アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/07/05(金) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/07/05(金) 💖💓💛💖🌈

 

 

● 福音書日課:マルコ6:1-13
6:1 イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。 6:2 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。 6:3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。 6:4 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。 6:5 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。 6:6 そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。 6:7 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、 6:8 旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、 6:9 ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。 6:10 また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。 6:11 しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」 6:12 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。 6:13 そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。

:今週のテーマ【自立した信仰】

【聖句断章】6:1
イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。
    
@ イエス様の【故郷】ナザレの背信性 :
≪多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」 このように、人々はイエスにつまずいた。 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。 そして、人々の不信仰に驚かれた≫

* 個人の秘密のない全て知られている村社会。
   :  12年間長血を患っていた女にとっての狭い世界のように :
* 自立した信仰が育たない世界 : 共同体の縛りの強い社会。
* 反逆の民の支配する世界 : 今週の第一日課 エゼキエル2:3-5が描いているのはまさにナザレのことではなかったか。
≪主は言われた。「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。≫

* ガリラヤのナザレ : ナザレから何の良きものが出ようか、とのナタナエルの感慨。ヨハネ1:46 ≪するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」 ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」 更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」≫
※  たしかに彼の言うとおりだったのかもしれない。ガリラヤの町々村々は闇の中に見えなくなっているような辺境の地域だった。ナザレもガリラヤの村として、決して牧歌的な村というこれまで我々が知らされてきたイメージとはほど遠い、痛み苦しみに満ちた村社会ではなかったか。たしかに彼の言う通りだったのかもしれない。それがイエス様の生まれた地として御心に相応しい。そこにこそイエス様は摂理的運命的に生を受けた。ナザレの有様を直言したナタナエルの言葉をイエス様は全面肯定された。その通りだと。そして彼をイエス様は他の12弟子以上に最大限に評価され、この人は真のイスラエルだと言われ、更にもっともっと大きな祝福を与えておられる。≪もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」 更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」≫彼のような心の清い者は神を見る、と言っておられるのだ。≪心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る≫。

@ だからこそ、イエス様はナザレの外に出て、≪付近の村を巡り歩いてお教えになった≫。村々を巡り歩いて、悔い改めの福音を宣べ伝えられた。そこの住民がよりましだったわけではない。≪しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい≫。彼らも同様に背信の徒、反逆の民、聴く耳を持たない人々だったであろう。どこも同じである。だがそのような眠った羊のような彼らに神の福音を伝え、目覚めさせることがイエス様の召命だった。

* 今週のテーマ【自立した信仰】の個人へと一人一人を自立させる導き手である主は我々を遣わされ、力を与えて、悔い改めの福音を伝えさせる。≪十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。 そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。≫

💕 目覚めた人々は星のように輝く。その人たちは世界を神の国とするために助け手として働く。