昔 ceylonと呼んだ国は Sri(光輝く)Lanka(島)という名前に変わり
シンハラ語というくねくねした文字のテンポの速いリズムで刻む
未知の言葉を使う人たちが暮らす島でした。
{アーユーボーワン}
こんにちわ
さようなら
おはよう
こんばんわ
仏教とヒンズーとイスラムと少しのキリスト教を信仰する人たちがおり
朝と夕方には コーランが聞こえたり
町のいたるところにお釈迦様の大きな像が鎮座していたり
信仰による日本とは違う風景が見られます。
初日は金環日食の日で 太陽がおおかた隠れ
真昼でも涼しい日でした。
月が太陽を蝕んだ形で木洩れ日の影が砂浜に落ちていて とても神秘的でした。
大きなイーグルが一羽 低く空を飛んでいました。

わたしが入らせてもらったのは
ビーチブレイクのあんまり上手じゃなくても入れる海で
浮かれた雰囲気を避けた感じはとても居心地の良い場所でした。
波はここでキャンプをはってくれている人が
最初に見つけた時とは少し変わってしまって
「もうすこしメローだったんだけど」と言ってたけど
海のことだから仕方がない、
海よりも私が
もっとパドルが強くならないとしようがないらしい。
鼻に溜まっている水が抜けないままで
このままだと副鼻腔炎になるようです。
それでも毎日波があって
朝と夕方の数十分か数時間は
かならずグラッシーになる
その時間帯を待つのは楽しみでした。

アイルランドの人
マダガスカルに住んでいるフランスの人
ロシアの人
ベルギーの王子様
王子様は波間で ひっくりかえっている私を目撃したらしく
私の板に向かって
「このボードはトラブルがいっぱいで可哀想だ」的なことを言っていました。
イタリアの人
スリランカの地元の子
スリランカの人は道具を持っていないので
サーフィンをする人は少ないようです。

ここでキャンプをはっている日本の人は
数年前から毎年一定の時期をここで過ごしていて
毎年 同じ顔ぶれが揃うようになっているようです。
その中のひとりのマダガスカルの人は
両手を合わせて あいさつをしたりするのですが
日本の人に
{波をやっつけるサーフィンじゃなくて波と同調するサーフィンをしなきゃ上手くならないよ}
と言われて、神妙にその言葉を聞き入れたそうです。
そして なんだかその日本の人がする仕草を真似るようになったそうです。
みんな真剣にサーフィンをしているので
長くサーフィンをしている その日本の人の言うことを
素直に受けてとめているようでした。

スリランカは1月26日に大統領選挙を控えているので
町は盛り上がっていました。
今の大統領は 長く続いていた民族紛争を終結させ
(政府軍が反政府組織を制圧した)
国内の安全を取り戻したので
国民の多くは 現行の大統領の再選を望んでいるようでした。
おびただしいポスターの数と
ツゥクツゥクと呼ばれるバイクタクシーや車に
その大統領の顔写真が貼られているのを沢山見かけました。
誰が大統領に選ばれるのがいいかまではわかりませんでしたが
スリランカの人の関心が とても高い様子が伺えました。
それだけ国内の戦争は 悲しいものだったのでしょう。

スリランカはブルーサファイヤが産出するクリスタルの中でも有名で高価だそうで
jewery factoryの鑑定士の人が うやうやしくお取り扱いしていました。
jeweryに関心の薄いわたしは 全然違うものを見て喜んで時間をやりすごしました。
jewery factoryとbatik factoryへ観光客を連れて行きたい勧誘者たちは
そこかしこでスタンバイしています。
そう感じの悪い人たちではありません。

国内の安全が保たれそうなので
これから「開発」や「便利」を売りにやってくるものが増えそうです。
スリランカの人や国が どのような変化を受け入れるところなのか
わたしには解りませんが
毎年来ているその人は、雇用がなくなるから便利を受け入れないだろうと言いました。

まだ自然だらけのこの国で わざわざエコという言葉や観念を感じるものはなく
それよりも人間らしさを重んじることで 大事なものが何か、選択していくのかな~
昔の日本の風景を見るという人とも会ったけど
日本のようにはならないかもね。

譲り合いながらだけど めちゃくちゃな追い越し運転をするバスの中で
「絶対的な矛盾がない」日本に帰るのは嬉しいと その日本の人は言っていました。
日本は素晴らしいなと、
良い変化が創れる想像ができる日本は素晴らしいなと
春みたいな陽気の成田で私も思いました。
たくさんの海に行っているその日本の人は
「海はどこでも一緒」だって言いました。
斜面を滑るということ。
















