アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/10(水) | ブログ 太陽と共に始めよ

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翻訳:水曜特番
Genesis 6 Conspiracy : How Secret Societies and The Descendants of Giants plan to enslave Humankind
 by  Gary Wayne  2014 imprint of Deep River Books
 『創世記6章陰謀 :秘密結社と巨人の子孫たちの人類奴隷化計画
第三部 【アナクの子孫たち : その血脈と契約】

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  第37章 ダビデとゴリアト

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≪ゴリアトは立ちはだかり、イスラエルの戦列に向かって呼ばわった。「どうしてお前たちは、戦列を整えて出て来るのか。わたしはペリシテ人、お前たちはサウルの家臣。一人を選んで、わたしの方へ下りて来させよ。その者にわたしと戦う力があって、もしわたしを討ち取るようなことがあれば、我々はお前たちの奴隷となろう。だが、わたしが勝ってその者を討ち取ったら、お前たちが奴隷となって我々に仕えるのだ。」このペリシテ人は続けて言った。「今日、わたしはイスラエルの戦列に挑戦する。相手を一人出せ。一騎打ちだ。」サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののいた。≫   サムエル上 17:8-11


* 「ダビデとゴリアト」の物語は日曜学校で教えられた若い魂がダビデに憧れる永遠の物語である。だがそこで説明されていないダビデの王座とネフィリム王の関係、王家の血統と反キリストの血統との関係はどうなのだろうか?

* ダビデはおよそ1000年後のキリストに至る真の王朝血統の始点であり、地上の王権であるが、将来イエスがそれを継ぐこととなる王朝の王である。ダビデはまた、全ての偽王朝血統もみな彼らの認められた家系と信頼性をさらに高めようと熱烈に精進してる王朝血統の血筋でもあった。

* この章の冒頭句節はイスラエルの預言的旅路の最も重要な十字路のひとつを開示する目を奪うドラマを物語っている。ここで我々はイスラエルの運命に影響を及ぼすために介入するダビデとの最初の出会いとして少年ダビデに出会う。それはサウル王と彼の軍が強力な軍事国家ペリシテと衝突しようとしている時だった。ペリシテ人はイスラエルへの継続的侵入と侮辱をもってたえずイスラエルを悩ませた。

* ペリシテ人は当時、イスラエルの最大の軍事的脅威として、イスラエルが平和の時代を実現して、後に第一神殿を建てる夢を妨げていた。ネフィリム主導のペリシテ人が血の誓約を隠し持ってイスラエルに対峙する恐るべき軍事勢力となったのは決して偶然ではなかった。エブス人やモアブ人のような敵対民族は強化されてたイスラエルにとってはもはや軍事的な脅威ではなくなっていたが、ネフィリム主導のアマレクとペリシテは根本的に危険な敵対勢力だった。

* ペリシテ軍とイスラエル軍は谷を挟んだ高地を占拠して対峙していた。両軍とも高地の優位性を活かして致命的攻撃を仕掛ける敵の先制攻撃の差し迫った危険性を認識していた。イスラエルは強力なネフィリム戦士によってペリシテ軍の戦闘レベルが強化されていることをよく知っていた。イスラエルはまだペリシテのような戦士国家に対して優位を得る備えが出来ていなかった。イスラエルはペリシテとの小競り合いで受けた古傷に恐れ慄いていた。ペリシテも長年にわたるイスラエルへの侵入をかわすイスラエルの柔軟性に対して用心を怠らなかった。これは古来のメキシコ式の古典的なスタンドオフだった。互いの恐れから手詰まりのにらみ合いを続け、勝負をかけることを嫌がっていた。

* 緊張がエスカレートする度にペリシテ軍のプレッシャーは少しずつだが確実に強まって行った。ガト出身の巨人ゴリアトは毎日朝夕、谷に出て来て、イスラエル全軍に対して手強い相手と思わせる努力をする代わりに、彼と一対一で決闘して勝者が全部取り他の民を従わせることが出来るとする提案を始めた。これはイスラエルの勇気を逆なでする強烈な挑戦だった。ペリシテ軍はイスラエルがそれを受け入れるとは予期していなかった。神とイスラエルに対する辛辣で侮辱的な挑戦的提案は選びの民に恐るべき神の介入を求める時を用意した。ダビデの出番が来た。

