自分の中にあるエネルギーは、なかなか自分で把握できないものなんだなあ、と思うことがある。
自分ではまだまだ「いける」と思っていても、実はエネルギーはかなり少なくなっていて、ちっとも進まないこともある。
「まだいける!」と思った瞬間に体が動かなくなってしまうことだってある。
それで休む。
エネルギーを充填させる。
まだ十分エネルギーが満たされていないと思って、アクションも少しずつ試しながら起こしていく。
でもなんだか欲求不満が溜まってきたりもする。
すでに十分に満たされているエネルギーが使われずにいる感じがする。
エネルギーが満たされたからといって、自分の思い通りに事が運ぶわけではない。
上手くいく、いかないは、エネルギーの量とは直接的には関係ない。
ただ、何かをしようとする時には、ある一定以上のエネルギーが必要になるんだろうとは思う。
そして、エネルギーを出し惜しみしているがゆえに上手くいかない、ということもあるかもしれない。
上手く行っていないと、自分を卑下し、自己嫌悪に陥ったりするし、自分への怒りのボルテージも上がってくる。
その時になって初めて、自分の中のエネルギーは実はかなり満ちているんだと気がつく。
でも、そうした怒りのエネルギーは負のものだからと、また抑え込もうとしてしまう。
一定水準まで溜まったエネルギーはどこかで放出しないと、回っていかないのかもしれない。
回すことによって、エネルギーが放出と充填を繰り返す循環ができてくるし、全体としてのエネルギーの量自体も増えていく。
だから、自分への怒りがこみ上げてたら、どこかで放出するか、何かに転化させるかして、エネルギーを使うことが必要なのかもしれない。
何も思いつかなければ、自分への怒りをノートに一気に書き出す、なんてことは有効かもしれない。
誰にも見せないノートに、罵詈雑言を書き散らすとか。
自分への怒りも、そこから来る自己嫌悪も、エネルギーがある程度ないと湧き出てこない。
本当にエネルギーが枯渇している時には、自分への怒りすら湧き上がってこないものだ。
(その状態になったら、お医者さんに一度診てもらうことも検討したほうがいいかもしれない。)
他人に対してであれ自分にであれ、怒りはエネルギーがあることの証とも言える。
そして、そのエネルギーの使い方次第では、自分にとってプラスに作用するはずだ。
溜まってきたエネルギーは使っていきたい、そう思うのです。
そう、お金だって貯めてばかりではなく、使うことで循環ができ、経済規模も大きくなっていくのだから。
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