2018年に長男が中学受験をし、
2021年に次男が中学受験をしました。
そして、時は流れ、今年2024年。
長男が受験してから既に6年、その長男は高校を卒業しようとしています。
次男が受験してからも既に3年。この春から高校生です。
思えば時間が経ちました。
無限に広がる大宇宙。
あのピリピリとした受験の1月も、広大な宇宙の広がりの中では束の間の瞬きにしか過ぎなかった。
記憶の中で風化しつつありますが、もうすぐ東京本番ですよね。
栄東で事実上幕を開ける首都圏中学受験。
千葉三連戦も終わり、そろそろ立教新座とか?
2月1日の前には、「トンカツ食べるな」とか言われますから、今のうちに食べときましょう。
「生もの食うな」とも言われましたので、うちも刺身や寿司は控えてましたが、あのですね、神経使いすぎでは? そういうピリピリムードがいちばん緊張を高めすぎるのか?
はっきり言って、中学受験とか「はしか」みたいなもので、過ぎちゃえば、なんてことはない。
どこの中学にいっても、それほど大きな差があるとは思えないし、
この時期の偏差値が1や2違ってよーと、長い人生にとってまったく意味はない。
それよりも、「自分に合った」中学高校で、楽しい6年間を過ごすことが何より大事なことではないでしょうか?
極端な「高偏差値志向」で「学歴至上主義」の意識を、小さい頃から植え付けられるとその後の人生苦労しますよ。
一生「ピラミッド」的な「勝ち負け」レースのパラダイムの中から抜け出せなくなる。
いつまで経っても、「おれは〇〇中学に受かったんだ、あの頃は神童と呼ばれたんだ」とかなんとか自分の中で囁くことだけがプライドの適応障害になっちゃうかも。
お金持ちになればなるほど「お金」と「幸せ」が別だとわかるように、勉強ができて高学歴大学なんかに進めば進むほど「学歴」と「幸せ」は別だと感じるものです。
「高学歴になれば幸せになれる」というのは、「お金持ちになれば幸せになれる」というのと同じくらいの幻想です。
それでも人は、「高学歴」とか「お金」とかを求めずにはいられないでしょうけれども、そんなマボロシをいい年した親が子供に押しつけるのは、みっともいいものではない。正味、教養に欠ける。
しかし、この受験までの1-2年を、勉強がんばってきた、子供達は心底エライ。
それを補佐してきた親たちも超マジでエライ。
その親子一体となった努力だけは、誰にも恥じることのない、すばらしい思い出。
こんなに尊く、美しいものはない。
その「親子で中学受験の勉強がんばってきた」という経験だけで十分過ぎるほどの宝。
仮に第一志望に受からなくたって、まったく超問題なし。
第二志望を落ちたって、ぜんぜん、オッケー。
二月三日まで決まらなかったら、そりゃ死にそうな気持ちになるのは知ってますが、それでも絶対大丈夫。全部落ちたっていいんだよね、はっきりいって。
そのまま普通の公立中学に入ったら、超無双で、地元トップの公立高校首席合格が約束されてるみたいなものよ。
リベンジとかじゃなくて、そっちの方がマジでいいくらい。
少なくとも金はかからない。
おそらく東大等の難関大学合格率もそっちの方が高い。
だから、「中学受験の勉強を1-2年がんばった」という経験そのものが重要なんであって、進学先はどこでもいい。私立の中学だったらどこも似たようなものだし、公立の中学だったら、そこでトップになれるんだし。
「ちいさなことは気にするな」の精神で、リラックスしていこう。
たいていどっかには受かるし、別に公立中学行ってもその先の未来は明るい。
世の中戦争している国だってあるし、日本だって大地震や大雪で大変な目にあっている人だって多い。
受験する機会があるだけでも、十分幸せだよね。
2024年は大変な始まり方でしたが、
これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。
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