「私は」は文を作る上で欠く事ができない。

中高生の古文の問題でよくあるのが、

「文中の傍線部の主語を書きなさい。」

というものである。

元々日本語では主語を省略するのが一般的だった。

主語を明らかにしていく傾向が顕著になっている。

それにしてもあまり、必要でない部分に「私は」を付けるのは耳障りでしかない。

日本は自己主張しない国家なので「私は」を付けてこなかったのだと思うのだが、

最近の日本人が自己主張するようになったということだろうか?

「私は」をつけることで逆に自分の主張を弱める気持ちがあるように思える。

「好きです。」

「私はあなたを好きです。」

この両方を比較すると無駄なものが省かれたほうが強い気持ちが表れている。

無駄なものを色々と付けることによって表現した責任を軽くしようとする意図があるように思う。

発言の中に「ちょっと」や「要するに」「○○ねぇ」など耳障りな単語が入ることも多い。

少なくともテレビで有識者として発言する人には誰が聴いても心地よい日本語を話して欲しい。
先日、土日と嵐のような天気の中、飛騨の山の中を越えて受験に臨んだ次男です。

昨日合格通知が届きました。富山高等専門学校商船学科に合格です。大型船の船長になり、海外で活躍するのが夢だそうです。正直なところ厳しいと思っていましたが、よく受かってくれました。

今から15年以上前のことです。まだ2歳にならない長男と俺たち夫婦は大阪に住んでいました。

妻は里帰り出産で伊豆の稲取にある実家に戻っていました。

その実家のお義母さんからの電話です。

「家に誰もいない時に急に具合が悪くなって、近所のいとこに病院に運んでもらったの。母子ともに危ないって、、、すぐに来てくれる??」

慌てた様子でそう言ってます。

『母子ともに??へ??なんで? どうして救急車じゃないの??』

頭の中に????がたくさん出てきましたが、お義母さんに言っても仕方がないので急いで新幹線の人となりました。

ケイタイもない時代です。今どういう状況なのか知るすべがありません。

熱海までの新幹線の遅いこと、、、ずっとまだ見ぬ赤ちゃんと妻の元気な姿を祈っていました。

熱海で乗り換え、伊東の病院に着いたときはもう暗くなっていました。

小さな産婦人科です。看護師さんに案内されて恐る恐る病室に入りました。

お義母さんたちはもう帰ったようで、妻が一人、横たわっていました。

「ああ、来てくれたの? さっき、みんなは帰ったよ。」

妻は大事には至っていないようです。

でも赤ちゃんは?なかなか妻の口からはその言葉が出ません。

ズケズケとなんでも聞くことができる俺ですが、その時だけはさすがに聞けません。

面会時間が過ぎた小さな病院はとても静かです。その静けさが今だに忘れられません。

きっとわずかな時間だったのだと思いますが、俺にはとてつもなく長い時間に感じられました。

妻がゆっくりと話してくれました。

「未熟児だってわかっていたからはじめから救急車が待機していて、沼津の大きな病院に連れて行ってくれたんだって、、、、。」

「え?沼津?じゃ、元気なんだね。」

ほっとしました。とにかく母子ともに生きています。それが一番嬉しかったです。

沼津は伊東から一時間くらいかかる場所です。生まれてすぐにえらく遠いところに運ばれたものです。

妻の実家の稲取は伊東から沼津とは逆方向に一時間の距離のところにあります。

実家に行くと4日後に2歳になる長男がいました。

突然母親が入院し、楽しみにしていた弟もそこにはおらず、きっとさみしいに違いないのに、ひとことも

そんなことを言わない長男にぐっときてしまいました。

妻の両親や弟夫婦、同じ年のいとこたち、みんなが親切にしてくれます。

それでもきっと急に母親がいなくなったことをどのくらい理解できているのか?

