しばらくサボっておりました。

このネタは一気に書くつもりでしたが、
長くなりそうなので2回に分けます。

これも30年ほど昔の話になりますが、、。

18のとき免許を当たり前のように取りました。
が、
とある日取り消しをくらい、

しばらく免許なしの時代を過ごしたのです。
原因は、いろいろしょーもない事で減点され続けていたのですが、
とどめは過積載。

名神高速でしたね。養老のあたり。
機材積んだトラックで、
突然パトカーが被せて来たとおもったら、
「はい! そこのトラック、パトカーについて来るように!!」

そのまま誘導されて軽量所へ。

そりゃぁただでさえその時代のトラックは坂で黒煙が出るのは当たり前でしたが、
バックミラーで見てもイカが墨吐きながらどこに行くんや!!
って感じで高速を15km/hで走っていれば一目瞭然ですわな。

そのまま秤に乗せられて、7.5tの数字が出ました。
車重ではないすよ。積載量。3.5t車の。

それはそれで過積載もやりすぎということで、
ポイントを引かれたらマイナスになってしまって、
めでたく取り消しと相成りました。

ここで取り消されたら誰が車を運転するの?
と ごねたのですが、ご存知の方も多いとおもいますが、
免許というのは、現場で点数がなくなったからと言っても
その場で失効するわけではないんですね。

ちゃんと書類が検察に送られて(書類送検ってやつらしい)
確定したころ警察から「出頭せよ」の連絡が来て、
めでたく返納 ということになります。
免許に関してはそうですが、問題は積荷。

さすがにこのまま行ってよしという訳には行きません。
何しろ過積載ですから。

携帯電話のない時代、

救援を呼ぶのがなかなかタイヘンでしたわ。

近場のインターまでパトカーに乗せてもらって、
公衆電話から電話して、、
救援車に拾ってもらい、、
現場に戻り積み込んで、、、。

2ヶ月ほど経ったころでしょうか、
めでたく愛知県警から郵便がやってきて、
「某月某日県警に出頭して免許を返還する様に。」

過積載を侮ってはいけません。

でも今の時代はこんなことありませんけどね。

つづく。

 

昔、市内中心部にあったホールでのこと。
1980年終り頃の話です。

25年前に建て替えられて今は立派なホールですが、、。
当時の建物は搬入口が歩道とツライチの変わったホール。

当然搬入車両は歩道にはみ出して留めることになります。


今日の自分の仕事は留め置きが出来ないので車両の回送。
搬入終了した頃車を引き取り
本番終了を見計らってお迎えに行く仕事です。

搬入開始は9時からで、それに間に合うようにホールに行き
機材が下りてしまえばとっとと車を動かす予定だったのですが、、、、、。

仕込み前にはスムーズに機材を振り分けてステージに

置いていくのですが、たまたま音響の2番目がまだ新人で、
機材に手こずっているのを見るに見かねて、お手伝い。
いつもの様にそのままの勢いで
スピーカーを積んで、ケーブルを這わして、

ミキサーを客席に運び、あれこれしているうちに

かれこれ40分も経ったでしょうか。

それがアダとなりました。

「おーい 誰が2tの鍵持ってる?」
「あ、俺持ってる。」とその日の音響チーフ。
「ちょっと車動かしてほしいんだってサ。。」
「悪いけど手離せないんでお前行ってきてくれる?」

そうなんですその日の車両担当は音響チーフだったのです。

気軽に「あいよっ!。俺もうこのまま戻るわ。」
とカギを受け取りそのまま搬入口へ。

んと パトライトが見える やな予感。

お察しの良い方はもうオチが見えたと思いますが続けます。

「あ、あなたがドライバーさんね。」
と有無を言わせない口調の制服のおねーさん。
「い、いや 車動かせと言われて来たんですけどぉ。」
「とにかくカギを持ったドライバーさんね。免許証!!」

あ~ぁ、もっていかれてしまった私の免許証。
あとはご存じの通り、複写の紙にサインして、
親指で黒いハンコ押して、べりっと渡されて
「ココは駐禁ですからね。速やかに移動してください。」
の捨て台詞。

すごすごとチーフの所に戻って
「こんなん貰っちまったど、どーしよー?
 なんで俺なのよ あそこに止めたのあんたでしょ???
 点数と罰金 俺持ちかよぉ!!!」

「帰って総務と相談しな!!」

仕方なく予定通り車を転がして事務所に戻り総務にご相談。

「んん~ん 点数はお前持ち、罰金は経費で出してやる
 けど領収書も出せよ。」

違反切符って領収書出たっけ??と思いながら
結局違反切符をコピーして、納付書と
出金伝票と一緒に総務に出してやりました。

それ以来車両回送の時は、現場がどんなにパニクっていても
心を鬼にして与えられた仕事しかしない Ku_u でした。
 

 

青切符ではこれには乗れません。

次回に続きスキー場ネタをもう一つ。

バブリーな時代は色々面白いイベントがありました。
別にこんなとこでやらんでも、、、なんてのも。

さて、場所はスキー場の降り切ったところにある、
休憩所兼うどんとか売っているロッジみたいなところ。
ちょっと離れたところにはリフト乗り場があったりして。

その外に雪でステージを作って、
土日2日間にまたがってのイベントです。

おかげさまで初日は晴れまして、ポカポカ。
イベント自体は、街なかでよく見るタイプのイベントで
同という事はなかったのですが、
普段雪に縁のない我々、

普通の野外イベントと同じように考えておりました。

なので、一日目終了後も普通に養生。
スピーカーはブルーシートで包み
テント内の機材もしっかりシートで包んで出来上がり。
その日は近くの民宿風呂に入って宴会やっておわり。

翌日は曇り気味の天気でありました。
現場に行ってみると昨日となんだか様子が違う。

んんっ?と思いながらミキサー周りのシートを剥がしてみたら、
なんとアンプ三台入りのラックが雪にめり込んでいるではありませんか、、。

当時のアンプは今のとは違いファンで冷やすなんて物ではなく、
自然放熱の頑丈一点張り。
どうも、養生の為シートで包んたものだから、
余熱がこもり下の雪を溶かしてしまい傾いて沈み込んだ様です。
そのまま夜のうちに凍って固まりビクとも動かない状態。
まぁ本番には影響はないのでその状態で一日も終わり
さて撤収と相成りました。

さてここで問題発生。
2日目は曇りがちの天気だったため気温もさほど上がらず
雪も解けず、傾いたアンプはビクともせず。
スコップも歯が立たず、結局薬缶にお湯を沸かしてもらい
それで雪を溶かしながらガツガツと周りを掘り、
あとは力技でひっぱり出す始末。

被害はケーブルにも及びました。
一晩雪面に置いてあったケーブルは、
凍ったというより被膜のゴムが硬化してしまい
カチカチに固まって曲げると折れそうな
一本の棒になっておりました。

普通巻かれたケーブルは直径30cm位になるのですが、
この時はどう頑張っても直径1mのまぁるい輪っか。
フラフープの輪みたいなモンですわ。

しょうがないので機材を積んだ荷台の上に
フラフープの輪っかみたいなものをドサドサ積んで
帰路につきました。


倉庫に戻ってもまだ輪のままだったので、
壁に立てかけておいたら
翌日には崩れ落ちて

                    へなへなのケーブルの山になっておりました。


スキー場で仕事をする為の必需品