“友達=心の安定”では無い私。 | 何だかんだ底辺で生きて来たよ!

何だかんだ底辺で生きて来たよ!

『LEMON』には“無価値”等の俗語があります。毒親、貧困、宗教、精神科、自殺、身売り。その体験を書いています。私の体験が誰かの希望になると良いなぁと思っております。
こんな私でも生きられた。
コメントもお待ちしておりますm(_ _)m

友達がいないと不安になりますか?

私達の年齢だとママ友とかも。

私自身はあまり中学、高校と友達を意識していませんでした。私は育った環境が特殊だったので、同級生とわいわいして居られない子供でした。

高校の時はバイトで忙しかったし。

昔から何処か同級生を客観視していました。

“どうせこの子は幸せなんだろう”“私とは違うんだ”と思っていました。

実際一緒にカラオケや買い物に行く余裕さえ私には無く、父に殴られて痣だらけなのも私の日常でしたから。

きっと幸せではない家庭に育つと何処か視点が子供らしくないものかもしれません。

周りを観察して客観的に自分の事も周りの事も見る様になってしまうのだと思います。

その結果私は友達はいらないと考えながら高校3年間をやり過ごしました。面倒くさい事を増やしたくなかっのかもしれません。



でも決して人を攻撃する訳ではなく、挨拶もするし話し掛けられれば普通に接します。ただ休み時間は本を読み、移動の時は一人で十分でした。

先生達は一人の私を心配してやたらと声を掛けてくれていましたが……(;゚∀゚)

私は一人で良いのだと説明すればする程に心配されてしまう……。薄々家庭の事に気が付いてくれていたのかも知れませんが。


そんな私はバイト先では気持がとても楽でした。

いろいろな年齢の人が居て、上下関係がはっきりしていて、仕事が早く覚えられれば褒めて貰える。シフトに出れば頼って貰える。出れば出る程お金も貰える!だから高校生の頃から私は働く事が好きでした。

バイト先では先輩達と喋って笑って。学校であまり話さない分人とコミュニケーションを取れていました。

とても人間らしい生き方が出来る時間でした(笑)


大人になると友人というよりは知人が多くなり、職場の人と仲良くしたり、私の場合日常に宗教があったので、その組織の人と一緒にいたり。

カラオケに行くのも、ご飯を食べに行くのも職場の人か宗教の人か彼氏くらいで。

結婚して引っ越しをしてしまったので、もう今は昔の私を知っている人は周りにいません。

引っ越ししてからはずっと夫くんと遊んでいます(笑)

子供が園に通い出して私は思いました。“ママ友嫌だなぁ”と。なので園の役員も学校の子供会もPTAも町内会も全て夫くんが担ってくれています(。-人-。)アリガタヤー

勿論知ってるママさんには挨拶もするし、世間話とかはします。それ以上でもそれ以下でもないです。

そんな私に今友達がいないのかと言うとそうでも無いのです。息子が3歳の頃にこども園でお世話になった先生と何か波長が合って。年に3回くらい我が家にお茶しに来てくれます。彼女は間違いなく私の大切な『友達』です。元担当看護師の姉ちゃんは親戚みたいな関係ですが大好きな『友達』です。


私にとっては『友達』との距離は近からず遠からずが丁度良いのです。

毎日連絡もしないけれど、誕生日とかふとした時に“元気?最近どう?”と言える距離が有難いのです。

そもそも『友達』って定義は個々に曖昧なものだし。

群れが苦手な私は人の顔色を伺う事が嫌なので距離が近いと疲れてしまいます。

友人関係は深く狭くで私は十分です。

女子は特に友達関係に悩みがちですが、自分は自分で良くて、疲れない程度に周りと付き合うくらいで考えると少し楽に過ごせるかも知れませんね♪♪気追わずに自分の歩幅で♪(。˃ ᵕ ˂ *)ウンウン。.*・.