母親のことは一言も口にしません。ごく普通にしています。健気で可愛そうで、、、

次の日は沼津の病院に行きました。小さな子供は入れないので長男はおいていきました。

保育器に入った次男の小さなこと、、、体のあちこちに付けられたコードのようなものが痛々しい。

心音を測る機械が急にピピっとなると「ドキッ」とします。

『こんなに小さくてちゃんと育つんだろうか?』

きちんと生きていることを確認すると次の不安が出てきます。

俺は大阪、妻は伊東、長男は稲取、次男は沼津、4人全員がバラバラの生活が始まりました。

それから数年経っても次男は体が弱く、冬になると決まって喘息だの、なんだのと入院してくれます。

彼の急な症状で行けなくなった旅行がいくつもあります。

北海道のキャンプ場で症状が出て、小児科に駆け込んで吸入器を付けてもらったこともあります。

保育園から小学校にかけての彼のやることは不思議でした。

突然走り出したかと思うと迷いもなく火災報知器を押したり、

学校では雑巾の汁をすすってみたり、友達の首を絞めてみたり、田んぼの水を抜いたり、

新品の傘を手で曲げてしまったり、、、、

そんな彼ですが、5年生の時に運動会のリレーの選手に選ばれたときは涙が出るほど嬉しかった
のを覚えています。

『やっと人並みになってきた。』

そのころから運動や行動、勉強もだんだんよくなってきました。

結局中三までずっとリレーの選手でいることができました。

決して勉強ができる子ではないのですが、目標ができてからはよく頑張っていました。

そして今回の合格です。素晴らしく勉強ができるようになったわけではありませんが、

少なくとも人並みになったのは間違いありません。彼なりに自信もついたでしょう。

親がしてやれることは少なくなってきました。しかし、まだまだ世の中では使えない子供です。

あとは世間様に育てていただかなくてはいけません。

なんとかそのレベルまでは育ってくれたようで嬉しい限りです。

他の子供よりも何歩か遅れたスタートでしたが、よく頑張ってくれたと褒めてあげるしかないと思っています。

いつか俺を乗り越えていってくれる日がわずかながら見えてきたように思えます。
ん? 前と同じ記事?

そう思った方もいらっしゃるかも?

昨日登った山は20日前に登った山と同じ、我が家から正面に見える陣馬形山です。

しかし、今回大きく違うのは妻と登ったことです。

妻はこれまでも結構登っていますので、ここくらいならどうということはないのですが、

それでも幾らかは気を使います。

週末に降った雪のためでしょうか?前回よりもかなり雪が多いです。

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動物の足跡がやたらと目に付きます。

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これはなんの足跡でしょう??

人ではありません。人よりはかなり小さいし、40cmくらいの雪のこんな斜面を人は上手く登れません。

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これは・・・?   人です。

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今回はトマトの缶詰と野菜などを持って行き、火にかけて麺を入れて頂きました。

深い雪の中この風景を見ながら、もちろん自分の家や子供たちの学校なども見えるのですが、

そう言った風景をおかずにして温かいものを食べるのは最高でした。

この山は冬に登るのが最高です。

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26日の土曜日、富山県の射水に行かなくてはいけない用事がありました。

