ソニア・ヘニーの映画 | 2.26事件を語ろう

2.26事件を語ろう

226おたく、フィギュアスケートおたくなので、手持ちの書類や証言を整理して公開しておきます。ここでは小説のような作り話ではなく、ノンフィクションのような事実だけを書いておこうと思います。

 主演映画「銀盤の女王(邦題)のチラシもここでデジタル保管しておきます。
 発行年は書かれていませんが、1946年度の人気スターの総括記事が載っているので、おそらく1947年のものでしょう。
 2.26事件は1936年、それからわずか4年で日米開戦。
 1945年に原爆をおとされ、終戦。
 1946年といえば、吉田内閣がスタートした年。A級戦犯が東京裁判で裁かれている一方、映画産業がふたたび花開きます。
 その一方で軍事物資だったヒロポンがでまわり、美空ひばり級のスターだった青バットの大下弘は母親がヒロポン中毒で、後年まで悩まされます。野球場まで来て「ヒロポンくれ~」とやるので、大下は球団から前借りしなくてはなりませんでした。

 ヒロポンは覚醒剤です。戦争とドラッグは縁が深いものです。
 黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンの長男もベトナム戦争に行って、これの中毒になり、早世。ジャッキーは引退した後、麻薬撲滅運動に尽力します。