* ダビデは複合的人格の人物である。彼は未来の人類の全てを担う圧力に縛られた存在だった。神がダビデがこの役に適役だとして選んだのは、彼の心を見たからあり❶、彼が完全だったからではない。ダビデは神を熱心に真実に求める心を持ってた。コーランはいつも神に支えを求め願ったダビデの心が彼の強さの秘訣だったことを強調している❷。たいていの人はダビデの心が純粋で平和に満ちていたように思うかもしれないが、たしかにダビデの心は神に対して純粋で、その信仰は真実だったが、全ての人間と同じような人間性の葛藤以外に我々はダビデの内面について知らない。

* ダビデがイスラエルの運命において果たすよう選ばれた役目は平和を作ることではなかった。ダビデはイスラエルの敵を服従させるために選ばれた戦士王だった。イスラエルの契約上の義務を暴力と戦いによって果たしたのがダビデだった。ダビデはイスラエル国内に残留した敵と民族を追い払い、平和を確立した。ダビデはアマレクを滅ぼす仕事を達成したのち、士師とサウルの時代を通してずっとイスラエルを悩ませてきたイスラエルの周囲国の支配権を打破した❸。マホメッドはダビデのこの事に関して次のように言っている。≪神は彼に至高権と知恵を与え、彼が神に求めるものを教えた。もし神が誰かを他の誰かによって後ろに追い返さなかったら、地上は完全に堕落していたであろう。だが神は全てに放縦であられる。≫❹

* イスラエルの心であり魂であるエルサレムを建てたのはダビデだった。全生涯を戦いにささげ、ソロモンが平和的な知恵の王となることが出来るようにしたのはダビデだった。聖なる神殿を建てることを許されたのはソロモンであってダビデではなかった。それはその手が戦士として血で汚れていたからである。ダビデは偉大な戦士王として有名になったのであって、ソロモン王のような平和を与える祭司王ではなかったことを忘れてはならない。

* ダビデは野蛮で、祭司王の王朝の長として相応しくなかったと考える聖史批評もあるかもしれない。純粋に世俗的観点からすればその結論に容易に達するだろう。しかし、ダビデはサムエルによって王に就けられた時以来、彼に託された委託をただ成し遂げようとしただけであることを理解しなければならない。そしてそれは神の指示であり(サムエル16:1-23)と、「王」の聖約 (申命記17:14-15)≪あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入って、それを得て、そこに住むようになり、「周囲のすべての国々と同様、わたしを治める王を立てよう」と言うならば、必ず、あなたの神、主が選ばれる者を王としなさい。同胞の中からあなたを治める王を立て、同胞でない外国人をあなたの上に立てることはできない。」≫だった。ダビデはサウルが全てのアマレクを根絶し(サムエル上15:1-35)、イスラエルをペリシテの圧迫から解放するように(サムエル上14:47-52)との神の命令を守ることに失敗した直後に神によって選ばれた。ダビデは彼が王に就けられた時の神との聖約に基づく戦時契約義務を果たし、アマレクに対する神の命令を成し遂げた。その聖約とは「国々を追い払え」である(申命記7:1-6)。こう言われている。≪ あなたの神、主があなたに渡される諸国の民をことごとく滅ぼし、彼らに憐れみをかけてはならない。彼らの神に仕えてはならない。それはあなたを捕らえる罠となる。≫(サムエル上7:16)であり、≪もし、その土地の住民をあなたたちの前から追い払わないならば、残しておいた者たちは、あなたたちの目に突き刺さるとげ、脇腹に刺さる茨となる≫(民数記33:55-56)。聖戦の命令とは≪あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。≫申命記20:13であり、そうしなければ≪わたしは、彼らにしようと思ったとおりに、あなたたちに対して行うであろう。≫(民数記33:56)がいつも注記されている。 このことから「追い払え」と「戦え」の命令は、≪あなたの神、主はこれらの国々を徐々に追い払われる。あなたは彼らを一気に滅ぼしてしまうことはできない。野の獣が増えて、あなたを害することがないためである。≫(申命記7:22 )の注記を伴っての「国々を追い払え」の命令であった。