我が家からの道はまさに山岳道路です。

我が家の標高は約700mで途中の最高地点は1500m弱あります。

そしてゴールは海沿いなので標高は0です。

単純に上って下りるわけではなく、何回も上り下りが続き、ほとんど平坦な道がありません。

夏場には何度か通っており慣れているのですが、今回は冬です。

しかも土曜日は年に一度の悪天候でした。

権兵衛トンネルを抜けて、木曽から野麦峠近くを通り、乗鞍近くをとおり、上高地の近くをとおり、

奥飛騨温泉、平湯温泉、を抜けて富山に降りていくのです。

自宅を出た時から「こんな雪は滅多にないぞ。」と言わせるような降りでした。

路面にはすでに雪が積もっています。

野麦峠近くの峠は通る車もほとんどなく、除雪はしているようですが、降り続く雪に間に合っていません。

カーブが続く急な上り下りに慎重にアクセルとブレーキを踏み分けながら進んでいきます。

上高地近くの沢渡辺りでも週末ながらほとんど通る車はありません。

安房トンネルの先は延々と続く下りで、膝がガクガクします。

ちみみに気温はマイナス7度でした。

軽自動車なので雪道や山道は得意ではありません。

唯一ありがたいのはスタッドレスタイヤが新品だということくらいです。

しっかりと雪が残る道はまだ走りやすいのですが、除雪されてワダチが溶けてその周りが凍っている道が一番走りにくいです。

船のように右に左にと車が揺れます。下りカーブで揺れると「ドキッ」とします。

なんとか国道41号線まで来ました。標高もかなり低くなったし、道も広くなるので楽なはず。

しかし、ここから天候が悪くなってきました。

強い風でボンネットの下から吹き上げてくるような雪が続いて周りは白一色で視界が悪くなってきました。

道路がどう続いているのかさえ全くわからなくなりました。

ワイパーに雪が溜まり、それが凍りついてフロントガラスについた雪が落ちなくなってきました。

路肩に寄せて止めればいいのですが、道路さえもわからない状態で路肩など全く分からず、

下手に寄ると雪の中に埋もれて出られなくなる可能性が高いです。

停車すると追突される可能性が高く、進むしかないのです。

そんな状態でしばらく走って、なんとか富山市内に着いたときは心からほっとしました。

途中二箇所で車が道路から落ちていました。警察の方も大変そうです。


ホテルにつきましたが、雪は止みません。

乗り物酔いはしたことがないのですが、体がガタガタと揺れているような感覚は寝るまで続きました。

問題は帰りの道です。

天気予報では飛騨の山岳地方では夜の降雪が80cmになると言ってます。

「昨日の地獄に更に80cm上乗せされるとこれはどうなるんだろう??」

ほかのルートも検討します。

高速道路を通る道は二本あります。

上越から妙高を抜ける道と白川郷を抜ける道です。

一般道は他にもありますが、小谷村から白馬を抜ける道です。

どれも豪雪地帯だし距離がかなり長くなり、危険にさらされる時間が長くなります。

また高速はこの日一部区間で通行止めでした。

帰りも山岳ルートしかありません。

『這ってでもたどり着くぞ!!』

滅茶苦茶気合を入れて出発です。

射水市内、富山市内の道路は融雪のため水が出ているところがありますが、そういうところは普通に通ることができます。突然その設備がなくなると例のワダチが現れて一気に進めなくなります。

国道41号線に出ました。完全に除雪されています。しかも予報に反して晴れています。

あんなに狭かった道は広々としていて、周りの停車スペースもきれいに除雪されています。

「昨日の地獄はどこへ行ったんだ?」

気をつけてさえいれば普通に走ることができます。

夜中までかかる覚悟でしたが、夕方には無事に家に着くことができました。

天候と除雪のありがたさと重要さを改めて知らされました。

ちなみに用事は??

次男の受験です。そっちの方は担当が次男ですので、彼に任せるしかありません。

新湊のスーパーで地元産の生のかにと氷見のぶりを買い込みました。

ホッとしたあとの日本海の幸がどれほど美味しかったのかを表現することができません。
今日の信濃毎日新聞の記事だ。特別支援学校の寄宿舎勤務の30代の職員が女子生徒にわいせつな行為をしたらしい。それ以上のことは載っていない。

長野県ではこの一年だけで7、8件の教職員によるわいせつ行為が明らかになっている。そのうちの二件は自ら勤務する学校の女子更衣室にビデオを仕掛けて盗撮していたらしい。

明らかになっていないものはこの他にどのくらいあるのだろうか?という心配が尽きない。
普段俺は高校生や中学生の自宅の部屋に入って仕事をしている。そこでの生徒たちは無防備で、俺を信頼していることもあり、かなり危うい生徒もいる。

「おいおい、下着くらいはちゃんとしまっておけ!俺が持って帰ってしまうぞ!!」

「先生!持って帰ってもいいよ~~」

「あほか!いらんわ、、そんな趣味は無いわ。お前のなんか、、、」

「ひど~~い。」

「何がひどいねん!さっさとしまえ!」

学校では大勢の友達がいて、大騒ぎをしながら生活をしているのでもっと危ういのだろう。
不祥事を起こした教員達はたいてい懲戒免職となっている。しかし、名前などは明らかにされない。

被害を受けた生徒たちが将来恋をして、結婚できればいいのだが、、、と願うばかりである。

ある県では教員の退職金の引き下げが予定されていて、その前に駆け込みで退職する教員が大勢いるらしい。中には担任を投げ出してこの1月に退職する教員もいるらしい。
わいせつ行為をする教員がいて、無責任に退職する教員がいて、おそらくその何倍もの病んでいる教員がいるのだろう。そんな教員を先生と呼ばなくてはいけない生徒たちは不幸だ。また周りにこのような教員がいる一般の熱心な教員も不幸だ。

何を言っても生徒に対するわいせつ行為は許せないが、教員の大変さは計り知れないものがある。全く躾が出来ていなく、体ばかりが大きくて、可愛くもない幼稚園児のような生徒たちの面倒を見るのは俺には無理だ。一人、二人ならなんとかなるがクラスに40人いて、部活にもかなりの人数がいる。俺ならきっとすぐに手も出て足も出て、すぐにクビになるだろう。

