アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/01/24(水) | ブログ 太陽と共に始めよ

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翻訳:水曜特番
Genesis 6 Conspiracy : How Secret Societies and The Descendants of Giants plan to enslave Humankind
 by  Gary Wayne  2014 imprint of Deep River Books
 『創世記6章陰謀 :人類奴隷化を企る秘密結社と巨人の子孫たち』
第三部 【アナクの子孫たち : その血脈と契約】
  第26章 エトロとカレブ
 
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💓  第26章 :エトロとカレブ

≪モーセのしゅうとは言った。「あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。・・・ モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、その勧めのとおりにし、全イスラエルの中から有能な人々を選び、彼らを民の長、すなわち、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長とした。≫ 出エジプト18:17-25


*  モーセの義父エトロとカレブという不詳のケニ人はヴードゥー教のような系図に結び付いている。このあまりよく分からない二人の人物が、ネフィリム・イスラエル関係の洞察にどんな見過ごされた光を与えてくれるだろうか?

* エトロはミディアンの祭司であり君主だった❶。出エジプト記に登場するエトロはモーセが第二の人生の40年を共に過ごした祭司だった❷。エトロはレウエルの名でも呼ばれており(出2:18)、後代ではミディアン人レウエルの息子ホバブと呼ばれている(民数10:29)。だが出エジプト記では一貫してエトロと呼ばれている(出18:1-7)。アンガー聖書事典は、士師記でモーセの義兄弟ホバブとして挙げられているが、モーセの義父かもしれないと注記していることを支持している❸。アンガー聖書事典は、レウエルとエトロは異なる二つの名前だが、それは種族の祭司名と君主の名の区別であり、おそらくホバブはモーセの従兄弟だっただろうとして合理化している❹。ユダヤの複数の伝説では、エトロが偶像崇拝の祭司から神の祭司へと変容する度に名を変え、彼には7つの名があったことを暗示しており、ヘベル、プティエル、ケニなど、挙げられている名はみな、彼の呼び名であるとしている❺。

* 聖書の伝説は、出エジプト直前のファラオが、ヨブ、バラム、エトロという、イスラエルのエジプト奴隷時代期間後期の3人の著名な高僧を援助したと記している❻。エトロが石板書庫の高位祭司と見なされたした版もある❼。三人の祭司がみな旧約聖書でイスラエルに関係する込み入った役割を果たしたことで、わたしは聖書の伝説は彼らの名を或る理由からエジプトの祭司の名を記していると推測している。

* 聖書でヨブがセイルのウツの人と記されていることは不思議である❽。テキストから分かることは、ヨブが非常に豊かで、たぶん何らかの支配者だったことである❾。確かに、ヨブ記に記されている知恵や、天使、レヴィアタン、ラハブ、ベヒモト、創造、サタンなどに関する複雑な詳述から、ヨブが出エジプト時代の著名な祭司だったと結論付けることは妥当であろう。確かに、ヨブ記を通して一貫して描かれているヨブの圧倒的な信仰はヨブの神に対する確固とした信仰を証言している。彼は非の打ちどころのない正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きており、東の国一番の偉大な人として称えられていた(ヨブ1:1-3)。

* 紀元前1400年ごろのアマルナ書簡にヨブの名Jyyobが登場してくるのは偶然ではなく、とても興味深い⑩。それは偶然ではなく、アマルナ王朝は本書の後半で思いがけない役割を果たす。アマルナ書簡にはダマスカスとエドムの間のウツの地にあるペラの君主の名が挙がっているが、その地はパレスチナ東部とシリアではないと記されている⑪。このヨブの場所も時代も不気味なほどに聖書の伝説のヨブとピッタリ同じ時代と場所であり、このヨブはバラム、エトロと共にエジプトの神聖祭司階級の一員だった。

