アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/07 (日) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/07 (日)💖💓💛💖🌈

 💓    週初め版:
    今週のテーマ【復活の証人】

********************************

 


    『 兄弟太陽と全被造物による賛歌』
 
                                     by アッシジのフランシスコ

いと高き全能の善なる主よ  
    賛美・栄光・祝福はみなあなたのもの
                御名に叶う者は誰もいません

主はたたえられよ   兄弟 太陽によって
    太陽は昼を治め 私たちを照らします
    美しい大きな光によってあなたはご自分を映し出されます

主はたたえられよ    姉妹なる月や星星によって
    あなたは 姉妹たちを明るく貴く美しく天に配置されました
    
主はたたえられよ   兄弟なる風・空気・ 雲によって
   あなたは それらの変幻する天象によ って 被造物すべてを支えられます

主はたたえられよ   姉妹なる水によって
    水はすべてのものを生かし 驕ることなく 貴く純粋です  

主はたたえられよ  兄弟なる火によって  
    火は 美しく、心地よく、逞しく、力強く  死の闇を照らします
    
主はたたえられよ  私たちの母、姉妹なる大地によって
    大地は私たちを養い育て  彩々の草花を茂らせてくださる

主はたたえられよ   あなたへの愛のために 人を赦し、
平安のうちに病と苦しみに耐え忍ぶ人々によって
その人は幸い! いと高きあなたから栄冠を受けます

主はたたえられよ   姉妹なる死によって
生きている者は誰も皆一度は死ぬ
だが 罪のうちに死ぬ者は災いである
御心の中に生きる者は幸い  第二の死がその人を損なうことはない

とこしえに主をたたえ 主に感謝しよう
へりくだって 主に仕えよう

********************************

『フランシスコと歩む観想の道~今日の不安な社会の中で~』
  Eloi Leclere  Chemin de contemplation  1995

● 序文❷
* 朝、フランシスコは兄弟レオが自分の所にやって来るのを見ました。いつものように、内気で臆病な顔つきで、朝だというのにすっかり落ち込んだ様子でした。魂の大きな責め苦に悩まされて一睡もできなかったそうだ。彼は自分の生涯の中で神との一致がどのようなものであるか分からなくなっていました。彼の目の前には自分の不完全さと不忠実さが乗り越えられないほど大きな山となって見えました。フランシスコは黙って彼の言葉に耳を傾けました。レオは心のうちに一つの期待を持っていました。フランシスコから何か信心深い言葉を書いてもらいたいと願っていたのです。そうすればきっと彼の不安と苦悩が晴れるに違いないと考えていました。どんな状況にあっても彼の魂に平安をもたらしてくれる有効なお守りになるようなものでした。その兄弟をよく知っているフランシスコは彼の望みを見抜いていました。レオがひそかに持ってきてすぐ書けるように手の中に隠し持っていた羊皮紙を取り、しばらく潜心して書き始めました。言葉はごく自然にその筆に乗りました。文章は短く、速やかで、翼があるかのように次々と出てきました。明らかに大きな喜びをもって書いていました。彼がしたためていたのは、勧告でも訓戒でもなく、その心が歌うままに任せていました。それは讃美の連祷でした。

≪あなたは聖にして主である唯一の神です。
あなたはくすいい業を為されます。
あなたは強く、偉大。
あなたはいと高く、全能の主。
聖なる父よ、 あは天と地の王でいます。

あなたは三位にして一つ。
主・神々の神。
あなたは善、全き善、最高の善、
主にして生けるまことの神。

あなたは愛、徳、
知恵、謙遜、忍耐、美、柔和、
安寧、静穏、喜び、私たちの希望と楽しみ。
あなたは正義、穏和、
私たちの十全な富、富の全て。

あなたは美、柔和、私たちの守り主、盾、
あなたは剛毅、回復。

あなたは私たちの希望、私たちの信仰、私たちの徳、私たちの全き甘美。
あなたは私たちの永遠の命。
偉大にして感嘆すべき主。
全能の神、慈しみ深い救い主。≫

* フランシスコは筆を上げて止まりました。こうして何時間でも書き続けることが出来たことでしょう。彼の心が静かに溢れ出たのでした。彼は教えようとしたのでも、何かを説明しようとしたのでもなく、ただ、歌っていたのでした。自分の考えに何か秩序立てしようと心を配ったわけではありません。それは即興的で止め処ない讃美でした。観想するのに飽きることのない、言い尽くせない現実の周りを十分に、そして本当にそれを表現することのできないで、色々と表現してみる遊びでした。

* レオは黙ってうっとりとフランシスコを眺めていました。フランシスコは再び書き始めました。今度はレオに宛てて書きました。全く聖書的な祝福でした。

 ≪主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平和を与えられますように。
兄弟レオよ、主があなたを祝福されますように。≫

* そしてフランシスコは兄弟の名前の上にヘブライ語のタウの文字を大文字のTの形で描きました。これがフランシスコの署名でした。それはまた、預言者エゼキエルの言葉によれば、救われた者のしるしでもありました。「さあ、この羊皮紙を受け取りなさい。そして死ぬ時まで持っていなさい。私たちの神の偉大な優しさがあなたの上にありますように」とフランシスコはレオに言いました。

