アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/01/03(水) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/01/03(水)💖💓💛💖🌈

翻訳:水曜特番
Genesis 6 Conspiracy : How Secret Societies and The Descendants of Giants plan to enslave Humankind
 by  Gary Wayne  2014 imprint of Deep River Books
 『創世記6章陰謀 :人類奴隷化を企る秘密結社と巨人の子孫たち』
第三部 【アナクの子孫たち : その血脈と契約】
**********************************

 

第23章 :レファイムとアモリ人  264~277頁/1004頁  初稿2023/05/26(金)
============================

 

💓  第23章 :レファイム人とアモリ人

≪イスラエルの人々の間に、偵察して来た土地について悪い情報を流した。「我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。」≫(民数13:32-33 )


* イスラエルはエジプトの地を脱出してから契約の地へと渡河するまで荒れ野を40年間彷徨した。この期間はイスラエルが試練と従順を通して一つの民へと形成される時だった。その時は来るべき苦難に備えて民族性を練磨するために不可欠な時だった。

* 約束の地は神からの嗣業だったのに、簡単にそれが手に入らなかったのは何故か? 何故、約束の地を占有していた国々がこの新生の民に対して特攻攻撃のようにしてたえず立ちはだかったか? アマレク人やアモリ人などが周辺諸国を煽り、イスラエルに反対する熱狂へと駆り立て、イスラエルが契約の地を力づくで占領しなければならないようにさせたのは何故か?

* イスラエルは彼らと契約の地の間に立ちはだかる国々に恐怖と戦慄があることを直ぐに知った。ネフィリムがそれら異邦人諸族の間に住んでおり、ネフィリムの先祖が洪水前世界にやっていたと同じ酷い蛮行を行っていたのである。イスラエルは洪水前のネフィリムの子孫が巨人だと一般的に理解していたが、彼らはアナクとレファイムを洪水後の巨人と認識した。

* アナクの訳語が「巨人」あるいは「首長の巨人」で、レファイムの訳語が「病んだ魂、あるいは巨人の現地民」の意味であると記すことは問題を複雑にしつつも妥当である❶。両者とも聖書には何の説明もないヨルダン川の向こうに住んでいた種族である❷。彼らの住んでいた地域は多くの場所にレファイム渓谷のような名前が今も残っている地域である。考古学的発見は聖書の地に背が高く肌の白い巨人がいたとする主張を決定的に支持している❸。だが世俗科学はその主張を不可解にも無視している。

* ネフィリムはアマレク人、アモリ人、ネゲブの民、ヘト人、ペリジ人、アンモン人、モアブ人、エドム人、ペリシテ人、エブス人の政治を支配していた。私は、ネフィリムの子孫が、契約の地を占有していた諸族と共に住み、彼らを支配したのは単なる偶然ではないと思っている。私の論点はこうである。「ネフィリムは神への反逆のために滅ぼされた彼らの先祖のことで神に対する恨みを抱き、その報復のために、洪水後世界の契約の地に用意周到に入り込み、契約の地を蹂躙するために住み込んだ。ネフィリムは、形成途上のイスラエルに対抗して将来の定めの民を忍耐強く密かに待ち伏せるために自分たちの里を地理的に配慮して配置した。そしてイスラエルが存在するようになった暁に神との定めの共生を妨げるために待ち構え奇襲した」と。


* 神は原初の時に国々を神の子らの数にしたがって分けられた、との申命記32:8を想起すれば、そこからの結論として、神は約束の地をご自身とその特別な意図のために確保されたという推論が成り立つ。神はアブラハムの子孫である未來のイスラエル民族にその地を残された(創世記12:7、13:14-15,17:8-9,18:17-21,48:5-6、使徒7:5-6)。神はその地がご自身のものであるとはっきりと言われている(レビ25:23)。そうして、神はその地をイスラエルに嗣業として与えられた(ヨシュア24:11-13,申命記1:21、3:27、32:43、民数記27:12、34:1-29)。ネフィリムの子孫はこのことをはっきりと覚えていたことだろう。洪水後、ネフィリムで生き残った者たちは、彼らの先祖や開祖たちの全面支援の下に敢えて契約の地に移り住んだ。洪水後のネフィリムの民が神と将来の希望の民イスラエルとに逆らって選んだ場所、イスラエルの最も弱かった揺籃期にネフィリムが神の人類救済計画を阻もうとして選んだ場所こそ約束の地の中だった。


