立ち位置、潮流、謙虚さ。 | トーキングドッグ

立ち位置、潮流、謙虚さ。

『セクシー田中さん』は読んでいないのだが、新聞の書評で激賞されていたのを目にして気になっていたし、個人的に漫画家はリスペクトの対象なので、事の顛末を追いかけてしまった。


いろいろ議論されているようだが、本質はシンプルだろう。原作者の「原作に忠実に作ってくれ」という約束を、TV局側が守ろうとしなかったことが全てで、約束を守れないならドラマ化するべきではなかった。


なぜ守ろうとしなかったのかといえば、TV局が原作者と対等に向き合っていないから、下に見ているから。最悪の結末となって自らの責任は明らかなのに、責任がないかのようなコメントを出して終わらせようとしていることからも、いかに他人を見下しているかがわかる。斜陽産業のくせに「電波」の特権を笠に着て、権力意識だけは高いのだろう。「ドラマ化してもらって、嬉しいだろう?」




脚本家側、TV局側の人が「脚本家もオリジナルを書きたい気持ちはあるが、確実な成果を上層部から求められるから、原作ありきになってしまうのは仕方ない」という書き込みをSNSに。他に「TV業界はスピード感が違う。外から来た人は戸惑うかも」というのも。


要は枠を埋めるためのやっつけ仕事ということだ。大して描きたいこと、伝えたいものがないのにクリエイター気取りな連中と比べて、漫画家は少ない枠を勝ち取って書いているのだから、中身はよほど濃い。原作をドラマ化したものを観る時間があるのなら、原作そのものを10回読んだ方が有意義なのではないか。


「そもそも君は漫画をバカにしてる以前に、人をバカにしてるな」
「謙虚さのカケラもない、君の出す雰囲気」


いや、どんな態度で何をクリエイトしようが是非などないのだが、視聴者側としては、少なくとも原作付きTVドラマはもう観なくていいのではないか。TV局は当然視聴者のこともバカにして番組を作っているはずで。「こんなもんで喜んで観るんだろ?」

当然観るべき番組もあるし、素晴らしい人格者、本物のクリエイターもいるだろうが、総体的に。ますますTVを観る気が失せてくる事件であった。