こんな仕事があるのを初めて知ったのは
10代の時、東京に住んでいた自分はゴダイゴのコンサートの
バイトに行ったのが始まりで、この世界を知ったのであります。
うーんこんなデカい音で音楽をやるのか!
それまでは仲間と喫茶店で場所を借りて自分ちの普通のオーディオスピーカーを持出しヘタクソなフォークソングなんかを恥ずかしげもなく人目に晒していた高校生でありました。
その後愛知県に移り住み大学に行くと,
迷わず軽音系のクラブに所属
勉学などほったらかしで、演奏活動に邁進していたのですな。
ひと夏土方のバイトをやり、
分不相応な MARTIN HD28 なんぞを(ローンで)買ってみたりして
ライブハウスに出てみたりしておりました。
が、ある瞬間、自分の居場所はここではないと気が付きましたね。
それは、客席の向こうに居て機械に囲まれて座っている人に
気づいた瞬間でした。
「自分はステージに居るべき人間じゃない。」
なんてガラにもなく思い込み、
それからは、クラブでの発表会でも自分は演奏せず、
機材の手配、仕込み、オペレートに徹するようになりましね。
思いこむ。てことは大変な事で、たぶん変な奴だったでしょう。
クラブに居て演奏しないで裏方ばかりやっているやつなんてのはね。
在学中、べんきょー もせんとお決まりの中退。
そのまま楽器屋さんがやっているPA部門でアルバイト。
その後日本でも五指の大きさに入る音響会社に居たりしました。が、大きな会社はそれなりに大組織。
ある日「そろそろ現場はやめて人を管理する側になれ。」
と言われたのをきっかけにその会社を辞め、現在フリーで
仕事をしております。
だって人を管理するよりも音をいじる方が楽しいもんねぇ。
けれどもおかげさまでこの会社員時代
海外での仕事の経験もできましたし、
日本中行っていない県はないというくらい。
南は沖縄から北は北見まで制覇しました。
あ、青森県六ヶ所村も行きましたね。
ふと気がつくと、会社員だったころの先輩連中は、
定年でもう在籍せず。
駆け出しのころ顎で使っていた後輩は音響部の部長になり、
自分は現場では口を出すが体は動かないオッサンになり、
時は過ぎて、今は体を動かさんでもいいスタジオワークの身となりました。 たまにPAの出番もありますが、、。
ウチのカミさんはある楽器の演奏などで生計を立てておりまして、
当然ステージのPAはわっちがやっておりまする。
そのカミさんが昔やっていたギターに最近目覚めまして、
自分も "リラックスする趣味を持たねば" ということで、
ギターなんぞを復活させてしまいましたわ。
昔持っていた MARTIN HD28 はどこかに行ってしまったので、
D-16GT と言う物を購入。(しかし安くなったねぇ)
安いながらも MARTIN の音はしておりまする。
弦は新品ですが、指がすっかり錆びてしまって、
フェーダーを動かすように思ったように動きませぬ。(≧∇≦)