札幌「おし鳥」追想 | 天上樂団 Ensemble Caelestis

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 古楽、ジャズ、クラシックetc.マルチ分野で活動するヴァイオリニスト 今 卓也の日々徒然、スケジュール


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大変残念な知らせが初冬の札幌から飛び込んで来た。北海道大学交響楽団(北大オケ)の溜まり場で、私が学生時代も含め15年の札幌生活でお世話になった、北18条の居酒屋「おし鳥」が11月末で閉店することになったという。マスターももう80歳を越え、体力的なこともあり、店の賃貸契約が切れるのを機会に決断されたそうだ。12月1日と2日は北大オケの為の特別営業だそうで、道外からも別れを惜しむOBが多数参集するようだが、私は残念ながら金もヒマもなく、お伺いすることは叶わない。昨日電話にてマスターにご挨拶させていただいたが、お元気そうながら、階段の上り下りも大変になってしまって・・・とちょっと淋しそうに話していた。いつか来る日とは言え、やはりショックである。学生時代に行き付けだったお店、喫茶「ブラジル'71」は道路の拡張で閉店、「中華軒」とその後の居酒屋「おばちゃん」で親しまれた飯田フジさんももうこの世にはいないとお聞きしたし、ランチを食べに行った喫茶店「えずや」、梅割り(焼酎)3杯までが鉄則の「おみっちゃん」、頼むと無料でシャリがおにぎり並みになる、梅ジャンの「鮨の正本」もすでに追憶の彼方へと去った。札幌は遠くなる一方である。

「おし鳥」は当初は札幌駅北口で開業したそうだが、私が北海道大学に入学した昭和53年(1978年)には北18条の長屋風の建物の一番奥の左側にあった。その頃は10席ほどのカウンターだけ、そこに練習の後に多い時は20名を超える団員が押し掛け、殆ど立ち飲み状態になることもあった。酒が進むと議論が白熱し、スコアが飛び交い、時には掴み合い、酒の掛け合いに発展する。カウンターに酒をこぼすと「酒の一滴は血の一滴」と諭され、啜らされる、というか、貧乏学生だから言われるまでもなく自ら啜る。マスターの加藤嘉勝さんは元々函館で大きな寿司屋をやっていた方で、基本的には焼き鳥居酒屋であるが、黒板に書き出される小樽仕入れの新鮮な刺身が美味しかった。が、もちろんそのような北大生は大抵は焼き鳥にコップ酒で1000円札(=1おし)で通い詰めていた。先輩に連れて行かれて、下手につまみなど頼むと「新入生は酒を食え」と叱られる。先輩も貧乏だったのだ、あの頃の北大は。客が居れば朝までやっていた。店を出ると空が白々と明けていることも少なくない。当然朝イチの講義はパス・・ドッペリ(留年)は多かったな。失恋すればカウンターで泣き、大徳利を空ける。カウンターには北大オケマンの涙とこぼした酒が染み付いていた。(笑)

そのうちに奥に座敷が出来て広くなり、裏メニューだったマスターお得意の寿司が黒板に登場するようになる。それでもマスターは金のない学生のために、ずいぶん安くしてくれたと思う。いつ行ってもオケの人間が誰か居た。北大オケマンは、ここで音楽を、オーケストラを、アンサンブルを、時には激論を交わしながら学んだと言って良い。私のその後の脱線音楽人生はここから始まったのだ。

1993年の春に、いろいろあって私は札幌を去り、首都圏に戻ることになった。札幌を離れる最後の「おし鳥」、最後にお勘定を頼むとマスターがぽつりと「いや、今日はいいんだ・・」と一言、頑としてお金を受け取らなかった。本当に胸に詰まる思いだった。その後一度、もう十数年前になるが、たしかまだ伝手のあった帯広のオケを首都圏からお手伝いに行った時に、札幌へ寄っておし鳥で飲んだのが最後になった。道路拡張で現在地に移転した店は私は残念ながら行っていない。いつか、と思いつつ、ついに閉店の日を迎えてしまった。時の流れとは言え、寂しさと無念さが募る。

これから北大オケの溜まり場はどこになるのだろう。それも気がかりである。おし鳥がこれ以上入れなかったりした時に行った、向かいの「塩野屋」はまだ健在のようであるが・・・
願わくば、現役の団員諸君が早く新しい時代の「おし鳥」を見つけ、末長く集える場にしていただきたいと念じるだけである。

最後に、マスター、長い間お疲れさまでした。これからの人生をゆったりとお元気でお過ごし下さい。

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