映画『グッドモーニング・ベトナム』 | トーキングドッグ

映画『グッドモーニング・ベトナム』

1987年の作品。主演ロビン・ウィリアムズ。ベトナム戦争時の、兵士向けのラジオのDJのお話。実話に基づく。


やはり子供の頃に観たきりで、ベトナム戦争の悲惨さがどう描かれているか気になったので再鑑賞。しかし戦争の実態はほとんど映らず、「なんだこれひでぇな」と思ったが、敢えて「違う手法」により当戦争の理不尽さを示そうとしたのかもしれない。主人公が街で現地ベトナム人と触れ合い、そこで起こる齟齬によって。


ベトナム戦争の理不尽さは歴史上まれに見るものと思われ、それに比すればアメリカ軍内の葛藤などどうでもいいし、アメリカの傲慢さをメタファーで示されても胸に迫ることもなく、内容は薄い。




主人公「この国を助けに来たんだ」


ベトコン「(アメリカ人は)同胞を殺しに来ている」

「なぜだ。 (ベトナム人を)人間と思ってないからだ」




そもそも、他人の国にずかずかと入り込んだ時点で、感謝などされるはずはない。それは第二次大戦中の日本も同じ。あの戦争を「アジアを解放するための聖戦だった」と正当化する言説は根強くあるが、現地人も大勢殺しているわけで、「(大東亜共栄圏という)理念のために、殺されても納得してくれ」と殺した側が言っても。なぜそのような理不尽さがまかり通るのかと言えば、「(現地人を)人間と思ってないからだ」。


自分は当然、どこまでいっても「殺される側」の人間なので、その視点で居続けるよりない。




映画に戻ると。


『ハンバーガー・ヒル』は、ベトナム戦争の悲惨さをきちんと描いていた、記憶。やはり子供の頃観たきりなので明確ではないが。現地のアメリカ兵と、マスコミーアメリカ国内にいる市民との齟齬。アメリカ兵による戦わない者への軽蔑と、実際に戦っているベトコンへの敬意。


ロバート・デニーロ主演の『ディア・ハンター』もベトナム戦争についての作品だが、大人になってから振り返ってみて酷さに気づく。ベトナム人が凶悪に描かれていて、あれはないよなと。それは結局、アメリカの後ろめたさによるのだろう。


そもそもアメリカという国は、先住民を銃で殺しまくって建国された国なので、他民族を「殺してもよい悪者」としないと正当性や正気が保てない、という基盤がある。…いや話が長くなる。




『ディア・ハンター』で流れる「カヴァティーナ」が、子供の頃はすごく美しい曲に思えて好きだったのだが、映画を思うとちょっと白けてしまう。