* エトロとバラムはミディアン人であり、ヨブはおそらくホリ人/エドム人だったが、この三人の祭司がみなアブラハムの家系に連なることを切望したライバル種族を代表していた。彼ら三人がみな、モーセに影響力を与えて自らを運命に介入させようとしていたのだろうか? ミディアン人もエドム人/アマレク人もエサウとケトラによるアブラハムの子孫だった⑫。さらに、聖書に記されているヨブの三人の友人の正体も胡散臭い。テマン人エリファズは、テマンがホリ人ティムナを娶りアマレクを生んだエリファズの息子のテマンであることから、エリファズはネフィリム陰謀と直につながる⑬。シュア人ビルダドはアブラハムとケトラの間に生まれたシュアの子孫である⑭。三番目の友人ナアマ人ツォファルはナアマに住んでいた⑮。

* バラムはアラム・ナハライムのペトル出身のベオルの息子として聖書に登場する⑯。ペトルの地は北西メソポタミアにあった⑰。ベオルは、洪水直後からセイルを治めていたと思われるホリ人の原住首長ベオルの子孫ではないのか⑱? ペトルはカルデア人のマギの所在地として著名だった⑲。バラムはミディアン人の間に住んでいたか、あるいはむしろ、ミディアン人だったのかもしれない。モアブの王バラクはミディアンの長老たちに接近してバラムの助けを頼んでいるからである⑳。アンガー聖書事典にはペトルがメソポタミアの町だと言っている㉑が、私はむしろ東部ミデアンだと思っている。

* 出エジプトの時代に、バラムはバラク王からイスラエルに特別に強力な呪いを掛けるようにと雇われたが、神はその反対にバラムを強いてイスラエルを祝福してしまった㉒。バラク王はイスラエルが強力なアモリ人を簡単に滅ぼしたのを見てイスラエルを恐れたが㉓、しかしモアブはロトを通して永遠にアブラハム契約の民だったのだから何も恐れることはなかったのである。バラムは後にアマレク人とケニ人の破滅に関する託宣を告げた祭司である㉔。

* バラムがモアブを利するためにイスラエルを呪おうとしたことが「バラムの迷い」として聖書に記されている。カインのように不誠実な利得を得ようとして、不誠実な報酬を得ようとした行為として軽蔑的に見られたのである(ユダ1:11)。さらに、モーセはバラムを、神からイスラエルを引き離そうとしたとした罪を帰せている(民数31:15-16)。さらに黙示録2:14にはバラムがバラクを唆して、イスラエルに偶像に捧げられた肉を食べさせ、ふしだらな行為を行うように勧めた罪が問われている。後にイスラエルはバラムをその黒魔術のために剣に掛けて殺した(ヨシュア13:22)。ポポルヴーにはバラムが説明なしに「黒魔術師」の意味で使われている㉕。

* ファラオは出エジプト前にエトロがイスラエルの増大する問題について提案した忠言を喜ばず、祭司エトロ/レウエルをミィデアンに左遷した㉖。それがエトロがエジプトに帰ろうとするモーセの帰還を助けた十分な動機だった。エトロとは何者なのか? 士師記1:16、4:11でモーセの舅エトロ/レウエルがミディアン人ではなくケニ人だったと言われていることを考えるとその思案はますます深まる㉗。さらに、レウエルはエサウの息子である(創世記36:10-12)。エトロは何故ケニ人のような蔑称的な呼び名を持っていたのだろうか?

* ケニ人はカインの子孫だったとポーターは言う㉘。聖書伝説はケニ人がカインのしるしを彼らの部族マークとして身に帯びていたことを否定している㉙。ポーターの証言がなければ、ケニ人がカインの子孫だとの考えはどこからも出てこなかっただろう。ノアとその家族を除いた人間が洪水によって滅されたとは以前は考えられなかったからである。だから、もしカインの子孫ケニ人が本当にレファイムの子孫でありセト人ネフィリムだったのでないとすれば、以前は覆われていた洪水からの他の救済に含まれていたのでなければ、我々は洪水からの生き残りの事実に関する不可解な正統派の推論を続けることになる。だから、この証言は物議を醸すかもしれないが、その全てがエトロがネフィリム/アマレク人/ホリ人と何らか関係していることを提示しているのではないだろうか?  では、モーセは実際にネフィリム~ チッポラというカイン人との混血のネフィリム~と結婚したのだろうか㉚?