* レオは満足でした。 ここまでしてもらえるとは思っていませんでした。フランシスコにとってもそれは大きな歓喜でした。何故なら、讃美の連祷の簡単な言葉の中にフランシスコはアルヴェルナ山での神秘的体験の記念を書き、レオにそれを託すことが出来たからです。それはこの地で彼が受けた全てについての神への「ありがとう」だったのです。それは感謝の記念でした。

* レオはこの書き物をそのまま受け取りました。彼はその羊皮紙の上に次のように記しました。「神の母、幸いなるマリアと大天使ミカエルを尊敬するために、幸いなるフランシスコは死の二年前におとめマリアの被昇天祭から9月の聖ミカエルの祝日までアルヴェルナ山で信心の40日を過ごしました。そして主は彼の上に御手を伸べられました。その身体にキリストの聖痕を受けたのち、フランシスコはこの紙の裏にある讃美の詩を作りました。彼は与えられた大きな恵みに対して感謝をささげるために自らの手でこれを書きました。」

* 早朝レオがフランシスコの所にやって来た時、その顔は太陽のように輝いていました。レオは自分を酷く苦しめた煩悶がこの讃美を読んだ時にどのように完全に消えたかを話しました。平和が、 神の大きな優しさと共に彼の魂の中に戻ってきたのでした。

* その時フランシスコはレオに、「わたしが書いてあなたに託したこの数行は少しも魔法がかったものではありませんが、そこには一つ 大きな秘密が隠されています。」と言いました。「どのような秘密ですか?」とレオが好奇心を起こし尋ねると、フランシスコは答えました。「それは讃美と礼拝の言葉です。」その言葉を自分のものとし、讃美と礼拝の精神に自らの心を開く人は自分自身が自分から奪われるような感嘆の体験をします。その人は自分の運命について気にしたり、自分のことだけを見ようとはしなくなります。神との一致がどの程度のものか自問自答しないのです。神の素晴らしい現実に惹き付けられて、自分自身の内にではなく、それよりもっと、観想しているお方の中に生きるのです。彼には感嘆の眼差しかないのです。どこにいても彼は神と一緒なのです。もう何の迷いも疑問も起きません。神がそこにおられる。それで十分なのです。彼は何の疑いもなしに神の喜びの中に入るのです。神の大きな喜びをもって存在していることを認識するのです。」

* わたしがこれから書こうとしていることは、ただ読者が、この讃美と礼拝の 愛に自らを開くことが出来るように助けたいだけです。それは、読者が自分自身から解放され、感嘆して主の霊に自分自身を明け渡すことのできる、神とそのご計画の幻を内的な眼差しで展開することによってです。私たちはみな、自分自身の小さな狭さから離されて、命の源、創造的な愛と交わらせてくださる神からの大きな息吹が必要なのです。「人間は自分が見る通りに愛する」というフォリーニョのアンジェラの指摘の中に深い知恵が隠されています。人間が見て観想するものが、その人の心を作り上げるのです。その人の愛はその幻の大きさと同じ大きさです。純粋さと輝きも同じ大きさです。「もしあなたの目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい」とイエス様は言われました。人間は常に自分が観想するものに成るのです。

***********

 ☆【今週の聖句テキスト】復活節第3主日

● 賛美唱:詩編4
 4:2 呼び求めるわたしに答えてください/わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください/憐れんで、祈りを聞いてください。 4:3 人の子らよ/いつまでわたしの名誉を辱めにさらすのか/むなしさを愛し、偽りを求めるのか。〔セラ 4:4 主の慈しみに生きる人を主は見分けて/呼び求める声を聞いてくださると知れ。 4:5 おののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り/そして沈黙に入れ。〔セラ 4:6 ふさわしい献げ物をささげて、主に依り頼め。 4:7 恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。 4:8 人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びを/わたしの心にお与えください。 4:9 平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに/わたしをここに住まわせてくださるのです。
 
● 第一日課:使徒3:12-19
 3:12 これを見たペトロは、民衆に言った。「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。 3:13 アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。 3:14 聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。 3:15 あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。 3:16 あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。 3:17 ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。 3:18 しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。 3:19 だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。

● 第二日課:1ヨハネ3:1-7
 3:1 御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 3:2 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。 3:3 御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。 3:4 罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです。 3:5 あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。 3:6 御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません。 3:7 子たちよ、だれにも惑わされないようにしなさい。義を行う者は、御子と同じように、正しい人です。
 
● 福音書日課:ルカ24:36b-48
イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 24:37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。 24:38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。 24:39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 24:40 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。 24:41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。 24:42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、 24:43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。 24:44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、 24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。

********************************

☆ブログ「太陽と共に始めよ」 今週のテーマ:【復活の証人】

* 7週間の復活節の、今週は第3週。全てのテキストが復活の光で照らされています。今週は復活がどのようなものかを主ご自身が顕してくださっている場面です。その時、何が起こったのか、弟子たちは自分たちがその復活の証人とされたことを強調しています。

* 『フランシスコと歩む観想の道』序文においても、フランシスコがアヴェルナ山で主の啓示を受けたことによって聖痕がその身体に刻印されました。これも復活の証言のひとつと見ることが出来ます。

* そこで、今週のテーマを【復活の証人】としたいと思います。主が復活を通して私たちをどのような幸いなる境涯へと導き連れて行ってくださったかを共に体験したいとおもいます。

💓このテーマに即して、主の復活から輝く光が今週の三つ四つの聖句を通して私たちを照らしてくださるよう祈りつつ、今週も私に託された和解の務めを果たして行こうと思います😊。

😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