もっと給料や福利厚生を減らして、その分負担を減らすのが良いだろう。
一人の教員が関わる生徒の数を減らすことが必要だ。
乱暴に言うと、10人分の人件費を15人分とするわけだ。
授業以外の負担を減らすことも大切だ。
会議や研修等が多すぎる。

例えば、俺の経験だが、保護者が行う学校の清掃整備活動の時でも、ひとりひとりの持ってこられる備品を調べて担当を決めて、分担を割り振り、それを保護者に確認し、書類に書き込む。掃除場所はきちんと区分されていて、それらの作業はすべて担当となった教員の仕事である。

学校を綺麗に、生活しやすくするだけなので大体でいいじゃん。
保護者だってそのくらい自分たちでしっかりとできるよ。
俺はそう思うのだが、、、

例えば部活動、地元のごく普通の中学の部活でもほとんど休みはない。平日の部活は日が沈むのが早い冬場はほとんど行えない。それなのに社会体育と称して、別の場所で練習を行う。指導は顧問だ。
練習試合は遠くまで行ってはいけないという学校の規則がある。そこも社会体育ということで遠征や合宿にまで出かける。生徒の方でさえ休みは一ヶ月で数日しかない。それを手配する教員はどれだけ大変な仕事なのだろうか?

仕事が大変だから悪いことをしても仕方がない、という話ではない。
自分の子供や生徒が教員を目指したいといった場合、俺の立場で応援できるかどうかと言ったら、
微妙な判断だ。

教員は先生として尊敬され、みんなの憧れの職業であってほしい。
もう少し教員の負担を減らし、暴力やわいせつ行為にはもっと厳しく対処しなくてはいけない。
家から車で10分くらいで光前寺に着く。

光前寺は長野の善光寺程は有名ではないが、近隣では最も有名なお寺で観光バスで訪れる人も多い。

海抜は800mを少し超えるくらいだろうか?

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そこから長靴に履き替えて雪山を散歩する。

アスファルトは乾いているところも多いが、除雪していない遊歩道はかなりの雪がある。
道端の馬頭観音様や道祖神様も忘れ去られたように雪の中に埋もれている。

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家族旅行村という家族連れがキャンプをするようなファミリー施設の勝手知ったる遊歩道だが、
この時期には踏み跡もなく、もちろん除雪もされていない。

そこを山に向かってどんどん歩く、草や葉っぱがないので歩きやすい。
蛇やくまは雪の下で寝ていてくれることと信じて歩く。
深いところは40cmくらいの雪で、一歩々々が大変である。
全く人がいない、近所なのに普段経験できない雰囲気だ。
怖いのがサルの群れだ。なにせ、相手の領土で、餌を必死に求めているやつらだから、、、
特に、女子供と老人は危険だそうだ、
ひとつの群れに出くわしたが、向こうから避けてくれた。まだまだ若いと見てくれたようだ(笑)

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目的地はこの展望台だ。
ここは車でも来ることができるし、夏ならなんてことのない場所だ。
雪道をしっかり歩くのが楽しい。
その分、夏とは違う風景にも出会える。
膝まで埋まりそうな雪道を慎重に下る。

往復2時間半くらいだろうか?
いい運動ができたし、いい体験が出来た。

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昨日今年初めての登山に行きました。

年末年始でなまりきった体です。

一昨日、荷物を背負って何時間か歩き、体を起こしてから昨日の登山に臨みました。

今年の目標30回の登山の第一回目です。

登山道までは自宅から車で40分です。我が家から目の前に見えている山です。

この山は実は山頂まで車道が続いています。

しかし、歩くといいんです。

冬は車が来ないので尚更です。


まずは枯葉の積もるなだらかな道です。

枯葉が太陽の暖かさを溜め込んでいるのか、とても暖かいです。

枯葉を分解する微生物の熱の暖かさかもしれません。

とにかく枯葉の道は暖かく、サクサクと音がして気持ちがいいです。

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登山者は誰もいません。きっとクマも寝ています。静かです。