* ダビデの手が血で汚れていたことは秘密ではない。彼はおびただしい戦いを戦い、数え切れない戦士や民を殺してきた。ダビデは「サウルは千を討ち/ダビデは万を討った。」と言われた❺。ダビデは200人のペリシテ人を殺し、彼らの包皮をサウルにサウルの娘ミカルとの結婚の結納として送った❻。ダビデはまた、フリンの欲望のためにベトシェバの夫ウリアを殺す陰謀を企てさえした❼。そしてそれをナタンにとがめられた。ダビデが懺悔したので、彼の罪は神から赦された❽。これらの記録はダビデがいまだ単なる男であり、神的人間ではなかったことを示している。たしかにダビデは平和の王ではなかったし、そう考えるべきではない。決して穏やかで完全な統治者でもなく、罪のない人間でもなかった。我々はダビデのことを神の裁きを執行する戦士王だったと考えなければならない。それはちょうど、彼の子孫が主の怒りの大いなる日に為すであろうようにである❾。

* 神はご自身の偉大な戦士に聖なる神殿の建設者となることを許さなかった。その務めはソロモンに残された。彼は当時の平和と知恵の王であり、メシアの二つの本性の片割れを投影していた。メシアは、平和と知恵の王であると共に、殉教の聖徒らに復讐を完遂する神の戦士である⑩。そこで、メシア王朝の最初の二人の王がメシアの二つの本性を現わしていると考えられるかもしれないが、両者とも犠牲の小羊として律法によって求められた完全性に欠けていた。だが、真のメシアイエスの二重の本性の予兆として、ダビデはライオンの特性を、ソロモンは小羊の側面を示していると言うことは出来る。

* ダビデの献身の報いとして神は彼に偉大な知恵と知識を授けた⑪。コーランには、多くの預言者や宣教者に愛され、また、ダビデの聖書として詩篇を恵まれたことが覚えられている⑫。ダビデの王国は彼の献身によって、彼が語る時の決然たる態度で強化された⑬。神はダビデが神を栄化する時、彼の讃美に山とそこにこだまする鳥たちを結びつけた⑭。

* 最も伝説的な戦士という点では、子供時代の始めに神秘的空想的なダビデ像を植え付けた。たいていの批判的な世俗歴史家はゴリアトの物語はせいぜい真理の大幅な誇張であり、もっとありうるのは、王朝を鍛造することに成功した戦士王の栄光を膨らませるための単なる神秘的創作であると考えている。世俗の冷笑的歴史家はモーセやイエスの子供時代についても同様の結論を出し、ロムルスとレムス、マケドニアのアレクサンダー大王を偉大なる知恵の例として引き合いに出して、全ての伝説的王は似たような子供時代の神話を持っていると宣言する。彼らはこれらが他の伝説王と並行的な子供時代の神話だとして、彼らの高慢を支持してくれているものと思って記している。

* それらの主張は聖書の正確さと文字通りの真実への不信を強調するばかりである。ゴリアト物語は聖書に偶然挿入された不器用な物語ではない。ゴリアト物語は旧約聖書の重要な全てのものとの関係と文脈から沁み出している。この物語はダビデがサムエルから王の戴冠によって課された契約義務の中心的振動である。さらに、ゴリアト物語はネフィリム物語と不詳のアビブ人とに直結する尋常ではない物語である。

* ユダヤの伝説ではゴリアトは驚くべきことにダビデと関係している。ダビデの親戚オルパの孫である。オルパはルツと繋がり、そこからダビデが王のメシア血統を受け継いだのだから⑮。ルツはボアズと結婚し、オベドをもうけた。オベドはダビデの父エッサイをもうけた⑯。士師記の時代、大きな飢饉があり、ベツレヘムのイスラエル人、エリメレクとその妻はモアブに移住し、そこでマロンとキリオンを産んだ。エリメレクはモアブでナオミと二人の息子を残して亡くなった。二人の息子はモアブの女性オルパとルツと結婚したが、マロンもキリオンも十年後にナオミとオルパとルツを残して亡くなった。三人はみな、寡婦となった。ナオミはルツと共にベツレヘムに帰ったが、オルパは両親の家に帰った⑰。

