アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/03/27(水) | ブログ 太陽と共に始めよ

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翻訳:水曜特番
Genesis 6 Conspiracy : How Secret Societies and The Descendants of Giants plan to enslave Humankind
 by  Gary Wayne  2014 imprint of Deep River Books
 『創世記6章陰謀 :秘密結社と巨人の子孫たちの人類奴隷化計画
第三部 【アナクの子孫たち : その血脈と契約】
 第35章 アマレクの呪い

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≪エドムはその継ぐべき地となり/敵対するセイルは継ぐべき地となり/イスラエルは力を示す。・・・バラクはアマレクを見渡して、この託宣を述べた。アマレクは諸国の民の頭/しかし、その末はとこしえの滅びに至る。≫  民数記24:18-20



* 歴史的記録に記しされていない謎のアマレク人に何が起こったのか? イスラエルが契約の地の征服で襲撃した民族にマレクは含まれていない。

* 我々はエジプト脱出の時にもう一度戻らなければならない。この時にはまだイスラエルは一つの民族へと鍛造されておらず、一神教の結合力、進路を巡る訓練、彼らの存在の本質となるべき預言者的信仰で結ばれてはいなかった。彼らはエジプトの多神教に飼い慣らされた霊的に弱く危うい民族であり、当時中東を支配していた戦の神に率いられた多くの強大な軍事大国を恐れていた。イスラエルがアマレクと最初に遭遇したのは正にこの危うい時だった。

* 臆病なアマレク人は理由もなく正当な警告もなしに、怒りの蛮勇を奮ってイスラエルを攻撃した❶。イスラエルはそのような事に対する備えが全くなく、強力な軍事力を持つアマレク人を相手に軍事的に全く歯が立たなかった。イスラエルがこの対決に人間的努力で勝利することは不可能だった。巨大な体格、虐殺の達人との対決はミスマッチだった。だがその日には神がイスラエルと共におられ、イスラエルの勝利の日として終わった。

* モーセが手を空に上げている間はイスラエルは優勢となった。だがモーセが疲れて、彼の手が下がった時にはアマレク人が優勢となった。戦いはモーセが手を上げた高さにしたがって、日の出から日の入りまで、一進一退が続いた。その日の終わりまで、モーセはアロンとフルの助けを借りてその手をイスラエルが優勢になる高さまで上げ続けた(出エジプト17:8-15)。

* しかしアマレクは何故、そのように弱く疲れ切った民を執拗に攻撃しなければならないと思ったのだろうか? アマレクはエサウを通してアブラハムの純粋系統だったのだから、モアブ人、アモリ人、多様なエドム人がそうであったように、イスラエルを恐れる理由は何もなかったはずである。もしアマレクがネフィリム国家でなかったら、イスラエルは彼らを攻撃しなかったであろうことははっきりしている。

* アマレクは当時最も凶暴な好戦的な民族と見られていた。ヨセフスは、アマレク人はその地域で最も好戦的な民族だったと言っている。彼らは攻撃的で、執拗にイスラエルのことをこの地域の諸国に噂を立て、邪推させるようとした。アマレクなイスラエルが彼らがエジプトで行ったように、地域の全民族を滅ぼそうと考えていると、邪悪な噂を広めた❷。アマレクは、イスラエルが自立して力を結集して手ごわい敵対者となる前にそれを阻止しようと、近隣諸国をイスラエルに対する戦いに引き入れることに成功した。これらの事がみな、他の国がどこもイスラエルが契約の地を併合する意図を持らなかった時に起こっている。

* アマレクは初めから自らをイスラエルの仇敵と定めていたので、多数の国々を彼らの側に付くよう影響力を行使しようとした。これはおかしなことではないだろうか? おそらく当時エジプトとペリシテに次ぐ最強の軍事大国だった国が雑多な奴隷集団をそれほどまでに恐れただろうか? イスラエルとの戦いをかくも煽る憎悪に満ちた関与を説明出来る理由は二つに一つしかない。

* 一つは、当時の世界に広く流布したにちがいないエジプト人に関する噂と結びついている。確かに、他の国々はエジプト人を圧倒した息を飲むような出来事に関する恐ろしい噂を耳にしたにちがいない。中東の民はそのような物語が正確なのか、あるいは本当なのか、疑ったに違いない。最終的にわたしは、様々な民族集団がそのような信じがたい奇跡的出来事が実際に起こったと本当に信じたと受け入れることは困難である。エジプト人が奴隷を虐待して、無秩序と無能のためにイスラエルを支配する力を失ったことを受け入れる方がもっと容易いことだろう。また、エジプト人に起こった奇跡と災厄の噂については、強大なエジプト軍が奴隷集団に敗れたことを説明するために困惑したエジプト人自身が自ら仕掛けた隠蔽物語だったのだ。

