映画『大丈夫であるように』のこと
とんでください。
一部転載(していいのかな)です。
是枝:しかも、東京で。一番いろいろなものを享受する立場にいるわけじゃないですか。だから、さっき共鳴という言葉を聞いて、果たして共鳴なのかと考えていました。彼女の感じているいろいろな問題の責任感と、僕が感じなければならない責任感は、恐らく重なっていない。重なってはいけないはずです。
── でも、秋葉原のことは沖縄ではない。六ヶ所村も。押し付けている側とおっしゃっていましたが、この映画で描かれていることは、沖縄も大きな比重を占めているけれど、日本の幾つかの傷の大きな1つであるように見せている。そこに対して、是枝さんが押し付けているというのは、違和感を覚えます。
是枝:でも、彼女は思っているんですよね。青森に対しても、彼女は責任を感じている。要するに知らなかったという事に責任を感じているんです。とても強く。その背負い方が、痛々しいと思う方がいるでしょうけど、全部背負っているんですよね、彼女は。
── (沈黙) なるどほど…、彼女のその感受性に一瞬僕も今、泣けてきそうになりました。彼女が作中でも吐露していたように、六ヶ所村の事に対して知らなくてごめんなさい、その事に罪の意識を感じていた。今回、Coccoさんのことについての物語でしたが、結果は是枝さんの表現物として世の中に出て行く。これまでも多くの傷あとを、撮ってきましたよね。それは、同じクリエイターとして、傷あとを引き受けていく立場として、Coccoさんと近い点があるのではないでしょうか?
是枝:僕は、「すごいな」と思って撮っていましたけれど。
このへんも
my friend talked about・・映画観て直後だって。
映画が終わり、明かりがついても、しばらく立ち上がることができなかったよ。
感想を書きたいのですが、今は言葉がみつかりません。。。