木の枝には葉っぱがないので、伊那谷と中央アルプスがずっと見えていて明るいのです。

歩くたびに高いところに来ていることが実感できます。

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標高が高くなると雪道が現れます。

しかし、凍ってはいないので歩きやすく、どちらかというと気持ちいいくらいです。

滑落してしまうような道ではないので雪といっても安心です。

ちなみに靴は長靴です。なんとなく地元の山人っぽくて格好いいかな?と思っています。

長い時間の登山や、岩や大きな段差があると、底が固くない長靴はよくないのですが、

この山は長靴が最適です。

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今回は登山開始から1時間30分で山頂に着きました。

登山道が車道を縫うようにして通っているので自分が歩きたいところからスタートできます。

何回も来ている山頂ですが、思わず声を上げてしまうくらいの絶景です。

ここより素晴らしい風景はないのかもしれません。

もっと高い山も知っていますが、山頂から里までの距離が近いのがまたいいのです。

光の加減で目の前の中央アルプスがくっきり見えるのもいいし、振り返ると南アルプスが目の前にあるのもいいのです。

この山頂には双眼鏡が置いてあります。無料です。

我が家のベランダから子供達の学校のグラウンドで体育をしてる様子、
千畳敷に人がいる様子まで見ることができます。
夏と違い、陽炎がなくて空気が澄んでいるためでしょう。
塩見岳の雪の迫力はこの望遠鏡でしかわからないくらいです。

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暖かな山頂を堪能して下山します。
南アルプス方面も見事に見えています。
この風景を独り占めしているなんて申し訳ないくらいです。
この日は登山者は0でした。
この山でしたら皆さんをご案内できます。
どちらかというと冬の晴れた日に訪れたい山です。

朝、ゆっくりと家を出て、午後イチにはもう家についているので仕事がある日でも登れる山です。
新年最初にふさわしい登山となり嬉しい限りです。

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その年の暮の日本はどこか重いムードに包まれていた。

忘年会が自粛されクリスマスの盛り上がりも遠慮がちだったように記憶している。

陛下のお年を考えると誰もが覚悟していたこととはいえ、ついにその時が来たか、という思いだった。

俺は昭和天皇に特別の思いを持つほどの年齢でもない。当然戦争を経験しているわけではない。

天皇制がどうのと意見するほどの知識もない。

まして当時は20代の若造。外野から日本のその時を眺めているような気分だった。

新聞には陛下の体調悪化が細かく載せられた。

吐血、下血、そして輸血量の合計がいくらになったなどと毎日細かく載っていた。

苦しんでいる時にそんなことまで公開しなくても、と陛下が気の毒になった。


年が明けて数日後その時はやってきた。

時代がひっくり返ったような気分だった。

戦争という大事件が起こったときの天皇陛下が亡くなったのだ。

沢山の方が天皇の国を守るためにという名目の下、亡くなられたのだろう。

戦争を知らない子供たちのさらに下の世代の俺には理解できない感情が世の中には沢山あるのだろう。

テレビ、ラジオは追悼番組一色となった。

その日は、営業車を滋賀県の山中に停めて一日中ラジオを聴いていた。

仕事をする気にもならないし、きっと仕事にもならないだろう。

玉音放送というやつを始め、昭和という時代を象徴するような事件などの内容が多かった。

自分が生まれた時代が終わったのだから、これからどうなるのだろう?

それが一番の本音だった。

あれから随分時間が過ぎた。

昭和という時代を知っていること自体が貴重となってきた。

昭和を知らない子供達、なんて歌が出来ても不思議ではない。

ただ、言えることは自分の周りのこの平和な時間がいつまでも続いて欲しいし、

たくさんの人にとってもそうであって欲しい。
新年明けましておめでとうございます。

家族5人でのんびりと過ごしています。

ポカポカと暖かそうな外の日差しです。

去年に引き続き次男はダウンしています。

風邪かな??

明日はひと組だけ教えに行きます。

中三の女の子達です。

家族は祖父の家に帰るのに一人だけ受験なので家にいるそうです。

3日からは我が家での勉強会で午後からもしっかりと仕事です。

のんびりできるのは今日だけというわけです。

その日に寝込む次男はTW(タイミング悪い)です。

あすからキャンプ、あすはマラソン大会というと体調を崩します。

精神的なものではなくてただのTWです。

長男と三男はサッカーボールを蹴りに行きました。

穏やかな新年で嬉しいです。

今年の目標は山登りに30回行くことです。

そして30回無事に戻ってくることです。

頑張ります!!

皆様にもいい一年になりますように、、、