* ピンスキーは、12世紀のヘブライ詩人Hayyim Nahman Bialikハイーム・ナーマン・ビアリクと死海写本「オルパ」によれば、ルツもオルパも普通のモアブ人ではなくモアブ王エグロンの娘だった、と言っている。エグロン王はイスラエルに対して賢明な尊敬を表したのだろう。王女である娘たちとキリオンとマロンとの結婚を許した。オルパは、ナオミがルツと共にベツレヘムへ帰ったのち、王家に帰って行った。ゴリアトはオルパの孫であるから、ということは、ダビデの第三世代の従兄弟であることになる⑱。

* もしゴリアトがネフィリムではなく、単に巨大なペリシテの戦士であっただけなら、ゴリアトが本書に登場することはなかった。しかしゴリアトがネフィリムであれば、我々は彼を調べる必要がある。ゴリアトの背丈はたしかに誰もが知るように、9フィート((30.48cm×9=2.74m))以上もあったと語られている⓳。ゴリアトの鎧は125ポンド(453.5g×125=56.6kg)だった! 槍は持って戦場に行くには重すぎて肩に背負っていた。槍先だけで15ポンド(453.5g×15=6.8kg)あった。ゴリアトは常時彼の寵愛する家来たちに彼の武具を運ばせた。

* ゴリアトはペリシテの英雄だった。聖書の伝説のゴリアトは聖書に書かれてある最強最大の兵士として讃えられた。実際、伝説は聖書がこの極めつけの戦士とその偉業について語られるべきことをあまり記していないことを注記している。我々はユダヤの伝説からゴリアトがオルパかあるいはオルパと同名の娘から、他の4人の巨人と共に生まれたことを知っている㉑。一人の母からだけでも4人の巨人が生まれたことは、ペリシテが邪悪な巨人で溢れかえっていたことを暗示している。

* ギボリムは創世記で古代都市国家の専制王のひとりとして登場する「英雄的支配者」のヘブライ語訳である。ゴリアトはガト出身だが、アシュドド、アシュケロン、エクロン、ガザ、ガトを五人のペリシテ人の領主が治めていた。ペリシテ人とはこれら5人のアビム人の領主と見られる㉒。ゴリアトはこれらペリシテの5都市国家出身のネフィリム/ギボリムだったのだろうか? これは理にかなった仮定である。だが実際にそのことを確定できるだろうか?

* サムエル記下は他にもペリシテの4人の際立った巨人を挙げている。イシュビ・ベノブ、サフ、ゴリアトの兄弟ラフミ、手足の6本指のシッパイという巨人である㉓。最も可能性のあるのは、これら4人の巨人はペリシテの5つの都市国家のネフィリム/ギボリム領主だったということである。聖書は彼らのことをあまり詳しくは語っていないが、歴史の教訓からすぐにわかるのは、ネフィリムが繁栄した所ではどこでも、ノアの時代からアマレク人やアモリ人に至るまで邪悪な領主がそこの民を支配していたことである。4巨人がアシュドド、アシュケロン、エクロン、ガザを治め、ゴリアトは5番目のネフィリム/ギボリムとしてガトを支配していたということであろう。ゴリアトは既に述べたが、ペリシテのガト出身のギト人だった㉔。

* さて、ヨシュアは征服期間中、契約の地のネフィリムを掃討したが、ペリシテの5都市国家:ガザ、アシュロト、アシュケロン、ガト、エクロン:だけは残した。それこそダビデとゴリアトの物語の5都市国家と同じ5都市だった。それが偶然ではありえない。ヨシュアはその5都市がペリシテのアビブ人の5王国であることを知っていた㉕。そのことはもっともっと沢山の巨人がペリシテ人の間に住んでいたにちがいないことを暗示している。サムエル下と歴代誌上はラファの子孫が住んでいた地をガトとして明確に記している点で一致している㉖。それ故、ガトからの巨人が本当にネフィリムであったことは驚くべきことではない。

