”核燃料サイクルに傍観は許されない” | DownToEarth

DownToEarth

TO RIGHT, THE RIGHT w/Aloha Ke Aloha

パタゴニアのホームページの表紙に

また再処理工場のコンテンツを示す 大きめの画像が戻ってきてた。


なんだろね~と思ったら

青森県在住の歯科医師 山本若子さんのエッセイがアップしてありました。

11月30日の上野のイベントでも ステージでお話してくださいます。

昨年の日比谷のステージでのお話も印象的でした。

美しい方ですが 硬い表情で青森のことをお話してくださるその様に

聞く人にも 緊張が走ったのではなかったでしょうか。


今回は イベントの中で ”しゃべり場”という小さなスペースでの登場も

していただけます。



私は 再処理工場のことは 環境問題だけにとどまらず 

この政策が ある地域の生活者にとても非情なものである事に疑問を感じ

人権問題としても捉えています。


※青森の方は 再処理工場のことだけを言うことはあまりなく

「核燃」とか「核燃料サイクル」という言い方をします。

青森以外の地域では ”放射能を垂れ流す”再処理工場のことだけを言うことが多いです。

わたしたちにとっては 垂れ流される放射能が、

青森の方にとっては ウラン濃縮工場や 高レベル廃棄物貯蔵がある

あの施設全部・政策全てが嫌悪の対象であることによる

呼び方の違いの現われでしょうね。



パタゴニアさんのHPから 転載させていただきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


核燃料サイクルに傍観は許されない

by 山本 若子


1985年4月9日は、青森県民にとって忘れられない日です。県議会全員協議会で青森県知事が核燃立地受け入れを表明したのです。たくさんの漁民、農民、酪農家が反対し抗議行動をおこしましたが、原子力マネーが、核燃関連交付金がやがて村から反対の声をつぶしていきました。


それはあたかも収奪でした。開拓し守ってきた農業、酪農、太平洋に注ぎ込む津軽海峡からの潮の流れが作る豊かな漁場を、取り上げたのです。それ以後、核燃サイクルに反対する私たちは4月9日を "よんきゅう" と呼び反核燃の日としてきました。翌年、チェルノブイリ原発事故がおき、私たちはいっそう核の恐ろしさに慄きました。


六ヶ所村の日本原燃では、2006年3月31日から実際に使用済み燃料棒を切断し、溶解しプルトニウムを取り出す、再処理アクティブ試験が行われました。アクティブ試験は、作業員の体内被爆など様々な事故をおこしています。日本原燃の発表では、2006年12月6日までに約330兆ベクレルの放射性物質が海洋放出されました。2008年現在ではもっとたくさんの放射性物質が放出されているし、ガラス固化に不具合があり試験が半年も中断したり、半日後にはまたすぐ止まってしまったりと心もとない状態でした。現在また高レベル廃棄物のガラス固化作業は再開されていますが、困難な作業であることに違いはありません。大きな不安を持っています。

原発1基1年分もの放射性物質が、たった1日で放出されてしまう恐ろしい核燃料再処理工場です。プルトニウムは核兵器の材料となります。


地上に存在する物質でもっとも毒性の強いプルトニウムの、放射能半減期は2万4千年、化学反応性に富み、空気に触れると二酸化プルトニウムの微粒子となります。プルトニウムは鉄と類似した性質のため、胎盤の壁を通り抜け、血液中のたんぱく質と結合し肝臓や骨髄に運ばれ、肝臓ガン、骨髄ガン、白血病を発生させます。


実際に、イギリスのセラフィールド、フランスのラ・アーグ再処理工場付近の小児白血病の発症率が高くなり、セラフィールド周辺の子供たちの抜去歯からプルトニウムや他の放射性物質が検出されました。放射性物質の海洋汚染は、アイリッシュ海に留まらず遠く北極海にまで達しています。


私たち核燃阻止一万人原告団や市民グループは東京水産大学水口憲哉名誉教授にお願いして、海洋汚染の調査のために1万枚のはがきを六ヶ所から流しました。津軽暖流に乗ったはがきは三陸海岸沿いを南下、東京湾まで約1か月で到達したのです。汚染は青森県民だけの問題ではありません。再処理では海洋放出に濃度規制はありません。このままでは六ヶ所は地球環境汚染源のひとつとなってしまいます。放射性物質は、食物連鎖の中でやがて多くの動植物をとおして人の口に入ります。外部被爆ではなく、内部被爆が始まるのです。放射性物質は身体の中で 放射線を出し続けます。英仏の再処理工場からの放射能放出によって、アイリッシュ海はセシウム濃度が高くなっています。食物連鎖はやがて人間の体内に達することになります。



日本はすでに43トン以上のプルトニウムを持っています。IAEAは六ヶ所村で作られる混合酸化物(ウラン+プルトニウム)は核兵器転用可能な物質としています。日本原燃などが言うように、核不拡散性には優れてはいないのです。


原爆を被爆した日本で、私たちはかつて平和を誓いあいました。私たち医師・歯科医師は医療人として、すでにはじまった核汚染を許すことはできません。クリプトン85や炭素14、トリチウムといった垂れ流しにされる膨大な物質の捕集装置は、コストが掛かるために設置されていません。


核燃料サイクルは差別のなかに生まれました。危険だから、人口が少ない辺鄙といわれる土地に作られたのです。でも、私たちはそこに暮らしています。放射線許容量とは漠然とした値にすぎません。青森県には、日本には、老人も子供も、妊産婦もいるのです。未成熟な生体ほど被爆の影響は強いと考えられます。青森県は農産物の放射能汚染予測値を発表していますが、フランスのラ・アーグ再処理工場(UP3を六ヶ所再処理工場はモデルにしている)周辺の実測値ははるかに高く、牛乳のストロンチウム90では3000倍以上検出されています。住民の被爆を軽く見すぎていますし、食物連鎖による健康被害が心配されます。青森県は食料自給率が高いほうです。青森県のおいしい農産物やお魚を安心して食べていただきたいのです。


今、私たちの口はふさがれているに等しく、お金や権力という圧力を受けて、人々は怖れを口にしにくいのです。ですから、声なき声を聞いてください。「核燃料サイクルに対して、中立は無い」とある農業者は言いました。燃えるU235は天然ウランにたった0.7%しか含まれていません。たくさんのウラン残土がウラン産出地に残され環境汚染と先天異常、癌などの疾病を引き起こしています。核施設の労働者は被爆の危険が付きまといます。被爆線量に比例して死亡率が高くなっていることも統計によって判っています。


私たちは知らなければなりません、核燃料サイクルは多くの人たちを差別的に扱っている、そうしなければ操業できない宿命にあることに気がつかなければなりません。生命、その尊さを、重さを忘れてはなりません。喜びと希望のうちに生きる権利を誰もが持たなければいけません。声を上げてください、傍観することは、すでに共犯に等しいのです。一緒に反対の声を上げてください。今後予定されている再処理の本格操業を許してはいけないのです。


※ このエッセイは2007年3月18日のJanJanNewsに掲載された記事に著者が加筆修正したものです。


思い出してください。水俣病は、1959年熊本大学医学部研究班はその原因物質を水俣湾周辺の魚介類中に含まれる有機水銀と結論付けましたが、国がチッソ水俣工場廃液中のメチル水銀が原因と認めたのは1968年でした。それまで規制が行われず被害は悲劇的な拡大をしていったのです。