* それでもそれらの国々が噂を完全に退けたとは思わない。恐怖の念に囚われた思いが彼らに重く圧し掛かっていたことは確かだろう。だが、イスラエル人奴隷がエジプト人に起こしたような災いを彼らの国でも起こすのではないかとの恐れが本当に彼らの上に重く圧し掛かっていたのなら、それらの国々は反イスラエル同盟を組んだりしなかったことは確かである。むしろそのような災厄を防ごうと、出来るだけ融和的にイスラエルに友好的に接近したにちがいない。たしかに、強力な黒魔術を持っていると彼らが信じていた国にやたらと駆け込むことはなかっただろうが、それでもまだ何か吹っ切れないものが泡立っている。それなら何故ヘブライ人の伝説と聖書はアマレクがイスラエルの敵として誓いを立てたと記しているか?❸

* 何かもっとほかのことがあったに違いない。アマレクが他の国々をイスラエルと戦うよう仕向けたもう一つの可能性である。それほど多数の国々を騙し、神と、破滅に面した神の民を攻撃するよう仕向けることができたのは、悪霊を含め、ネフィリムと彼らを生み出した反逆の天使たちだけだっただろう。反逆に加わった国々は、偽りの神々とネフィリム戦士が提供する偽りの欺瞞的希望に乗って偽りの守りを信じて奮い立ったにちがいない。

* 事実、ネフィリムの影響下にあった国々が一つの旗の下に反イスラエルの戦いに団結した一方、アマレク以外のアブラハムの子孫で自分たちの領地からネフィリムを根絶した国々はイスラエルと戦っていない。ネフィリム原住民に最も影響を受けた民族のアマレクでさえ、イスラエルが戦いの備えを完全に整えた征服時代にはイスラエルと交戦していない。それでも、彼らは最も強力にイスラエルに戦いを仕掛けるよう他国を煽った民族だった。彼らがそうしたのは決して偶然ではなかったし、そうはあり得なかった。

* さらに、アマレクがイスラエルの出エジプトの最初期、イスラエルが最も危うかった時にイスラエルを最初に攻めたことも偶然ではない。卑怯なアマレク人は、定めの民イスラエルが戦いの術と訓練を発達させる前の最初期こそイスラエルを挫く最良の機会であることをよく知っていた。アマレクはイスラエルに対して卑怯な待ち伏せ攻撃を仕掛けた40年後には同盟を支持することを拒んでおり、アマレクがイスラエルに対して優勢な時か、奇襲することが出来た時だけイスラエルと戦う気になっただけだった。挑発されてないのに突如待ち伏せ攻撃を仕掛けるのがアマレク人が敵対関係のイスラエルに対して幾世代にもわたって取った常套手段だった。

* アマレク人はイスラエルを地上から抹殺する血の誓約を初めから立てていたが、その後の諸世代を通して彼らがそのために死ぬことは一度もなかった。そのことはとっくに忘れられているが、ネフィリムに支配された民族が全て同様の誓いを立てていたことは推察に難くない。イスラエルに対する同盟を結んだ民族が多すぎてアマレクだけがその例外だとは考えられない。他の民族に対して敵対関係にあったそれらの民族を一致させたのがイスラエルに対する共同行動だった。

* ギンズバーグによれば、これと同じ思いをエサウは抱いていた。エサウはアマレク人の父祖である。彼はイサクの長男であったのに、悪い星の下に生まれ、アブラハムの長子権をヤコブに奪われた。そのため、ユダヤの民話によれば、エサウの臨終の願いは、イスラエルの長子権から生まれたイスラエルが契約の地を獲得するまでに手に負えなく強くなる前に、イスラエルの民族を断つことだった。ユダヤ教の伝説も、エサウがヤコブを嚙み殺し、その血を(吸血鬼のように)吸い尽くす誓いまで立てる仇敵として記している❹。

* 聖書はヤコブに対するエサウの憎しみを、彼自身の怒りの言葉と、彼の母のヤコブへの忠告で裏付けている。

    ≪エサウは叫んだ。「彼をヤコブとは、よくも名付けたものだ。これで二度も、わたしの足を引っ張り(アーカブ)欺いた。あのときはわたしの長子の権利を奪い、今度はわたしの祝福を奪ってしまった。」・・・エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。その時が来たら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」≫  創世記27:36-41

