「条件付きの愛」
ということばを本で読んだことがある
いい子にしたから愛される
(=わるい子は愛されない)
成績がよかったから愛される
(=結果が良くないと愛されない)
勉強・仕事がんばってるから愛される
(=がんばらなければ愛されない)
じぶんがいつも何かに怯えるように
がんばり続けてきたかが分かった
そして
そうやって怯えているのは
父も同じだと思った
父は今でもずっと
たくさんの愛を与えてくれている、、
と頭では理解している
だけど
とてもゆがんでいる
父の頭の中で最優先の価値観は
勝ちか負けか
0か100か
だから
絶対に勝とうとするし
勝てる見込みのない事は
見て見ぬふりをする
「そんなもん」
「こんなもん」
「あんなもん」
が口ぐせで常に自分が優位だと示そうとする
そして不意に自分が負けそうになると
こちらのこころを抉るような言葉だって
平気で使う
常に自分が正しく
勝っている
そうしないと自分には価値がなく
愛されることもなく
バカにされると思っている
「お前おれをバカにしとるんか?」
と言われたことも何度もある
父は6人兄弟の下から2番目で
本人曰く
じいちゃんの事もばあちゃんの事も
良くは思っていないらしい
おじさんやおばさん達に
「おれの方が正しい」
とけんか腰に主張している姿は
子どもの頃からよく見ている
下のほうの弟だからって
舐めるなと言わんばかりに
父にとっては
親兄弟に
「お前が正しい」
「さすが〇〇だ」
と言って認めてもらう事こそが
愛されているということなのだろう
100%愛されていなければ
1%も愛されていないと思ってしまう
だから
今までいろんな事を
父ががへそを曲げないように
言葉を選びながら伝えてきたけど、、
いつかはこれを伝えたい
ぼくや兄は
お父さんがすごいから
お父さんを好きなんじゃない
お父さんが正しいから尊敬してるんじゃない
それから
愛する気持ちと
どうしようもなく
厭う気持ちも同時にあるんだよ
それはちっともおかしくなんかないし
ゆがんでなんかない
誰でもあって当たり前の
まっすぐな気持ちだよ
ぼくからみてお父さんは
じいちゃんの事も
ばあちゃんの事も
大好きだったと思うよ
(おじさんやおばさんの事はよく分からないけど)
自分の愛情に条件をつけないで欲しい