宝くじに当たったら何が欲しいか、何をしてもOKだったら何をしたいか、みたいな質問を自分に投げかけてみる。
答えがすぐに浮かぶ時もあれば、窮する時もある。
また、思い浮かぶ答えもその時々の状況で違ってくる。
ゆっくりしたい、ゴロゴロしたいと思う事もあれば、外に出てアグレッシブに動きたいと思う事もある。
欲しいものも、家だ車だとなる事もあれば、旅行だとか何かの経験にお金を費やしたいと思う事もある。
お金がたくさんあって、何をしてもOKだったら、何を欲し、何をするのか、という問いで思い浮かべる答えは、少なくとも今の僕では現実になっていない。
現実になっていないから欲しいとなる。
自分が欲していることがその時々で変わると言うことは、僕の今も変わっているということになる。
ゆっくり温泉にでも浸かってゴロゴロしたいと思うときは、精神的にも肉体的にも張り詰めた日常を感じているのかもしれない。
逆にアグレッシブに動きたいと思うときは、少し退屈している今があるのかもしれない。
そして、何をしたらいいか分からないときは、きっと僕自身の今を見失っているのかもしれない。
では、天に導かれるままに、というのが自分の心から湧き上がる望みだったら、どうなんだろうか。
きっと、その時には自分に起こること全てを受け入れ、全てに対して自分にOKを出している状態なのだろう。
素晴らしいことのように思えるが、無理にそうした望みにしようとすると、きっと自分で自分を苦しめ、疲れてしまうだろう。
自分の今を見つめるとき、自分が何を欲しているのかと言うところから探る事もできるんじゃないか。
宝くじが当たったら、何をしてもOKだったら。
この質問への答えが僕の今の反対側を映し出している。
そんな気がするのです。