アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/03/22 (金) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/03/22 (金) 💖💓💛💖🌈

 


● 福音書日課:マルコ15:1-39
15:1 夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。 15:2 ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。 15:3 そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。 15:4 ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」 15:5 しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。 15:6 ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。 15:7 さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。 15:8 群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。 15:9 そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。 15:10 祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。 15:11 祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。 15:12 そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。 15:13 群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」 15:14 ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。 15:15 ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。 15:16 兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。 15:17 そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、 15:18 「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。 15:19 また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。 15:20 このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。15:21 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。 15:22 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。 15:23 没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。 15:24 それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/その服を分け合った、/だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。 15:25 イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 15:26 罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。 15:27 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。 15:28 こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。 15:29 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、 15:30 十字架から降りて自分を救ってみろ。」 15:31 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。 15:32 メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。15:33 昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 15:34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 15:35 そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。 15:36 ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。 15:37 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。 15:38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 15:39 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

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:今週のテーマ【隠れ家】

【聖句断章】15:1
夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。

●  主の受難の福音書日である。闇が勝利して全て闇の計画通り事が運んでゆく。社会の上層部の最高法院議員から庶民群衆に至るまで、属州支配のローマの総督から軍全体まで、全ては闇の思うままに誘導されて行った。此の世全体が闇の支配する世界であることが如実に現わされる。

* 此の世の闇の王を倒し、世界を神の御国に取り戻すために来られたイエス様は今その闇の完全勝利の前に屈しているかに見える。昨日、わたしは自分自身、その闇に屈してしまった小さな経験をした。前後の見境ない自暴自棄の暴飲暴食でどうしようもなく自己嫌悪に陥ってしまった。それはちょうど、昨年の夏、腸に穴が開き、腹膜炎を起こしかけて緊急手術を受けたことに比せられる。長年の無自覚だが不注意の電磁波被爆による腸穿孔はその比喩的教訓だった。昨日の出来事も、霊的に外界から悪魔の毒素の闖入を許したわたしの責任である。それは不用意無自覚の残存する高慢心がそれを許した結果だった。悪魔は不用意な我を待ち伏せして待ち構えている。旧約聖書士師記にギデオンの故事が出て来るが、士師ギデオンは多くの兵士を率ることなく、注意深く吟味して水を飲んだ少数の兵士だけを選んだ。不用意な者は戦いに必要なかったのだ。わたしもギデオンの故事に倣って、注意深く、高慢にならずにいなければならなかったのに、調子に乗って度を過ごしてしまった。たえず祝福の恵みデトックスの流れに身を置いていなければならなかったのだ。調子が良い時に陥りやすい不注意の高慢心を自戒しなければならない。

● 今週のテーマ【隠れ家】を不注意に飛び出してしまった。我が隠れ家に身を寄せなければならない。私たちの隠れ家とは、結局、我が家、ホームであることが今分かった。隠れ家とはホームのことだったことが今日の福音書日課とどう関わるのか。この家の主人は大祭司イエス・キリストである。この主人は今、十字架の上で悲痛な苦悶の叫びをあげて、息を引き取られた。

*昨日の事例で示されたような闇の誘惑に脆い肉なる我と、十字架に付けられた肉のキリストが対比される。ここでは、霊の我と霊のキリストではない。十字架における肉のキリストこそわが隠れ家である。自暴自棄の肉なる我を肉において苦しむキリストが癒してくださる。自らの咎のために苦しむ肉の我を、悪魔の陰謀によって苦しみを受けるキリストが神の仔羊として贖ってくださる。

* 自暴自棄の我とは誰か? イエス様を暗黙無意識の共謀によって十字架に架けた皆ではないか!そのひとりとしての我々にわたしも罪びとのひとりとして含まれている。

*【見よ、世の罪を取り除く神の小羊 】と洗礼者ヨハネが指さした神の御子は、肉の苦しみを通して、罪びとの一人となり、私たちの罪を代わりに引き受ける神の小羊となられた。神ご自身が犠牲となり、神の小羊として御子をささげられる。犠牲は神が私たちのために為される贖いであり、私たちが神のためにささげる取引材料ではない。肉なる者を救う贖い代として苦しみを受ける肉なるキリストがおられる。    

💓わたしの愛唱讃美歌に讃美歌262番 「十字架のもとぞいとやすけき」がある。
  Lyrics : Beneath the corss of Jesus  by Elisabeth Cecilia Clephane  1868
  Tune : St. CHRISTOPHER by Friedrich Charles Maker 1881
この讃美歌は今日の主の受難の聖句の、わが隠れ家としての十字架を良く説明してくれている。

❶ 十字架のもとぞいと安けき  神の義と愛の会えるところ
     嵐吹く時の巌の陰   荒野の中なる我が隠れ家
❷  十字架の上に我は仰ぐ   我がため悩める神の御子を
     妙にも尊き神の愛よ   底いも知られぬ ひとの罪よ
❸  十字架の陰に我は立ちて   御顔の光を絶えず求めん
     此の世のものみな消ゆる時も   くすしく輝くその光を      

   
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