今回は“言葉の選び方”のお話です。
息子が小学校に上がったばかりの頃、私は放課後息子を学校まで迎えに行きました。
集団下校の為子供達が整列していました。
しかし子供達はザワザワしていました。
一人の男性の先生が大きな声で怒鳴りました。
『いつまで喋っているんですか?怒られるって解らないんですか?』と。
私はんー?と思いました。
“怒られる”から静かにするのでは無いのでは?
静かにしなければいけない理由を説明するべきところなはずです。
スーパーで子供が走っていて『店員さんに怒られるよ!』みたいなモヤモヤした注意に似た感覚でした。
息子の担任の先生方が良い先生で良かったなぁとつくづく思います。
正直学校の先生も人間なので合う合わないはある訳だし。それは先生方からも合う合わないの家庭があるのも当然な訳です。
息子は縄跳びが苦手です。1年生の体育の授業で縄跳びがありました。
息子は体育の先生に『ぼくは縄跳びが出来ないから見学します』と言いました。
体育の先生は『学校に来たんだからやりなさい』と息子に言いました。
当時息子は週2回しか学校に行っていなかったので朝はみんなが登校して来る前に毎日宿題を出しに一緒に行っていました。そこで朝体育の先生からこのやり取りをしたと聞きました。
体育の先生には『そんな事があったのですね。教えて頂いて有難うございます』と私は言いました。
正直私はこのやり取りはどっちもおかしいと思いました。“出来ないからやらない”と言った息子もおかしいし、“学校に来たんだからやりなさい”と言った先生もおかしい。
家に帰って息子と話をしました。
『出来ないからやらないは流石にダメだよ。学校は授業だから。出来ないから教えて下さいと言えれば良かったね』と。そもそも体育の日学校へ行かない選択肢事もあると息子には伝えました。
息子は体育の先生が好きでは無いと感じたからです。
でも息子は体育の授業に行き続けました。
『教えて下さい』を毎週体育の先生に言い続けました。
縄跳びを家で私と練習をしたり、跳び箱を買って家で練習したりしながら苦手な体育に挑戦していました。
体育の先生は怖いけれど、出来る様になりたい!と息子は頑張っていました。
息子は今でも当時の体育の先生が好きではありません(笑)それもこれも経験なので良しとしようと息子には言っています。
親になって“言葉の選び方”について考える事が増えました。言い方って大切です。子供に教えなければいけませんし。
先日こんな事がありました。
遊んでいるとマスクから鼻が出てしまう息子に、クラスの子が『ちゃんとマスクしなよ!』と言いました。
息子は怒った様に言われた為同じトーンで『解ってるよ。うるさいなあ!』と返しました。
この話を息子から聞いた私はまず『ちゃんとマスクをしなよ!』って言われてどんな気持ちだった?と聞きました。
息子は『ちょっと嫌な気持ちになった。わざとしてるわけじゃないし』と言いました。
それを受容した上で私は言いました。
『その子はどうしてそう言ったのかな?息子くんが同じ言い方で返したら言われた子はどう思ったかな?』と。
『ぼくがマスクをきちんとしていなかったからそう言った。嫌な気持ちだったと思う』と息子は言いました。
『そうか。じゃ息子くんはどう言えば良かったのかな?』と聞くと彼はこう答えました。
『教えてくれてありがとうと笑って言えば良かった』と。
私は100点満点の答えを出した息子を褒めて褒めて褒めまくりました(笑)
感情的に言葉に出す事は良い結果をうまない事を学習してくれました。
そんな事があった後、算数の授業中に苦戦していた問題を休み時間に一緒にやろうと担任の先生が息子に声をかけてくれました。教えてくれた担任の先生に『ぼくの為に教えてくれて、ぼくの事を気にしてくれてありがとうございました』と言ったと先生から教えて貰いました。担任の先生は“嬉しかった”と。その日も私は息子を褒めました。息子が選んだ言葉で担任の先生は嬉しかった。担任の先生の言葉で息子も嬉しかった。それを聞いた母も嬉しかった。みんなが“嬉しかった”訳です。みんながHappyになれる言葉って良いよねと息子とニコニコ話しました。
大人だって言葉の使い方を知らない人が沢山います。
そんな言い方しなくても……という人が沢山います。
言い分はどっちも間違っていないけれど、言い方に棘があるからぶつかってしまうのです。
私は毒親に育てられました。
私の父は人を卑下する事が大好きです。その言葉達に私も散々傷付いて来ました。だから私はそんな大人になりたくないとずっと思って来ました。
息子にも言葉選びは大切だとこれからも教えて行こうと思います。
無駄に傷付けたり争ったりしなくても良いのですから。自分も周りも平和に過ごせる事が一番だと常々思っています。私自身も日々精進精進!!(*•ᴗ•*)و