* さらに、聖書がペリシテの指導者のことを語る時、「都市国家の5人の(アビブ人の)王たち」とか「ペリシテの領主」とか「ペリシテの5人の領主」、とか言った㉗。Neil Asher Silbermanと Israel Finkelstein によれば、ペリシテの「領主」「君主」「王」と訳される語は非常にまれな用語で、ヘブライ語ではない。それに用いられた原語はペリシテ5都市の5人のseranimセラニムである。セラニムはペリシテからヘブライ語に取り入れられたと考えられる。シルバーマンとフィンケルスタインは学的にはギリシャ語のtyrannos即ち「専制君主」と語源が関連していると主張している。ギリシャ文学でTyrannosと呼ばれた最初の支配者はLydiaの王 Gygesだった㉘。ギリシャのタイタンはGygesの変異形として知られ㉙、gygesは巨人giantあるいは巨大なgiganticの原語であることが想起されるであろう。ペリシテの5都市出身のアビブ人の王たちはみな巨人だった。それを前提に出発しよう。

* だからといってそれがゴリアトがネフィリムであった証拠ではないが、しかし状況証拠はみなゴリアトがネフィリム/ギボリムだったにちがいないことを証言している。他の説明が有り得るだろうか? たしかにゴリアトはペリシテの戦士指導者だった。彼は全イスラエルの英雄と思しき者と一対一で決闘し、勝者が敗者の民全体を従えるする死の戦いを申し出た。ゴリアトはペリシテの領主だったと思われる。何故なら、他の領主への言及がないからである。この情報とネフィリムが洪水前も後も戦士支配者だったことを考え合わせるとそれ以外の合理的な説明はあり得ない。それにしたがって、ゴリアトが5都市国家の領主/王の一人であったにちがいない。そしてガトがゴリアトが王であった都市国家であっただろう。ゴリアトはギト人だったからである。

* 聖書はラファとガトの子孫の5人の有名な巨人について語っていない。KJVはガト出身の巨人の子孫の有名な5人の巨人について詳述している。オグは本当にラファだったのか、あるいはラファはオグの子孫であったのか? 誰がレファイム人の始祖だったのか? たしかにオグはモーセとヨシュアと戦った生き残りで、偉大な時代を生きていた。

* ダビデとゴリアトの物語はペリシテ軍がユダのソコでイスラエルと戦うために全軍集結して始まる㉚。サムエルとイスラエル軍も集結して、エラの谷に設営した㉛。

* ペリシテ軍は一つの土手を支配し、彼らの隣にイスラエル軍はキャンプを設営して谷の他方の土手を支配した。両軍はすぐに膠着状態になった。イスラエル軍は先制攻撃を仕掛けるつもりがなく、ペリシテ軍も同じだったから。このことが伝説的なダビデとゴリアトの物語を展開するシナリオを推し進めた。

* ゴリアトはこの手詰まり状態を絶好の好機と見て、信じられないほど傲慢にイスラエルを侮辱的に挑発した。毎朝完全武装して出かけ、イスラエル軍を挑発し、イスラエルの最強の勇敢な戦士を送って、勝った者が全部取りし、負けた者は民全員が服従する死闘をやろうと煽った。サムエル記はゴリアトが40日朝夕この高慢な挑戦を仕掛けたが、イスラエルはその挑戦に乗らなかったと記している。ゴリアトはイスラエルが臆病な民族だと全イスラエルを完全に侮辱した。イスラエルは正直言って、当然のことながら、その挑戦に怯え狼狽えた。彼らはゴリアトが傲慢にも彼らの前を朝に夕に毎日行進する様を見せられて屈辱を受けた㉜。

