ジャングル記25 ラストラン | ジャングルを走ってみた

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雄大なる大河は静かに波を寄せる。引いては寄せる。何度も、何度も繰り返される。どこまでも広がる青空。わずかに浮かんだ雲が空の高さを印象付ける。陽光をたっぷり蓄えた砂浜は焼けるように熱い。砂の上に、躊躇なく足を下ろす。右、左、右と規則的なリズムが波音とともに音楽になる。そして、走り続けることでしか体験できなかった全てを、目に、体に、心に刻む。

和やかな妄想はこれにて終了。そんな穏やかな心境になれたのはゴール直前だけ。
現実は大会期間中で最短となる16kmを走るのに必死だった。
 

1週間の締めくくりにしては、少々あっけない距離。合計タイムで争う総合順位にはほとんど影響を与えないので、流して走る選手も少なくない。疲れの影響もあるだろうが、ある程度余力を残していた方が、最終日にしてけがでリタイアというアクシデントを防げるので理に適っている。
 

スタートラインに立つ前はそう考えていたはずなのに、スタートと同時に先頭集団と一緒に飛び出していた。ほとんど条件反射に近かった。
最終日にしてようやくスタートダッシュに成功。先頭集団に入れたこともあり、引くに引けない。行けるところまで行くしかない。

1週間分の食料を残らず食べきり、バックパックが軽い。水と食料が重量の半分を占めていたのだから当然なのだが、何も背負っていないかのように軽い。
林を切り開いた赤土の道がまっすぐに続く。まだ昼前と気温が上がりきるには時間がある。涼しいとまではいかないが、悪くない。コースは見通しがよく、思い切り走るための条件は整っている。


僕の前には4選手。短距離走と間違えているのかと疑うくらいのペースだ。土ぼこりを舞い上げて一丸となって突き進む。
誰かが前に出ようとすると、後ろから集団が抑え込む。トップ集団のスピードがじりじりと上がる。尋常ではない。すでに200km以上を走ってきたのだ。
 

繰り返しになるが、すでに大勢は決している。タイム差を数分ばかり縮めたところで順位は微動だにしない。それでも、遅れまいと先を争う。
 

なんだか、サウナでの我慢比べの様相を呈してきた。ひたすらに長く留まることだけを念じて高温に耐える姿に似ている。汗を流してどれだけ痩せるかよりも、同じタイミングで入ったやつよりも長く居続ける。同じつらさを共有しているからこそ、勝ちたい。
「誰よりも長く」が「誰よりも速く」に変わっただけで、ただの意地の張り合いだ。だから僕も、ただ限界に向かって足を伸ばす。

道中で嬉しい再会があった。
「サムライ」。横に並んだ四駆の車から声を掛けられる。4日間で先にレースを終えたジェイソンだった。わざわざ応援に駆け付けてくれたのだ。サングラスの奥で笑顔を見せている。運転しながら親指を突き立て、走り去っていく。元気をもらった。と同時に大量の砂埃を置き土産にしていった。咳き込みそうになり息苦しい。さらにUターンしたジェイソンが再び応援してくれた。当然のごとく、埃も伴って。
 

中盤を過ぎて砂浜に出るころには3人をかわして2位につけた。初日のスタート直後のように体が動く。筋肉痛はひどいし、足指の大部分は水ぶくれに覆われているのに、だ。翌日の体力を前借りしているような不思議な感覚。
「ゴールに行ければ、もう後先を考えなくてもいい」。後々振り返って、こう考えるようになった。
 

一日を終え、翌日のことを考える。楽しみな反面、今日を明日につなげるべく物事をコントロールするのは、ストレスでもある。だからこそ「今」だけに集中できるのは最終日の特権だ。

タパジョスに注ぐ支流を泳ぐ。200mほどの対岸にトップを走るブラジル人のレジスが見えた。彼は走った距離だけ、子供たちに食べ物を贈るという活動を行っている。「1km」が「1kg」に変わるという取り組み。スポンサーを募り、活動を周知する目的も兼ねて出場している。走ることへのモチベーションは当然高く、総合2位だ。
 

岸に上がると、レジスの姿が見えなくなっていた。スパートをかけるが、追いつけそうな気配はない。木々の茂みに覆われた小川を横切る。数歩で渡り終え、濡れた靴で、乾いた砂を蹴る。呼吸が乱れる。ここが我慢のしどころ。
 

見えてきた。ゴールだ。レジスはもう走り終えていた。2位でフィニッシュ。追いつけなかったが、口惜しさはない。スタッフと近隣の住民が祝福の時を待ち受けている。拍手で迎えるスタッフ、飛び跳ねて手を振る子供たち。知った顔も、初めて見る顔も、みんな笑顔だ。1位がフィニッシュしても、選手をたたえる応援はやむことがない。一歩、一歩と足を進めるごとに歓声が大きくなる。そして最後のラインをまたぐ。
温かな歓声と拍手に包まれる。濃密な1週間の終わりを告げた。