     ≪ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。わたしの子よ。今、わたしの言うことをよく聞き、急いでハランに、わたしの兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。≫  創世記27:42-44

* ヘブライ12:16-17はさらにエサウの怒りを強調している。    ≪また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。≫  ヘブライ書のこの句節は、本書も同様に主張しているのだが、ネフィリムを生み出した闇の天使たちの性的罪と結びけられ、エサウの(神から離れて独立しようとする)無神性と(アブラハムの血統にもっと沢山のネフィリムと人間の混血を生み出す)性的罪が描かれていると思われる。確かに、エサウは、少なくとも二人のホリ人/ネフィリムの女性アダーとオホリバマと結婚し、エサウの子らのうちエリファズやアマレクなど何人かはホリ人と結婚している。そして不可解にも民族表(創世記36:1-40:1,1歴代誌1:35-51)ではエサウの子孫の家系がセイルのホリ人と混血し共住している。

* ヤコブが(メソポタミアの)パダンアラムから帰還したとき、ヤコブは彼のキャラバンの前に使者を送り、エサウに宥めの贈り物をした。使者が帰ってヤコブに報告したことによると、エサウは400人の男たちと一緒にヤコブに会いに来ているということであった。その時ヤコブはエサウが攻撃して来ることを恐れてキャラバンを二手に分けることを決意した。そうしてヤコブは祈った。「どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。」

* 聖書を見る限り、憎しみはおさまったかに見えた。エサウとヤコブは再会し、全ては赦されたように見える❺。だがエサウは父イサクの死後にヤコブを殺すことを心の中で誓っていた。イサクはヤコブがパダンアラムから帰って来たときはまだ生きていた。イサクが死んで、エサウとヤコブはイサクをキリアトアラバ/ヘブロン近くのマムレに葬った❻。

* イサクが死んでからしばらくして、伝説では、エサウがエドム人とホリ人の大軍を出動させたとはっきり語られている。そのセイルからの軍にはアマレクも含まれていた。ヤコブとヤコブの全家族を殺そうとしたエサウだったが、エサウと4人の息子達 レウエル、エウシュ、ロタン、コラがこの戦いで死んだ。彼らはみな名高いホリ人の首長だった。

* ギンズバーグは、エジプト脱出の時、アマレクは、共にイサクの息子である自分たちをエジプト人がイスラエルの代わりに奴隷にしないようにイスラエルを滅ぼさねばならないとその時決意したと記している❼。アブラハムの長子権契約のことは最後の諸章でドラゴン血統の議論をするときに重要な要素となるのでよく覚えておいていただきたい。今はそれに加えて、元々のアマレク原住民は洪水前の巨人族の生き残りであり、そのことが世代を越えた厳しい血の誓約の強烈な秘訣となったことも付け加えておく。
                             
* 申命記25:17-19がエジプト脱出中のイスラエルが弱り果てて完全に無防備だった時にアマレクがイスラエルを攻撃したことを証言し、1サムエル15:2-3がそれを補強した。イスラエルは疲れ切って、完全に危うい状態だった。アマレクは疲労困憊して遅れた者たちを虐殺した。アマレクは霊的に不浄な動物とみなされているハイエナのように、卑怯にも、弱く遅れた者を犠牲として血祭りにした。アマレクは、為す術もないイスラエルを正規戦で攻撃するよりも、恥ずべき卑怯なテロ攻撃をした。

* 再びユダヤの伝説ではアマレクが仕掛けたゲリラ戦法に関してとても興味深い経緯が描かれている。セイルの地から急ぎ進撃したので、彼らがイスラエルに宣戦布告した最初の民族だっただろう。彼らははじめはイスラエルの陣営外の高地に留まり、友人を装い、イスラエルの親族のように振舞った。アマレクはイスラエルを名前で呼び、従兄弟である彼らと一緒に食事を共にしようと招いただろう。その後、一変して、イサク、ヤコブが交わしたアブラハム契約をあっさり破り、契約仲間を惨殺し、死体をバラバラにした。ギンズバーグは、アマレクが「イナゴの大群のように」襲い掛かった。彼らの目的は「イスラエルが強くなる前にイスラエルの血を吸うこと」だったと述べている❽。

* 申命記はさらに、彼らには神への畏れがなかったとまで記している(25:18)。彼らは自分たちは神々によって守られているのだと、彼らの偽りの神々に与えられた偽りの盾に偽りの安心と安全を感じた。彼らは洪水にもかかわらず自分たちの神々がイスラエルの真の神より勝っているとこれら全ての偽りを信じていた。彼らは自分たちを洪水から救ってくれたのは堕天使だとの信仰を維持し訓育し続けた。この呪術の民は黒魔術を用いてイスラエルを攻撃を仕掛け、イスラエルはただ神の力でのみこの黒魔術に対して優勢となることが出来た❾。一日中続いた戦いの間中、モーセと彼の上げた手がそれを証言している❿。