* ケニ人は創世記でアブラハムに約束された地で、同じく不詳の謎めいたケナズ人と共に最初に言及された不詳の彷徨部族である㉛。ケナズ人はカインやトバルカインのように製錬術に長けた種族で、ケニ人と何らか関係があった㉜。


* もう一つ関心を惹くるのは、ケナズ人エフネの子カレブである。カレブが最初に聖書に登場するのはモーセがカナンを偵察するように派遣した12人の斥候の一人としてである㉝。彼はヨシュアとモーセのカナン侵入計画を支持したことで荒れ野での40年の後にヨシュアと共に約束の地に入る権利を認められた㉞。エジプトを出立した他の全てのイスラエル人はそうではなかった。カレブはその時、85歳だったが、まるで45歳のように闘って、アナク人をヘブロンから追い出し、ユダ族の頭とされ、アナク人の都キリアトアルバすなわちヘブロンを手にした㉟。ノアと系図の繋がらない種族のケナズ人で、カインとネフィリムの子孫に関係するような種族の人間がアナクの都ヘブロンを継ぐことなど私にはとても驚くべきことに思える。

* ケナズ人もケニ人もエサウの子孫ケナズから出た種族と一般には信じられている㊱が、それはあり得ない。両種族共、アマレク人と同様、エサウの生まれる前、アブラハムの時代以前に存在していた。不思議なことにケニ人は神がアブラハムと契約して与えられる民族の中で最初に登場してくる㊲。アンガー聖書事典は本書と同様に、この年代的結論を支持して㊳、このパラドックスをアマレク人のパラドックスと比較している㊳。私はこのパラドックスをさらにレファイム人と「不朽の種族」にまで拡大する。これはわたしには同じ不思議である。

* アンガー聖書事典もケニ人はケナズ人と関係があり、ケナズ人同様、冶金術に秀でていたと述べている㊴。ネルソン聖書事典は、ケニ人は実際、トバルカインを先祖に持つていたのかもしれないとはっきり言っている㊵。彼は冶金術マスターだった。ケニ人はサウル王の時代までアマレク人の間で彼らと全ての点で似た民として住んでおり、サウルは滅ぼされるべきアマレク人から離れるようにケニ人に命じている㊶。そのことをおもえば一層その蓋然性は明らかとなる。トバルカインがネフィリムと考えられていたことがまもなく分かるだろう。

* というわけで、ネルソン聖書事典もアンガー聖書事典もアマレク人とホリ人はケニ人と非常に深い関係があり、ケニ人と繋がっていると言っている。そしてそれはアマレクの場合と似ている㊷。この結論の線でエサウの子エリファズの子ケナズはエドムの首長の一人であるホリ人として民族表に現れており㊸、「ケナズ」がケニ人から取られた名であることを示唆している。ケニ人とケナズ人は六日目の創造の民の子孫で生き残ったカイン人で、後にホリ人とアマレク人と混血した人々だったにちがいない。

* カレブの家系にもホリ人の名前が含まれている。この線に沿って、カレブのように、ケナズやアマレクはホリ人の首長たちが受け入れた最も人気のある名前であり綽名だったのだろう㊹。こうして、ケナズは洪水前のアマレク人がそうだったように、また別の巨人族の始祖で、彼らが後にエサウの子孫と混血したホリ人/ネフィリムだったのかもしれない。この線に沿って、ケナズ人とケニ人はトバルカインとカイン両者の子孫だった可能性が非常に高い。

