前回のブログでも触れましたが、
人には生まれつき「承認欲求」があります。
私たちの本能がそうさせているということと、
さらに経験がさらにそういった思いを付加してくのでしょう。
人間の赤ちゃんは親が面倒を見なければ
餓死してしまいます。
つまり生まれ落ちたその時から私たちは他者を必要とします。
親でなくても親代わりの誰かが必ずいなければなりません。
そういった成長過程を踏むのですから
当然子供は親の顔色を見ないわけにはいかなのです。
だってそれが生死を分ける重大なことなのだから。
理屈ではなく本能がそうさせているのですよね。
赤ちゃんはもちろん言葉を話せません。
泣いて自分の状況を知らせるしかないですよね。
この世に生を受けたその瞬間から
私たちは母親や周囲の大人なに
「私はここにいるよ!」「私を見て!」って
そんな風に泣いて自己主張していると
私は思っています。
この世に生を受けたよと宣言したのですね。
もし赤ちゃんが言葉を話せたなら
きっとその子は「話」を始めることでしょう。
お母さんやお父さん、家族に聞いてもらいたい「話」
それはどんなストーリーなのでしょうね。
この世に生を受けた感謝なのか(だったらいいですね)、
眠い、食べたい、眩しい、痒いとかそんなものなのか
それとももっと哲学的な事かもしれませんね。
まだほとんど何も経験していない赤ちゃんですら
自己主張したいことで一杯なのです。
だから私たちは大人になるにつれて
ますます言葉に長けるとそれを使わずにはいられないのです。
トークケアはこの「話す」ことをより前向きに
楽しく扱っていくことを目指しています
K
今日のようなお天気の時はわがやの猫も眠そうです。