* 卑怯なアマレクも遂に蛮勇を奮い、イスラエルに対して宣戦布告し両面攻撃に出た。旧約聖書の著者たちも、その攻撃はイスラエルの戦術不慣れに乗じた残虐行為とみなした。

      ≪主はモーセに言われた。「このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ。『わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る』と。」モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、言った。「彼らは主の御座に背いて手を上げた。主は代々アマレクと戦われる。」≫  出エジプト17:14 -16

      ≪あなたたちがエジプトを出たとき、旅路でアマレクがしたことを思い起こしなさい。彼は道であなたと出会い、あなたが疲れきっているとき、あなたのしんがりにいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏れることがなかった。あなたの神、主があなたに嗣業の土地として得させるために与えられる土地で、あなたの神、主が周囲のすべての敵からあなたを守って安らぎを与えられるとき、忘れずに、アマレクの記憶を天の下からぬぐい去らねばならない。≫  申命記25:17-19

      ≪万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」≫  1サムエル15:2-3
                        
* アマレクの恥ずべき戦術は、ネフィリムを除いて最も軽蔑すべき民族として聖書は彼らのことを記録した。ペリシテ人さえもそのようには蔑視されていない。

* アマレクに対する二つ目の告発は、彼らが他の民族に対してイスラエルとの戦争を扇動したことから来ている⓫。彼らは他の民族にイスラエルへの恐れを抱かせた。彼らは周囲の民族に対して、「イスラエルの脅威」に共同防衛戦線を張って対抗し、イスラエルを完全破滅させるよう扇動した。ヨセフスは、アマレクが他の国々に対して、イスラエルは今、他の民族を滅ぼすための機会を窺っていると告げた、と我々に伝えている。アマレクは彼らに告げた。彼らはあの外国人を彼らが力をつける前に滅ぼすために結束しなければならないと言った⓬。そのことが詩篇の中からの不可思議な句節に視界を与えている。

      ≪神よ、沈黙しないでください。黙していないでください。静まっていないでください。御覧ください、敵が騒ぎ立っています。あなたを憎む者は頭を上げています。あなたの民に対して巧みな謀をめぐらし/あなたの秘蔵の民に対して共謀しています。彼らは言います/「あの民を国々の間から断とう。イスラエルの名が/再び思い起こされることのないように」と。彼らは心をひとつにして謀り/あなたに逆らって、同盟を結んでいます。天幕に住むエドム人/イシュマエル人、モアブ、ハガル人。ゲバル、アンモン、アマレク/ペリシテとティルスの住民。≫   詩篇83:2-8

* この復讐の本性は後々の世代にまで続き、機会あるごとにイスラエルに対して同盟を組んで当たるよう敵意をむき出しにしている。だが出エジプトの時の遭遇以後アマレクが卑屈な同盟以外で独自の戦いをした記録はない。士師記にはミディアン人が他の東方の諸民族やアマレクと共にしばしばイスラエルに侵入する同盟を起こしたことが描かれている。彼らはイスラエルが種を蒔くといつも広く荒らしてまわった⓭。これらのアマレク人がイスラエルに対して企てた世代を超えた復讐は士師の時代を経て、ダビデ王朝の時にも続いた。

* アマレクに対する三つ目の告発は彼らの内にある残忍な悪の本性に関わっている。ヨセフスは、アマレクがネフィリムの好戦的傾向と似て、全ての民族の中で最も好戦的だったことを記録している⓮。1サムエル書がアマレクと共に挙げているゲシュル人、ゲゼル人が洪水以前からエジプトに至るセイル地方に住む民だったとして挙げているように、ヨセフスの逸話はもっと、アマレク人はネフィリムだったと告発している⓯。ゲシュル人とゲゼル人は共にギレアドとゲシュルにも住んでいた。そこはオグの地であり、そしてヘルモン山である⓰。

* ギレアドやゲシュルはヨルダン川東の地、バシャンとヘルモン山の間の領地だった⓱。ホセアはギレアドを悪人の地、マラウダーたちが待ち伏せしている、血の跡で汚された地として描いている。ヘルモン山とバシャンはレファイムの故地であり、申命記にはヨシュアが征服できなかった地として記されている⓳。アンガー聖書辞典ではゲゼル人とゲシュル人は昔からアマレクと非常に近い種族で、アマレクと同様に洪水を生き延びた種族で、アマレクと同様に記録に残っていない種族である⓴。彼らは全てネフィリム種族だった。

