アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/03/15 (金) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/03/15 (金) 💖💓💛💖🌈

 


● 福音書日課:ヨハネ12:20-33
12:20 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。 12:21 彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。 12:22 フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。 12:23 イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。 12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 12:25 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。 12:26 わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」  12:27 「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。 12:28 父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」 12:29 そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。 12:30 イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。 12:31 今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。 12:32 わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」 12:33 イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。

:今週のテーマ【大祭司】

【聖句断章】12:20 

さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。
    
@  ギリシア人が過越祭にエルサレムに来ていたことはこのギリシア人たちがユダヤ教シンパ、いわゆる「神を畏れる人々」だったことを推測させる。当時そのようにユダヤ教は異邦人にもかなり共鳴者がいたようである。そのユダヤ教がヨハネ福音書では悪魔の手先として扱われているのである。そのユダヤ教を信奉している異邦人がここで出て来たことは複雑な現実である。今日の世界も同じようである。敵味方が部分的に入り乱れて絡み合っている。ある点では評価されても、他の点ではこの人が、と疑問符を付さねばならない現実である。人間、ユダヤ人も異邦人も同じ人類、人間であること、罪びとの現実を見る。そしてそこからの解放が我々の主イエス・キリストの課題であった。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と洗礼者ヨハネが指さしたメシアの課題である。

* イエス・キリストの大祭司の務めは全人類の再統合である。それこそが契約成就であり、契約の計画の最終ゴールである。パウロは人類はユダヤ人と異邦人の二種類の人間型に大別される。その片割れとしての異邦人の代表、象徴として今日の福音書日課に「ギリシア人」が登場する。イエス様はユダヤ人もギリシア人も区別なく、ユダヤ人のためのメシアとして来られたと宣言された方は異邦人の信仰を褒められた。罪と悪魔と死と対決される方は人類皆区別なく神の福音を宣言されている。その主イエス様は復活され、律法学者で国粋主義者のパウロを、異邦人の使徒として指名される。そのパウロはユダヤ人と異邦人だけでなく、男と女、奴隷と自由人、等々、罪の中に閉じ込められ、真の自由を失った人類を再統合するという意味で主イエス様から「異邦人の使徒」となるよう直々に委託された。

💓イエス様の最終目標である全人類の再統合はしかし、十字架の死という越えねばならない過越を経て此の世と全面最終対決するよう父なる神がセットされた計画であった。≪今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。≫

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