* 一読してこのシナリオは美化されており不自然でと見られるかもしれない。どの民族が将来の自分たちの運命を一回限りの死闘でたった一人の戦士の手に委ねるだろうか。たとえその戦士がどんなに強いとしても。両軍が大軍を率いて戦いの備えをしている時に、二人の人間のあれかこれかの決闘とは、少し空想的に思える。しかし、事実、カーヒルは、古代では凄惨な戦いを避けるため、しばしばそのような一回の決闘で誰が誰に従うかを決する戦いがあり、同様の記事が『イリアス』にも出て来ることはさらなる証拠となろうと言っている㉝。

* イスラエル中にそのような戦士がいなかったようである。この挑戦に応えるべく備えているはずの有名な大男のサウル王自身さえも。ゴリアトは来る日も来る
もイスラエルの名を汚し続けた。それはサウルが以前ゴリアト保護下のガトから律法の板を取り返した時ゴリアトが味わった屈辱への復讐だった㉞。サウルはゴリアトに復讐の機会を与えようとせず、死闘に臨むことを拒否した。契約の箱を奪ったペリシテ人に基づいてコーランが記す記事に付加したサウルの伝説として終わるのか?㉟

*  その挑戦はイスラエルによって受け入れられ、ユダ族のエッサイの子 十代の少年ダビデが進み出た。この日は柔和な者が信仰によって勝利する偉大な日の一つとして証言される日となった。ダビデはこの巨人と一対一で死闘をするために進み出た。ヨセフスはダビデが蔑視と嫌悪をもって進み出る様子を描いてこの出来事を想起している㊱。十代の少年が偉大な巨人戦士と戦うために進み出る時、恐れと不安で圧倒されなかったということは、ダビデがその信仰によって神の守りの下にあったことを考慮しない限り、奇妙なことに思える。事実、niv Bibleはゴリアトが若い時から戦う男だったと言い、KJVはゴリアトが「少年のときからの戦士」だったと言っている(サムエル上17:33)。

* ゴリアトは、棒をもってやって来るとは、俺を犬とでも思っているのかとダビデに言い放ち、彼は自分の神々によってダビデを呪った㊲。ヨセフスはダビデがゴリアトは人間ではなく、犬でさえない、犬以下であると言い放ったと記している㊳。ダビデは最悪の人間や悪霊に用いられる「けだもの」とゴリアトのことを宣言した。そうしてダビデはその日この巨人を殺して、首を切り、その死体を鳥の餌とすると誓った㊴。この宣言は再度、そのような恐るべき敵に直面して驚くべき侮蔑と挑戦と決意と勇気の宣言であり、しかもダビデは落ち着いて不思議にも当然の理性をもってその脅威に対処したことを証ししている。

* これら全ての有様はゴリアトにとってとてもおかしく、彼は唸るような大声で笑った㊵。イスラエルは40日の侮辱の末に、遂に全イスラエルの栄誉を取り戻す救いの戦士を送った。しかしイスラエルの栄誉の回復を託されたこの戦士はほんの思春期春の少年にすぎなかった。その彼が当代きっての、否、色々な伝説によれば、おそらく洪水後全体を通して最も獰猛な9フィートの巨人戦士に向かってゆく。アイロニー、ドラマ、コメディなのは避けようもなかったが、しかしその朝ソコで演じられたのはそれだった。それ故、ゴリアトが哄笑を抑えることが出来なかった訳も分かるというものであろう。

* この時点で聖書の記録は奇妙の逸話のように思われる。あまり重要でないことはほとんどいつも見過ごされているが、ネフィリムの絶滅に関するイスラエルに対する委託と、さらに、ダビデが示した勇気と信仰の謙虚な証言覚醒の記録はそれに相応しく非常な需要性を持って記されている。ダビデがゴリアトとの戦いにゆっくり歩み出した時、彼は小石の中から滑らかで石投げの石に適当なを5つを見つけるまで選んだ(サムエル上17:40)。

* 5つの滑らかな意思を選んだのは何故か? 最初はダビデが何気なく普通にただミスしたときのために予備の石とするものを集めただけのように見えるかもしれない。この自然な推量はしかし、精査に耐えられない。もしダビデが全能者の守りの下にあったのなら~そして彼は実際そうだったのだが~、一つの意志で十分だっただろう。そして実際、物語が描いているように、神はそうなさったことが分かる。であれば、ダビデは何故5つの石を選んだのか?

