お世話になっているセラピストさんから
お義母さんと娘さんが
娘さんの誕生日の買い物に
行った時の話しを聞いた
セラピストさんは娘さんの欲しいものを
(シルバニアファミリーのもの)
お義母さんに伝えていたそうだが
帰ってきたら買ってもらったのは
クロスワードの本だった
もともとかなり自己中心的なお義母さんで
そんなエピソードも前から聞いていたし
だからこそ予め買って欲しいものを
伝えておいたのに
結局なんだかんだと言われて
クロスワードの本になってしまったそうだ
施術が終わって帰りの運転のときに
ドラえもんの椅子を思い出した
ぼくが小学生になるとき
学習机を買ってもらった
学習机に使う椅子が選べたから
ぼくは「ダメもと」で
ドラえもんの絵が座面に書いてある
椅子がいいと言った
なぜ小学校になる前のこどもの頃のぼくが
「ダメもと」だと思ったのか?
セラピストさんの話しと同じで
ぼくは「欲しい」と言って
その欲しかったものを買ってもらえたことが
殆どなかったからだ
「中学校とか高校とかでもその椅子だぞ」
「買い換えてあげないぞ」
「ともだちに見られたら恥ずかしいぞ」
案の定そんなことを言われたが
ぼくは「これがいい」と言った
その時はめずらしく
その椅子を買ってもらえた
ぼくは「どうせ買ってもらえない」
と思っていたから拍子抜けした
あれをやりたい
これが欲しい
そう言うと
いろんな事を言われてやめさせられた
そして代わりに
AとBならどちらがいい?と聞かれて
どちらもいいとは思わなくても
どちらか選ばざるを得なかった
どちらもいやだと言えば親が不機嫌になる
じゃあAとBじゃなくてCがいいと言っても
AかBから選べと言われる
そんな気持ちで選んだものには
やはりあまり興味を持てないが
それを親が感じ取ると怒られた
せっかく買ってやったのに
せっかくやらせてあげたのに
そう言われて罪悪感をもった
こうやって
望むものが手に入らない
望むことがよくないことだ
そんなふうに思い込んで生きていくと
苦しい人生が待っている
セラピストさんの旦那さんは
依存症かと思うくらい買い物をするそうだ
2~3日おきに宅配で届くくらいだが
そうやって買ったものは
結局すぐに手放してしまう
この旦那さんはぼくと同じく
本当に欲しいものは手に入らないと
思っているのだろう
シルバニアをクロスワードの本に
変換する親だったんだから当たり前かも
本当に欲しいものは
どうせ手に入らないと思っている
買えたとしても誰かに何か
文句を言われるに違いないと思っている
分不相応だと思っている
手に入れたいと思うことに罪悪感を持っている
そんなことが無意識下にインプットされている
だから他のものをなんとなく買っては
やっぱりいらないを繰り返す
ぼくは買いたい物や
なにかをやってみるということ以外に
恋愛でもこの意識のせいでダメになってきた
そもそも女性がぼくを選んでくれると思えない
付き合いだしても
相手にこうしたいああしたいと言うことに
罪悪感がある
嫌いになられないように過剰に大事にしてしまう
ぼくの思いと違うことを言われると
気持ちが伝わらないんだと落ち込んでしまう
いま思うと本当にめんどくさいやつだった
こどもの頃に欲しいものが買ってもらえなかった
ことばにすると
「え?そんなことで?」
と誰でも思うんだろうけど
問題は実際に欲しいものを
買ってもらえたかどうかではない
ダメな理由を
幼稚だとかくだらないとか
考えが足りないとか
ひとに笑われるだとか
そんなもの買って(やって)何になるんだとか
あたかも欲しいと思うこと自体が
いけないことのように怒られて
さらに
「お前にはもう何も買ってやらん!」
みたいなことを言われてしまっては
傷つくなと言う方がムリだと思う
高いからダメって言われたならば
どのくらいなら買ってもらえるのか考えたり
おこずかいを貯めて買おうと思ったり
ポジティブなことを考えられたかもしれない
セラピストさんは
自分では娘さんの希望の
誕生日プレゼントを買ってあげた
と言っていたからよかったけど
ぼくの例を話しておいた
(旦那さんのことも)
ちなみに
ドラえもんの椅子はぼくは高校を卒業するまで
ふつーに使っていた
勉強が好きじゃなかったからその机も椅子も
毎日は使わなかったけど
ドラえもんの椅子をいやだと思ったことはない
その後の欲しいものが手にはいらないと
誤解していた期間のほうがずっと長かったけど
あのときドラえもんの椅子がいい!
と言ったじぶんに拍手したい