『大丈夫であるように 』
イベントのスタッフの子が教えてくれた映画。
ストーリー(チラシから)
旅のはじまりは1通の手紙だった‐独自の感性と唯一無二の存在感で、
熱狂的なファンをもつミュージシャン Cocco。
沖縄の米軍基地予定の海に現れた2頭のジュゴンの姿に喚起された彼女は
「ジュゴンの見える丘」を発表。沖縄で生まれた彼女は、歌を通じ、何かを変えていこうとしていた。
そんな折に届いたファンからの手紙。
それは核再生処理施設のある青森県、六ヶ所村に暮らす少女からのものだった。
そしてCoccoは北へ向かい、知る。自分と同じ痛みを抱える人が
日本中にまだたくさんいること、
死ぬこと、生きること・・・
美しいものも醜いものもすべて胸に刻み、
唄いながら、
祈りながら旅は続いて行く。
日本中の傷跡に、いつか花が咲くように。みんなの明日と将来と夢が、
大丈夫であるように。
『誰もしらない』「歩いても 歩いても』の是枝裕和監督が描く、
光を希求するひとりのうたうたいの終わりなき旅の物語。
監督の是枝裕和さんが 再処理施設(再生施設と書いてますが・・)のもらたすものを
どう評価しているかは わからないです。
で、映画の広報の方に 映画をつくったテーマを伺ったら
「少しでも多くの方に六ヶ所村や辺野古のことを知っていただき、
また、自分の足元から何かを変えていこうとする人が増えていってほしい。」
ということ。
よっしゃ。
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あしたのイベントで”しゃべり場”という
小さな輪で座談会のように みんなで近くに寄ってしゃべりましょ
という企画の時間帯があります。
テーマのひとつに 「全国と六ヶ所村をつなぐ活動について 高尾山~祝島~沖縄から」
があります。
これを企画したスタッフ(この方すんごい精力的で すんごい考えていらっしゃる すんごい方です。)
の考えている事は、
「六ヶ所も 基地の問題も 日本の社会構造の問題で
同じ問題をかかえる人たちがお互いを知り、協力関係を創っていくことで
大きな力に勝てる道が見える。」
ぜんぶ
ひとつになる。
放射能被害を心配する人たちと。
社会構造を変えようと思う人たちと。
いろんなつながり方があるんですね。
明日は 「高尾山にトンネルを掘らないで」をしている人たちや
沖縄の基地問題に取り組む人たちのブースも出ます。
みなさんは自らの活動の中で 六ヶ所のアピールにも とっても尽力してくださってます。
自分の抱えている事を あの地の人たちも抱えていると感じ
Coccoちゃんのように、
これは社会構造自体の問題と捉え
是枝監督より先に表現なさってきた方たちです。
ぜひぜひ お立ち寄りいただき
お話をゆっくり聞いてみてください。