* アマレクの残忍さも1サムエル書に裏付けられており、アマレクが、イスラエルに対する血の誓約を有した血に飢えた凶暴な民として記されている。イスラエルを滅ぼす血の誓いはヨセフスにも強調されており㉑、彼は彼の結論を裏付ける聖書箇所を多数引用している。実際彼は、サウル王がアマレクを攻撃し、その王アガグを捕えた時との関連で、とても興味深い結びつけをしている㉒。サウル王からおよそ500~600年後のエステルの時代のひとりのアマレク人がペルシャ人たちを説得してユダの残りの者を滅ぼすよう明確な陰謀を巡らした㉓。このエステル記のアマレク人はアガグ人ハマンと呼ばれ、アガグの直系尊属だった㉔。アガグ人という呼び名は古くはアマレク人と入れ替え可能で、そのことが両者の共同伝承を反映している㉕。初代アガグはアナクの3人の息子のひとり、二番目のアガグはサウルが破ったアマレク人の王だった。そのアガグも巨人で、アガグ人との称号はアマレク人/ネフィリム王たちが自慢して付けたアマレク人の伝統を宣言する誇り高い称号だった。

* 最も興味深いことは、そのアマレク人がダビデとそしてサウルに完全に滅ぼされて700年もたって、アマレクの生き残りの子孫がまだイスラエルに対する血の戦いの継続を企。この血の誓約㉖は決して単なる復讐の誓い心ではなかった。それよりももっと深いところを走っていた。その残虐性は世代を超えてアマレク人のDNAの中に組み込まれているとさえ思える。そのような執念深い血の反目が、自由への脱出の奴隷の民に対する単純な嫌悪から導き出されたとは到底論じられない。そこには彼らの血の中で煮えたぎり続ける憎悪から来る何かがあったにちがいない。

* イスラエルとユダに対抗する血の誓約がそれ以来ずっと煮えたぎり続けている現象がある。憎悪を燃やす燃料は千年紀を超えて際限なく煽り続けられ、その反目はアッシリア人、バビロニア人、ローマ人、さらに堕落した多種多様なキリスト者やモスレム、そしてもちろんナチなどによるジェノサイドやホロコーストとして沸騰して溢れ出た。アマレクの憎悪と、イスラエルとユダを記憶から一掃しようとする執心は、終わりの時に再び、イスラエル、ユダ、キリスト者、イスラム教徒に対して、終末のバビロン、世界政府、そして反キリスト(ネフィリム諸族の子孫やその子孫の仲間になりたい者たち)によって掻き立てられるだろう。

* アマレクへの告発とその有罪判決によってもその犯罪に対する神の裁きはまだ残っている。宣告された判決は単純明だった。それは、アマレク民族は滅ぼされなければならないとの完全破滅の宣告だった㉗。この暴力的で野蛮な戦争の民にはどんな憐れみも同情も許されなかった。これは、自らを嘘と闇に根ざす勢力の側に立たせたことに対する悲劇的な義の帰結だった。しかし、神とイスラエルに対する犯罪に対して破滅では十分でなかった。続く全世代と終わりの時のためにアマレクは見せしめとされねばならなかった。

* イスラエルがアマレクの処刑執行人として定められた。それはイスラエルに対して犯された犯罪の報いでしかなかった。イスラエルは「アマレクの記憶を天の下から拭い去る」務めを託された㉘。その裁きは犯された犯罪に対する正に公正な分け前だった。アマレクが周辺諸国との同盟の中で行おうとしたことは「イスラエルを民として滅ぼし、イスラエルという名が二度と記憶されないようにすること」だった(詩篇83:4)。神の裁きのが宣はイスラエルに対して犯されたアマレクの犯罪に対する等しい対価であり、それ以上でも以下でもなかった。

* その民族の記憶を天の下から拭い去れというアマレクに対する告発は中東の全ネフィリム国家に及んだ。元々はネフィリム種族だけのイスラエルに対する戦いだったものを、悪しきアマレクが、彼らの兄弟や、ネフィリムに汚染された諸国をイスラエルに対する戦いへと扇動した。詩篇83篇(上記)からの引用句は、アマレクへの裁きと、イスラエルを民族として滅ぼす誓いをアマレクと同盟を組んでイスラエルの名を記憶から消し去ろうとした全ネフィリム族への告発と罰をひとつにしている。全ての巨人が滅ぼされなければならなかった。

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次回:第36章 「サムエル王とダビデ王」
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