すごくいいタイミングが来ているのに、そこに乗ることができないことがあったりする。
例えば、雨の予報の時に、ちょうど晴れ間が見えて、今出かければ雨に濡れなくて済むのに、そのタイミングでは外に出る気が起きず、土砂降りの雨の中を外に出て行くことになるとか。
あるいは、このタイミングでやれば、リーズナブルで労力もかからないのに、その時にはできずに、後になって時間も労力もコストも余計にかかって同じことをするとか。
そんなことがあると、なんて自分は行動力がないんだ、と嘆いて自分を卑下したりしてしまう。
だが、いいタイミングだと思っていることも、それ自体は世間一般的な意味での「いいタイミング」なのかもしれない。
僕らはそれぞれに自分の中のタイミングというものがあるはずだ。
そして、僕ら自身のそれぞれのタイミングは、一般的に「良い」とされるタイミングとはズレることだってある。
土砂降りの雨の中を外に出て行くことや、わざわざ時間や労力を余計にかけて行うことは嫌な気分になるかもしれない。
あの時にやっていれば、と思うことは多々ある。
それでも、きっとその時が、自分のタイミングだったんだじゃないか、と思うのです。
その時に立ち上がらなかった自分、動かなかった自分、タイミングを逸したような時になってから動いた自分、それらも僕ら自身なんだと。
そして、それを自分で卑下しているのもまた自分なんだと。
晴れ間とか土砂降りといったことは、僕らの操作できることではない。
世間一般的な意味での「いいタイミング」も、僕らの手の届かないところからやってくる。
それに乗っかるのか、辞めるのかは、それは僕ら自身で決めることができる。
すごいチャンスの時に乗ることがなかったとしても、そういう判断をしたのは自分ということになる。
つまり、僕らはそうやって、いつの間にか自分軸で生きているのかもしれない。
後悔したり自分を卑下したりすることも、自分軸な行動だからこそなんじゃないだろうか。
だからと言って、わざとタイミングをずらして、それで自分軸な行動を感じたり、悦に入る、なんてことをすることもないとは思うけれど。
そんなことをわざわざしなくても、僕らは十分に自分のタイミングで動いていて、十分に自分軸なんだろうから。
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