* ではまず洪水後世界の初めに戻って我々の作業を始め、その後再び出エジプトと約束の地の征服時代に進むことによってネフィリムの目標をさらに照らし出してゆこう。ネフィリムがその間に住んでいた多くの民族の中でも、イスラエルと決然と対峙することにおいてアマレク人とアモリ人は際立っていた。彼らは民数記の言うアナク人の子孫を含む民族だった。≪しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけました。ネゲブ地方にはアマレク人、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人、海岸地方およびヨルダン沿岸地方にはカナン人が住んでいます≫ (13:28-29)。これらの解釈が等閑視され誤解されれた場合には、アモリ人とアマレク人が純粋なネフィリムだったのか、また、もしネフィリムが彼らの間に住んでいたのなら、彼らの王を支配していたのかどうかがはっきりしない。

* アモリ人もアマレク人も神秘に覆い隠され、何の説明もなくアナクとレファイムと一緒に織り込まれている。二つの民族はアナクとレファイムと共にそれぞれ他の巨人族と明確に区別されて描かれている。アナクとレファイムは共に創世記10章と歴代誌上の民族表に載っている。アモリ人はハムの子のカナンの初子、シドンの息子たちとして載っている。契約の地を占拠していた民族は、ペリシテ人とアマレク人を例外としてほとんどがカナン人だった。アモリ人は、西方の人あるいは西方高地人のことだった❹。彼らは北方から移住してきた荒々しい遊牧民で、カナン人と混血し、セム語を話すようになったと歴史に記されている❺。

* 紀元前3千年紀のパレスチナとシリアの全てはアモリ人の地であり、アッカド人とシュメール人は彼らのことをMartuマルトゥとかAmeruアメルーとして知っていた❻。アモリ人は、アッカドとシュメールの年代記において野蛮で未開の民として記されている❼。アモリ人は、都市に住む農業従事者のメソポタミア人に対してその対極で、シュメールの彼方、山地の漂泊民として生き残った❽。メソポタミア人はアモリ人を、山岳住民を武装して襲う天幕居住者、遊牧の野蛮人で、生肉を食べる民として見ていた❾。カーヒルは、メソポタミア人はアモリ人のことをほとんど動物のようだと見ていたと推論している⑩。

* アマレク人は、アブラハム・イサク・エサウと繋がる、エサウの息子エリファズの息子らの下に挙げられている⑪。この謎のアマレク人はどんな考古学的痕跡も残しておらず、まるで存在していなかったかのようである。多くの学者は、アマレクと彼の部族が合流した不詳の原初アマレク人と一体化して大アマレク人種を形成したか、あるいは、アマレクが合流したと思われる不詳の民からその名を取って新しい名としたと考えている⑫。確かに言えることは、アマレク人は、その成り立ちも、世俗の歴史記録から不可解に消えた霧中の民だということである。

* アモリ人とアマレク人の年代記を除くだけで洪水後ネフィリムの始めはとてもシンプルになるだろう。しかしネフィリムの年代記の追跡はもっと複雑になるだろう。前述のように非常に多くの通名がネフィリムにあったことを考えれば、洪水後のネフィリムのパズルはアモリ人とアマレク人のケースよりもはるかに複雑なものになり、洪水後ネフィリムが民族表に挙げられている諸国の創始に際してアマレク人とアモリ人よりも大きな影響を与えたことが明らかになるであろう。最初にこれら二民族に焦点を当てたのは彼らが出エジプトの時に最も支配的なアナクだったからである。

* アマレク人とアモリ人について確かなことは彼らがアナクと共に、彼らの間に住んで、巨人族との混血を産んだことである。ノアの時代と全く同様に、巨人たちは王権と政権を強奪して、それらの民族を完全に支配したことは旧約聖書が証しているとおりである⑬。ナイトとロマスはアナクの子孫が身体的優位性によって洪水後の王となったと提示している⑭。