* 上記の情報はバラムのアマレク人と不詳のケニ人の滅びを含む最期の奇妙な託宣に光を当てる。≪彼はカイン人を見渡して、この託宣を述べた。「お前の住む所は確かであり/お前は巣(ケン)を岩の上に置く。しかし、アシュルがお前をとりこにするとき/カインは必ず、焼き滅ぼされる。」≫(民数24:21-22)。アシュルとはアッシリア人の先祖である㊺。このバラムの託宣はアマレク人とケニ人の関係を共生関係として結びつけてもいる。ここで、どれだけの他のネフィリムとカイン人が洪水を生き延びたのだろうかとの疑問が生じてくる。

* エトロは聖書の伝説の中では、アブラハムの多くの不詳の妻たちの一人ケトラの子孫として記されており㊻、たぶん彼女の息子ミディアンからの子孫であろう㊼。東ミディアン人は歴史の或る時点でケニ人と繋がり、彼らの間に住んだ㊽。これが聖書がエトロをミディアン人でありケニ人であるとして表に挙げている理由であり、びっくり仰天のつながりがカレブにまで直接繋がっている理由である。でなければ、どうしてケニ人カレブがイスラエルにこうまで入り組むようになった説明がつかない。エトロを通してでなければ、ユダ族の首長に上ることは説明出来ない。だがそのケニ人はイスラエルがエジプトから上って来たときイスラエルに親切にし㊾、荒れ野の道案内をした㊿。

* 我々はここでようやく、洪水後のネフィリムを洪水前のネフィリムと結びつけることが出来るのではないのかと思う。アナク人はラファの子孫レファイム人だと考えられていた(51)。我々は民数記から我々はアナク人がネフィリムの子孫だということを知っている(52)。また、創世記6章からネフィリムは洪水前も洪水後も生きていたことも知っている。それ故、もしアナク人がラファの子孫であれば、アナク人はネフィリムの子孫であり、アナクからラファ、ラファからネフィリムへと遡って繋がってゆき、創世記と他のメソポタミアの伝説が言っているように、ネフィリムは洪水を生き延びたのである。

* もしウトナピシュティムとオグが彼らの近親と共に洪水を生き延びという多神教の伝説と、またグノーシス主義の第二の天使と人間のハイブリット種族である「不朽の種族」をそれに加わえるなら、全ては意味を持ち始める。巨人が洪水を生き残っただけでなく、アマレク人とケニ人も生き残ったことを我々は知っている。グノーシス主義の福音書でさえノアあるいは彼の近親が洪水後の巨人を造ったことは否定している(53)。だが彼の背信の子孫が洪水後のネフィリムと混血したことははっきりしている。古代のこの歴史的時点から説明すれば全ては調和の網に組み込まれ、それと共に仮説と聖書的矛盾は解消される。

* このことはアマレク人がネフィリムの一派で、後にノアの系統のエサウ、エリファズ、ケナズ、アマレクと混血したことを証言している。アマレク人の始祖はセイルのホリ人として知られていたので、創世記の民族年代史と完全に調和するので、これは了解である。アモリ人が民族表にシドンからのハムの子孫として載っている一方で、アマレクの起源については何も記されていない。レファイム原住民、アナク人、ケニ人、ケナズ人、その他のネフィリムは民族表に載っていない。載っているのはただノアの子孫のみである。これらすべてのことから結論付けられるのは、創世記の洪水記事は信仰者のためにだけノアの子孫の聖徒たちが書いた全般的記録であって、近代世俗主義者や神秘主義的修正主義者のために全世界を包括する法医学的記事として書かれたものではないということである。至高なる神が命じなければ何事も起こらないというマクロレベルと重ね合わせれば、そのことはますます了解される。

* 今や厄介な問題に取り組まなければならない時が来た。それは、ネフィリムがニムロドとバベルの塔に及ぼした不可解な影響についてである。また、ニムロドとバベルとヘルメスとの関係は何だったのか?

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次回:第27章 :ニムロド
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