甲府盆地特有のすばらしい眺望の温泉や、文豪らも利用した歴史ある温泉旅館。県内には多くの個性的な温泉がある。記者は無類の温泉好き。出身地の鹿児島県と初任地の北海道はいずれも日本を代表する温泉地だ。北海道での2年間勤務後、4月に赴任してこの約2カ月、早速、国中、峡東、峡南の数軒の温泉に入ってみた。街の夜景や伝統が醸し出す雰囲気に感服しつつも、率直な感想は「ややお湯がぬるい」。果たして山梨の温泉は本当にぬるいのか。取材してみた。【片平知宏】
◇甲府・湯村、太宰も「ぬるい」?
記者以外にも、心強い「ぬるい」派がいる。昭和の文豪・太宰治(1909~1948)だ。1204年の伝統を誇る甲府市の湯村温泉郷を訪れた感想を、私小説「美少女」の一節でこう描く。
<私は湯槽にからだを滑り込ませて、ぬるいのに驚いた。水とそんなにちがわない感じがした。しゃがんで、顎(あご)までからだを沈めて、身動きもできない。寒いのである。>
随分、辛辣(しんらつ)な言い様だ。私小説とは言え、あくまでフィクション。わざと過激な表現を使ったのではないか。実際はどう感じていたのだろう。
太宰研究を約40年間続けている甲府市住吉の元市職員、橘田茂樹さん(62)によると、太宰は温泉好きの師、「山椒魚」などで有名な作家・井伏鱒二(1898~1993)に連れられて、群馬、伊豆など各地の温泉を巡っているという。橘田さんは「太宰自身、ぬるいと感じたのではないか」と語る。実は橘田さん自身も「湯村はぬるいと思います」。
太宰が小説のモデルとしたのは湯村のどの温泉なのだろうか。橘田さんによると、諸説あるが、そのうちの一つは、太宰が執筆のために宿泊した「旅館明治」だ。
「お宅の温泉は寒いと太宰が書いているのですが、実際どうなんですか?」
そんな失礼な取材に応じてもらえるのだろうか。不安を抱きつつ、旅館明治を訪ねた。すると、「私らにとっては普通ですが、『ぬるい』と感じる人もいるかもしれません」と窪田義明社長が笑顔で出迎えてくれた。
旅館明治の源泉は41・8度。湯船では39~40度、冬場には38度まで下がることもあるという。窪田社長は「江戸っ子みたいに熱い風呂が好きな観光客からは『ぬるい』とおしかりを受けることもあります。でも、低めの温度にゆっくり温泉に入って温まればリラックス効果があるんですよ」と語る。
残念ながら太宰が宿泊した当時の建物や浴槽は改築され残っていないが、源泉は同じだ。実際に「ぬるい」のかどうか、確かめてみた。
湯船に手を入れてみる。さすがに<水とそんなにちがわない>は書き過ぎだ。しかし、確かに温度は「ぬるめ」に設定しているようだ。じんわりとした温かさ。浴室のドアには「冬は汗がでるまでごゆっくり温まってくださいませ」と注意書きが貼ってあった。
「ぬるい」のは旅館明治だけなのか。湯村温泉旅館協同組合の浅川貴理事長は「施設ごとで掘っているので源泉温度は違うが、草津(群馬県)、登別(北海道)などと比べると低い」と説明する。一方、浅川理事長は「あまりに温度が高いと水を加えて温度を下げないといけないし、低いと加温しなければならない。湯村は適温なので源泉をそのまま流し込めるので温泉成分が薄まらない」との利点も語る。
低めの源泉にも利点があることを初めて知った。湯村以外の県内の他の温泉はどうなのだろうか。
6月8日朝刊
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