今月のように忙しい月だと、だいたい週に2-3本の仕事を仕上げないといけない。
仕事の機会をいただくことは何よりもありがたく(ホントに)、わざわざ私にご指名いただいて、感謝しかないのですが、やっぱり、締め切り間際には、パソコンの前に頭が沸騰しそうなくらいに、なんだか脳が疲労してくるのです。好きでやってる仕事ですが、量が過密になると、なんだかヘロヘロになるのです。たいして動かずに、PCの前にキーボード叩いているだけですが、疲れてくる。
月曜日の朝までに出さなきゃいけないものは3本あるけれども、残り2本はまだまだ未完成なので、土曜日の今日も日曜日の明日も、フルフルで頑張らないととても終わらない。
こういう状況は、中学生や高校生の頃に、「やんなきゃいけない課題」が山積みで、必死でコリコリなんか書いたり覚えたりしていた状況にとてもよく似ているのです。
冬休みの宿題に「百人一首を全部覚えてくる」こと、夏休みの宿題に「英語ベンハー抄録を一冊全訳してくる」こと、春休みの宿題で「英単語帳を~まで全部覚えてくる」こと、「数学のドリルを・・・」「古文助動詞の活用形を・・・」その他もろもろ、そういう勉強的課題。
あれも、まあまあ、大変だったですけれども、やらなきゃいけないので、一応やりましたし、その勉強した結果はちゃんと成績に反映されるようになるものです。
大変だったけれども、やってよかった。
仕事も、あの百人一首や数学のドリルと似たようなものだと、よく感じるのです。
まず、「仕事の機会」や「勉強の機会」があるということ自体が、超幸せなこと。
そういうことが「できない環境」にある場合だって十分にあるのです。
たとえば病気になったりとか、親の介護をしなきゃいけなかったりとか、そういうことで、仕事や勉強ができない人だっている。
やってる最中は「大変」ではありますが、かといって、「苦痛」というほどでもなく、「苦行」には近いけれども、あきらかに「やりがい」もあり、「やる意味」もわかる。
言うなれば「前向きな大変さ」。
やってやれないことはない。
これをやらないのは、それは単に「怠惰」で「さぼってるだけ」なんじゃなかろうか。
そして、やり終えた後の「達成感」や「やりきった感」。
なによりも「仕事の報酬」や「勉強の成績(合格)」という、あきらかな「ご褒美」もついてくる。
基本的にはその「ご褒美」のためにやっているので、それははっきりと「自分のため」なのです。
中学や高校の頃に、数学ドリルやら漢字プリントやらベンハー全訳やらで、ヒーヒーいったあの経験が、そのまま仕事で繰り返されているように感じます。
勉強や仕事で「たいへんだー」とか言ってヒーヒー言うのが、まさに「人生そのもの」なような気がします。
そういう人生ってやっぱいいよね。
「大変じゃない人生」がお好きな方もいらっしゃるでしょうが、「ちょっと大変だけどやりがいのある人生」もなかなか悪くないと思います。
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2024年は大変な始まり方でしたが、
これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。
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