不安や怖れを振り払うことなく見つめてみる。 | 生き心地の良いライフスタイルを目指して(K.TAKUYAのブログ)

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自分の持つ感覚を磨き直し、自分に気づき、生き心地の良さとはなんだろうと探求し、気が付いたことを書き連ねています。

新しい環境に入ったり、新しいことを始める時にはどうしても不安になる。

 

 

交わる人も、やることも、活動する場所が変わってくる。

 

 

特に新たに仕事をするとか、職場が変わるとかすれば、全てが変わる。

 

 

どうなるか予想がちょっとつかないことについて、僕らは怖れもある。

 

 

それでも不安や怖れを振り払って新しい道に進むことになる。

 

 

とりわけスタートダッシュが大事だとも言われるので、そうした不安や怖れを吹っ切って、いきなり突っ込んで行くことになるかもしれない。

 

 

そんな時、振り払われた不安や怖れはどこに行くのだろうか。

 

 

シャボン玉のように割れて消えてしまうのだろうか。

 

 

それとも、一度は投げ捨てたものの、また後から追っかけてくるのだろうか。

 

 

振り払うことと、手放すこととは、ちょっと違うような気がしている。

 

 

振り払う時は、何がくっついているのかその正体が分からないけれど、手足をバタバタさせたり、動かしながら追っ払う。

 

 

手放すはそれを手に持ち、握った手を開く。

 

 

振り払ったものは、また追っかけてくるかもしれない。

 

 

手放したものはシャボン玉のように消えてしまうことが多い。

 

 

僕らが不安や怖れを抱き、それでも新しいところに入っていこうとする時、まずはそこにある不安や怖れを自覚しておくことが大事なんじゃないだろうか。

 

 

自分が不安や怖れを感じている。

 

 

それを一度自覚した上で、握りしめている掌を開くように、空に放つ。

 

 

もしかしたら、それはシャボン玉のようにすぐには消えず、そこに漂っているかもしれない。

 

 

そうしたら、また漂っているものの正体を見てみる。

 

 

つまり、不安や怖れがあることを自覚しておくことなんじゃないか。

 

 

時には目をつぶって、不安や怖れを振り払って、「えいっ!」と飛び込んで行くことが必要な時もあるかもしれない。

 

 

それでも、どこかのタイミングでは、置いていった不安や怖れを見つめることになるんだと思う。

 

 

その時、振り払われた不安や怖れは、大きくなっているかもしれないし、思ったよりも小さいものになっているかもしれない。

 

 

ただ、それらの存在をどこか頭の片隅に置いてもいいだろう。

 

 

きっとどこかで見つめるタイミングが来るだろうから。

 

 

 

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