* この難問への答えは次の事実を考慮すれば実に簡単である。ダビデは当時支配していた5人のネフィリム戦士王を殺す準備をしていただけである。ダビデは必要な状況が生まれれば、ペリシテの5都市の5王全てと戦う用意が出来ていた。ダビデが選んだ5つの石は5人のネフィリム/ギボリム、シッパイ、サフ、ラーミ、イシベノブ、ゴリアトと共に、皆、当時ペリシテの5つの都市国家を統治する王として現臨していた。他のアビブ人はその日にはゴリアトの支援のために来なかったが、ダビデは彼らが来ないとは知らなかった。他の4人のネフィリム王が後日ダビデと彼の有名な戦士たちの手で破滅させられことは問題ではない。

* 一対一での死闘は劇的クライマックスに向かうスペクタクルだった。その戦いは戦闘者が疲れ果てる流血の乱闘ではなかった。ダビデは滑らかな石から一つを選んで、ゴリアトめがけて投げただけだった。石はミサイルのように発射され、ゴリアトの額に食いこみ、巨大なセコイアのようにゴリアトを沈めた。ゴリアトが倒れると、ダビデは巨人に向かって走り寄り、ゴリアトの刀で彼の首をはねた。その日ダビデは刀を持参していなかったからである。ダビデはゴリアトの首を高々と上げて全ての者に見せた。イスラエルは興奮で熱狂的叫びをあげたが、ペリシテは恐れで震え出した(サムエル上17:49-51)。

* ダビデが巨人戦士を殺すために石投げ器を使ったことは批判者にはこの物語を馬鹿にするもう一つの理由と見えた。だが、我々はここでも、石投げ紐が全く賢明な選択であり、最も強力な武器だったことを理解するために、当時の人々の身になって考えてみなければならない。石投げ紐はベニヤミン戦争でベニヤミンの26000人の強力な軍によって使用されたところから来ている。その戦いでベニヤミン人は700人の左手石投げ射手を用いた。彼らはみな髪の毛一筋をねらって石を投げてもその的をはずすことがなかった(士師記20:14-17)。後にダビデは彼の軍にベニヤミンからの石投げ射手を受け入れ(歴代誌上12:2)、再びダビデの信仰とこの武器の効力を示して見せた。

* 石投げ紐は古代において長い間まさに恐るべき武器だった㊶。それはエジプト軍、アッシリア軍、イスラエル軍に広く共通に用いられた武器であり、後にギリシャ軍やローマ軍にも用いられた。石はダビデとゴリアトの物語が語っているように滑らかな石が選ばれ、600フィート(182.88m)の距離を正確に投げることが出来た㊷。それはダビデがゴリアトを殺すためにもっと近づくことを必要としなかったことを意味する。石は矢よりも強力であり、石投げ手は矢の射手よりも機動性があり、矢の射手よりも正確で広範な射程を有していた㊸。

* 恐怖に襲われたペリシテ人は直ぐにパニックになり、彼らのいなくなった英雄の目の前から逃げ去った。イスラエルはペリシテ人のパニックのサインに本能的に押し寄せた。その押し寄せる波はどんどんと膨れ上がり、人間の波は逃走するペリシテに襲い掛かった。イスラエルはガトへの帰途にある全ての道でペリシテを刈り取った。ペリシテは当時最大の軍事的敗北を喫し、何千という死体を残してソコからガトへ帰って行った㊹。

* もっと顕著なことはダビデがこの出来事の後直ぐに王位に就かなかったことである。ダビデはまだ少年であり、サウルが終生王であることが許されていた。サウルはしかし、ダビデを彼の翼の下に置き、連ドラのパノラマを展開する関係となった。ダビデが再度その法的委託を行使して、ネフィリムと巨人の残りの者を根絶し、アマレクの名を天の下から拭い去ることに着手するにはあとしばらくかかることとなった。

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次回:第38章 アビブ人
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