ぼくはかなり長い間
「いいこ」でいた
うちの父はぼくが小学校に入ってから
高校を卒業するまでずっとPTA会長だった
同級生にも先生にも
「会長の息子」
と言われた
そのことがぼくの周りに
どのくらいの影響があったかはわからないが
ぼくには多大な影響を与えた
「会長の息子」
と言われるのが嫌だったから
目立たないようおとなしくしてたら
「まじめ」だと言われた
すると
誰も立候補などしない学級委員などは
毎回毎回「まじめだから」
という理由で多選された
「会長の息子」だから
嫌味っぽい態度をとる先生もいた
当時は単にその先生に嫌われているのだ
と思っていた
父に言わせると
「教育に興味があった」
らしいけど
こういうことは全く気が付いていない
父に何回も
「今日学校で先生に、どうやったら会長の息子さんみないな子が育てられるんですか?
と言われたぞ」
と聞かされたが
それはぼくのことを褒めていたよ、
ということではなく
父が自分が褒められて喜んでいるだけだった
父はぼくを使って人から評価を受けて喜んで
それのどこが教育と関係するのかは
いまだに分からない
別に「わるいこ」でいたかったわけではない
ただ
「いいこ」でいるというのは
常に他人からの目を意識し続けることだった
保育園のころの気持ちは全く覚えていないけど
ぼくはすぐに学校が嫌いになった
小中高とずっと苦痛だった
「いいこ」に囚われたぼくは
人から「優しい」と褒められたとしても
それが他人の目を気にした結果でなくても
罪悪感を感じざるを得ず
どんどん自分を嫌いになった
「いいこ」でいようと思ったことはない
いつの間にか
そうすることが当たり前になっていた
自覚がないから
「いいこ」をやめようと思ったこともない
人生がうまくまわっていないと気づき
苦しさの正体を一生懸命探したとき
「いいこ」も原因のひとつだとわかった
習慣化した「いいこ」は
なかなかやめることが出来なかったけど
少しずつ
本当に少しずつ
じぶんの気持ちに正直になっていくことで
やめられた気がする
いまでは
ぼくが「優しい」ということを
ぼく自身がうれしく思っている