* ガードナーの記すところでは、洪水後、王権は元々Kishキシュで成立したが、それらの人間の王権が挫折か滅亡して、洪水前時代のようにネフィリムに戻った⑮。理由はどうであれ、シュメールの王名表は、洪水後、新しい支配層が見出され、王権が再び天から地に下ったことを明確に示している⑯。アモリ人とアマレク人の王たちもアナクあるいはレファイムとして描かれており、洪水前に起こったのと同様に、堕天使によって天から塗油されたアヌンナキ王である。古代シュメール語の王を表わす語の直訳が「大男」⑰、つまり「巨人」であることはとてもおもしろいことに偶然とは思われない。

* 申命記、民数記、ヨシュア記は、レファイムやアナクとして知られた洪水後のネフィリムはイスラエルよりも背が高く強かったと記している⑱。これらの章句はネフィリムがアマレク人とアモリ人の間に住んで、その民を支配していたことを確証している。そのことはたしかにそれらの民族が神の厳しい罰によって絶滅するとの預言を説明している⑲。アマレク人とアモリ人は共に神の宣告によってイスラエルの手で完全に絶滅された。神は彼らの堕落と暴力を、洪水の時のネフィリムの場合と同一視された。両民族ははダビデの時代に完全に滅ぼされるまで幾世代にもわたってイスラエルに追い詰められると宣告された。

* まず最初にアモリ人について調べてゆこう。それから不可解なアマレク人に戻ってゆく。アモリ人の物語はそのまま正直に複雑に絡まるアマレク人の年代記と比せられる。旧約聖書はアモリ人が完全にアナクの王たちに隷属させられていたことを記している⑳。ヨシュアと契約の地征服の時代のアモリ人の二人の傑出したアナク王はシホンとオグだった㉑。詩篇はシホンとオグだけではなく、カナンの全ての王が強力なアナク王だったと記している㉒。

* アナク王たちがその時代のアモリ人を支配していたのであれば、単純に推測して、アナク王の支配はシホンとオグより前の幾世代にも亘っていたであろう。ネルソン聖書事典はオグは巨人族の最後の生き残りだったと語っており㉓、オグが最初に確認できる残存巨人だったことがわかる。アナク人の支配の長さの記録はないが、我々は後に、彼らの恐怖支配は洪水時代の直後から始まり、カナンで約1500年間、ペリシテで2000年間のネフィリムの恐怖支配が続いたことが見出すだろう。洪水後のネフィリムは洪水後の重要な歴史的出来事に大きな刻印を残したのだが、それらはみな、近代の神学者や世俗の歴史家によって都合よく脇に追いやられ、無視されてしまった。

* 約束の地の征服の初めにモーセは自分たちの軍と民がアナク人シホンの領地を安全に通過できるよう許可を求めた。シホンは誰も彼に対抗できないような大きさだった。さらに、ちょうど洪水前のギリシャのタイタン、ヘラクレス、テセウスのように、その大きな体でものすごく敏速だった㉔。ギンズバーグはシホンの元の名はAradアラドだったと記している。それはシホンの驚くべき技能と敏腕を表す名だったが、それでも、アラドの名がシホンがヘブロンから逃げたことを隠すための名ではないのだろうかとの疑いが起こる。アラドはヘブロンの郊外に位置する㉕。それともアラドには隠された洪水前の意味があるのだろうか?シホンはオグの兄弟であり洪水の生き残りでもあったのだから。そうであれば、シホンは受け継いだ生来の傲慢と、善と神に反逆する先祖伝来の暗黙の契約を将来の全世代のために示すためにモーセとイスラエルの民に安全通過を拒否したのであろう。アモリ人はイスラエルが誰であるかをアマレク人から聞いてよく知って、自らを反イスラエルの血の契約に縛った。

* シホンの傲慢さ故に、モーセはアモリ人との戦いを死ぬほど恐れたが、神はその戦いの間、オグとシホンの守護堕天使を縛り、モーセを励ました。シホンの野蛮な非友好的行為はアモリ人とイスラエルの間の戦闘を避けられなくさせたが、モーセとイスラエルはシホンと彼の兵を簡単に滅ぼした。そうして次にシホンの兄弟であり同盟であるオグを撃破した。オグは兄弟シホンがイスラエルの手で壊滅的敗北を喫した知らせを聞くまでは兄弟の救援に駆けつけなかった。シホンとその軍は未経験のイスラエルを簡単に圧倒することだろうと思っていたからである㉗。

