アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/21 (日) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/21 (日)💖💓💛💖🌈

 💓    週初め版:今週のテーマ【復活の主に繋がる】

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    『 兄弟太陽と全被造物による賛歌』
 
                                     by アッシジのフランシスコ

いと高き全能の良き主よ  
    賛美・栄光・祝福は全てあなたのもの  御名に敵う者は誰もいない

主はたたえられよ  兄弟太陽によって
    太陽は昼を治め  私たちを照らす
    美しい大きな光によってあなたはご自分を映し出される

主はたたえられよ    姉妹なる月や星星によって
    あなたは 姉妹たちを明るく貴く美しく天に配置された
    
主はたたえられよ   兄弟なる風・空気・ 雲によって
   あなたは変幻自在な天象によ って全ての被造物を支えられる

主はたたえられよ   姉妹 水によって
    すべてのものを生かし 驕ることなく 貴く純粋なる水によって  

主はたたえられよ  兄弟 火によって  
    美しく、心地よく、逞しく、力強く  死の闇を照らす火によって
    
主はたたえられよ  我らの母、姉妹なる大地によって
    我らを育て養い 色彩々の草花を茂らせる大地によって

主はたたえられよ   あなたへの愛のために人を赦し、
    平安のうちに病と苦しみに耐え忍ぶ人々によって
その人は幸い! いと高きあなたから栄冠を受ける

主はたたえられよ   姉妹死によって
    生きている者は誰も皆一度は死ぬ
    だが 罪のうちに死ぬ者は災い!
御心に生きる者は幸い! 第二の死がその人を損なうことはない

とこしえに主をたたえ 主に感謝しよう!
へりくだって 主に仕えよう!

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『フランシスコと歩む観想の道~今日の不安な社会の中で~』
  Eloi Leclere  Chemin de contemplation  1995

● 1.目覚めよ、竪琴よ、琴よ(詩編57:9)❷

#ドイツの神学者カール・ラーナーは、最後の演説で、キリスト教のメッセージの中核をなしているものについて自問自答しています。彼の答えは次の通りです。

* 問い:「確かに中心は当然、十字架につけられ復活されたナザレのイエスであり、なによりもそこからキリスト者という私たちの名前があると言うことが出来る。それが本当で助けになるのなら、何故このイエスだけが命と死について頼りになるのか?どのようにそうなのか? を言わねばならないのではないだろうか。この問いにどう答えるべきか?」

* 答え:「イエスのみが私たちを確かなものとすると告白すること以外でこの問いに答えるとしたら、それは無限の神ご自身によるコミュニケーションだろう。それは、創造された全ての現実を超えて、神からの賜物の有限性を超えている。有限で偶発的な現実、知られたとおりのイエスの現実は、きっと一つの宗教を形成することだろう。・・・しかし、それは絶対的な宗教ではない。全ての人々に有効な宗教を問うことは、私たちにとってキリスト教とそのメッセージのユニークな真実を問うことである。それは、神の現実と栄光を最も真実なものとするものにおいて、被造物に対して神が本当になさったコミュニケーションだ。それは真理だが、最も真理らしくない装いをもった真理だ。それは神がその現実と無限の栄光、聖性、自由、愛をもってご自身が現実に、掛け値なしに被造物としての私たちの存在の中に完全に来られるということだ。それに対して、キリスト教が私たちに提供したり、私たちが何かを要求したりすることは一時的なものであり、二次的でさえあります。

#キリスト教的神秘家はみな、カール・ラーナーのこのような見方を共有してそこから結果を引き出します。つまり、私たちの信仰の本質的対象がイエス・キリストにおいて神が望まれるコミュニケーションであるならば、神との一致の生活は何よりもまず、神とのこのコミュニケーションを迎え入れることです。だから、神との一致の生活は本質的に神の賜物に対する親密で深く開かれた心です。「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう」(詩81:11)。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙3:20)。神の方に向かうことではなく、常に、より大きく無我の心で内的なくつろぎの中で神を迎え入れることです。太陽を目指すのでも、また、到達しようと試みることでもなく、太陽が私たちのところに来るのす。その光線は私たちが太陽を迎える前に私たちに触れるのです。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛してくださった」(1ヨハネ4:10)と聖ヨハネは書いています。「神がまずわたしたちを愛してくださった」(1ヨハネ4:19)のです。

