長男は「理科」が好きだったのであきらかに「理系」でしたが、
次男はどうも「文系」受験になりそうなので、
久しぶりに大学入試の「国語」の問題を数校分目を通しました。
東大の国語問題や、他難関私立文系の国語問題などを見て感じたのは、「現代文」に使用される「素材」の中心は「哲学(現代思想)」に関するものだということです。
「夏目漱石」などの近代文学に対する「文芸批評」もチラホラみられますが、それも有り体にいうと、「かなり小難しいエッセイ」の類いでありまして、上記の「哲学」的コンテンツの一種だと言えます。
世界のあらゆる「ものの見方」「認識」「構造」に関する根源的な問いかけになっていたり、「科学」「文化」「国家」「歴史」「言語」「社会」など多岐にわたる分野を新しい視点で深い思索に誘う知的論理的文章、もちろん「生き方」「生死」そのものを問う文章も多い。
ほとんどがそうした「哲学」的な「考察」「論説」。
「あたりまえ」だと思って「気がつかない」でいる多くのことがらを、「知的」に「解体」させて、「価値観の転倒」も試みるようなセンスオブワンダーな文章。
私は中高生の頃からそうした文章を読むのが好きで、だから大学は「哲学科」関係に行きたいと思い、実際にそうした学部に進学したのですが、そういや、昔から「国語」の成績が妙に良かったのです。
なぜなら「国語(現代文)」の入試問題とは、ほとんどが「哲学」的な文章だったからです。
「古典」も「漢文」も、「教訓」的「説話」や、「国家論」や「倫理」に関するものが多い。
つまり、「大学入試」の「国語」の問題とは、たいてい「哲学的文章」の問題だと言えます。
「論説文」と言い換えてもいいですが、それじゃおさまらないほど、「難解」さがあり、「古典哲学の教養」が求められるものも多いのです(アリストテレスやキリスト教やらが出てくる等)。
たとえば、「物語」「小説」などが出題されるケースは、比較的少ないようです。
小学生が受験する「中学受験」の「国語」では、「小説・物語文」と「論説文」は同程度の出題、あるいはちょっと「小説・物語文」の方が多いくらいではなかったかと思いますが、「大学受験」の「国語」は、難関大であるほど「難解な哲学的文章」が中心のようです。
中学受験の「国語」は、小説や物語を通して、「登場人物(普通の人)の気持ちの読み取り」が求められることが中心でした。子供にはそれでも難しかった。でも、さすがに高校生を対象にした大学受験生には、そのくらい当たり前の話なんで、そんな問題じゃ差がつかないのです。
「大学受験の国語」は、「語彙」も難解な専門用語が多用され、「論理」も複雑、「比喩の理解」も幅広い教養が必要など、「読むこと自体一苦労」みたいな、難しい現代文が「長文素材」に利用されるようです。
そんな難しい哲学的文章なのに、さらに□で穴だらけになり、そこに入る「言葉」や「文章」は次のうちどれか、とか、他の文中からふさわしいものを選べとか、漢字4文字故事成語で表現しろとか、そんな問題が出題されるのです。
わたしは、こうした哲学的文章の長文出題国語が得意だったわけですが、なんで得意だったかてーと、そんなもんわかりきっていて、「日常的にそういう文章を好きで読んでいたから」です。
「テスト対策のために読んでいた」わけではなく、単に趣味として、好きだったから「たくさん」読んでいた。
絶対に理由はそれだけ。
もうちょっと言うと、そういう文章を読むのが好きで、自分でもちょっと真似して書いたりもしていた。てゆーか、日記をすげー当時書いていて、「気に入った文章」を抜き書きはよくしていた。
わたし、今趣味で、こんなブログを毎日書いてますけれども、単純に昔から、こういうことが好きだったのです。読んだり書いたりすることが。
仕事が明けて、休暇でひとり激安貸切温泉に何泊かしても、たいてい風呂の中とか部屋で本ばかり読んでいるのです。
今回は、これ読んでました。すげー感銘を受けた。
田坂広志「運気を磨く」
ちなみに、大昔、大学受験の前にわたしがよく読んでいた本は次のようなものです。
(懐かしい)
あの頃、こういう方々が「ニューアカデミズム」(略称ニューアカ)というブームを作っていたのでした。
こんなん楽しく読んでますと、大学入試の国語の問題とか、簡単でしたですよ。
基本的に「受験勉強からの逃避行動」として、遊びで読んでいただけ。
国語の問題解くのに苦労しなかったし、小論文の問題も、普段読んでるこうした本から影響を受けたことを適当に書いてるだけ。
そういうわけで、今日の結論。
(1)入試国語の長文は全部「哲学」的文章
(2)高校生は「哲学」的文章を毎日楽しく読んでれば、どんな入試問題も解ける
です。
さらに、次のテーマとして
(3)哲学のジャンルで今何が流行っているか
(4)次の入試に出そうな哲学ジャンルは何か
みたいなことを今度書ければ書きたいと思います。
サーハンデルさんあたりがよく言っていた「格差」と「メリトクラシー」のジャンルの内容は、数年前の東大国語にも出たように、すごく流行っていたと思います。
おそらくたいていの大学は「東大」からちょっと遅れてそれに続くみたいなことが多いのですが。
わたしの世代の人が今大学内でも責任者になっているのではないかと思うのですが、そうすると、彼らはたぶん「構造主義」がやっぱり好きみたいな人も多いと思います。
個人的には、「量子力学」的最先端物理学が与えた、「哲学」観や、「人生」観の変化などにも注目してます。
こっちは、また、最近の難関大学国語問題を数年分調べてみてから書きたいと思います。
2024年は大変な始まり方でしたが、
これからV字回復で、皆様にとってすばらしい一年となりますことをお祈りします。
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