#神秘家は神の愛がまず最初であること、そしてそれが無償であることを信じています。神秘家はそれを見て、その深みを探ることを決してやめません。ゼーレン・キルケゴールは書いています。「私たちを先に愛してくださった神よ。残念ながら、私たちは、あなたが先に一度だけ私たちを愛してくださったかのように語ります。ところが、実際は、あなたが常に、絶え間なく、毎日、一日中、一生涯、私たちを先に愛してくださいます。朝目が覚める時、私たちがあなたに魂を向ける時、あなたは私に前を進み、あなたは私を先に愛してくださいます。いつもそうです。」と。

#アンジェルス・シレジウスは、「あなたが神を望み、その子であることを欲する時既に神はあなたの内におられるのです。あなたにインスピレーションを与えるのは神です。」「あなたの内にはっきりと現れて来る神への愛は神の永遠の力、その火、その聖霊なのです」。教会の中での神秘家特有の使命はその存在によって人々に対する神のコミュニケーションの優越性と至高性を呼び起こすことだと言えます。

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 ☆【今週の聖句テキスト】復活節第5主日

● 賛美唱:詩編22:26-32
 22:26 それゆえ、わたしは大いなる集会で/あなたに賛美をささげ/神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。 22:27 貧しい人は食べて満ち足り/主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。 22:28 地の果てまで/すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り/国々の民が御前にひれ伏しますように。 22:29 王権は主にあり、主は国々を治められます。 22:30 命に溢れてこの地に住む者はことごとく/主にひれ伏し/塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得 22:31 -32子孫は神に仕え/主のことを来るべき代に語り伝え/成し遂げてくださった恵みの御業を/民の末に告げ知らせるでしょう。
 
● 第一日課:使徒8:26-40
 8:26 さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。 8:27 フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、 8:28 帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。 8:29 すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。 8:30 フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。 8:31 宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。 8:32 彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。 8:33 卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」 8:34 宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」 8:35 そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 8:36 道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 8:37 フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。 8:38 そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。 8:39 彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。 8:40 フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。
 
● 第二日課:1ヨハネ4:7-21
4:7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。 4:8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 4:9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 4:11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。 4:12 いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。 4:13 神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。 4:14 わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。 4:15 イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。 4:16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。 4:17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。 4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。 4:19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。 4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。 4:21 神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。
 
● 福音書日課:ヨハネ15:1-8
15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 15:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 15:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 15:6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 15:8 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

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☆ 今週のテーマ:【復活の主に繋がる】

* 7週間の復活節の、今週は第5週。復活節の全てのテキストは特別に復活の光を照しています。先週のテーマは【復活の主】でした。今週はそれに続いた自然な流れとして、【復活の主に繋がる】をテーマとしたいとおもいます。

* 今週の『フランシスコと歩む観想の道』第1章においても、その事が明確に示されていることは先週との繋がりからして当然でしょう。私たち人間が主ではなく、神が主、主権者であり、私たちはその恵みの中での主の言によって目覚めさせられるという事です。

* そこで、今週のテーマを【復活の主に繋がる】といたします。主のイニシアティブによって復活が私たちをどのような幸いへと導いてくださるかを共に味わいたいとおもいます。今週のテーマ【復活の主に繋がる】 をいただいた主に感謝!このテーマが今週の三つ四つの聖句を通して、主の復活から放出される光が私たちを異次元の光で照らしてくださるよう祈りつつ、今週も私に託された和解の務めを果たして行こうと思います😊。

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