* ヨセフスによると、オグはギレアデとゴランの王であり㉘、バシャンのギレアデの王は聖書ではレファイム人の地として記されている㉙。オグは巨人で、その強大な力で知られ、容姿が美しいことで伝説的だった。オグは当代きっての比類なき王であった㉚。ヨセフスはオグには顕著な力と美しさと共に法外な技能力が兼ね備わっていたと明言している。ヨセフスはそれ以上のことは言っていないが、オグが神のような大きさ、美しさ、力、技術を持ったスーパーキングだったと結論付けることができよう。オグは寿命が途方もなく長い正真正銘真の半神だった。洪水が起こったのが紀元前2950年から3050年の間、そして出エジプトが起こったのが紀元前1450年頃である。オグが洪水の生き残りの最後の(レファイムのような)巨人族だったのである㉛。

* ユダヤの伝説によれば、オグは肩幅が並外れて広く背が高かった㉜。ヨセフスも申命記もオグのベッドが長さ13フィート(約4m)、幅8フィート(約2.5m)以上で㉝、木製ではなく鉄製だった。木製ではオグの体重を支えられなかったからである㉞。イスラエルはこのベッドのことを記念としてRabbah創世記ラッバーに残した㉟。Migene Gonzalez-Wipperはオグのことを、ネフィリム発祥の祖グリゴリの頭シェミャザ/アザゼル系の子孫として記している㊱。それはオグが洪水前のネフィリムの先祖の生き残りだったとの結論と一致している㊲。これらはみなバビロニア・タルムードによって確証されており㊳、そこでは予想外に、オグはシェミャザ/アザゼルの息子Hiyaヒヤの子孫とされている。他のユダヤ伝説ではオグとシホンはAniahアニアの子らであり、ここでもまた、シェミャザ/アザゼルにまで遡って結びつけられている。これらの伝説によれば、シホンとオグは洪水を生き延びた洪水前の巨人の最後の者と信じられていた㊴。

* Hebrew Myths :THE BOOK OF GENESIS の共著者 Robert GravesとRaphael Patai によれば、オグはノアの箱舟に付いていた梯子の綱にしがみついて洪水から救われた。ノアはその巨人がかわいそうだと思ったのか、舷窓からオグに毎日食べ物を与えた。この伝説やその他のユダヤの伝説によれば、オグはノアが箱舟の脇につかまっていた自分に食べ物を与えてくれたので、彼と彼の子孫はノアとノアの子孫に永遠に仕えると誓った㊵。伝説によればオグは悪しき道を悔い改めてノアの奴隷となった。しかし洪水後の或る時点で後退が起こり、オグは再び洪水前の道に戻った㊶。そのことはアブラハムがオグの隷属を解いた後に起こった㊷。

* オグが先祖からの遺産を引き継いでいたことが分かる棺の最後の一釘は、彼の支配地がバシャンの地域を含むことで確認できる。バシャンは堕天使がカインの娘らと交わるために降りてきた山、悪名高きヘルモン山を含む地域である㊸。オグは正真正銘の洪水前時代からの巨人支配者ギボリムでありネフィリムであった。

* ヨセフスはオグとシホンは親友と言っているが㊹、兄弟とは言っていない。オグはシホンがイスラエルに対して攻撃したのを聞いて、旧友シホンに加勢した。残念ながらオグが戦いの激戦地に着く前に、シホンは彼のアモリ人の軍と共にイスラエルに虐殺された。オグが戦場に着いたら、オグもシホンと同じ運命を受け、イスラエルの手によって乾皮なきまでに敗北したが㊺、不思議なことに、聖書によれば、ヨルダンの東、レファイムの最後の生き残りとなって生き延びたようである(申命記3:11)。その戦いののちオグは聖書に登場して二度となかった。

* アモリ人とイスラエルに関する聖書記事から分かることは、アナクが出エジプトの時には約束の地に深く入り込んでいたということである。申命記1:26-28と2:10-23はアモリ人の間にアナクとして住んでいた巨人族の名を挙げている。民数記13:28-29にも同じ名が挙げられている。しかしヨシュア12:4と申命記3:11ではバシャンの王オグはレファイムの最後の一人として挙げられており㊻、アンガー聖書事典の、オグはレファイム族の生き残りとして著名であったとの結論を裏付けている。

* これらの誤って理解された出エジプトの記事からでも分かることは、洪水後の初期の最も顕著な巨人族がアナクとレファイムだったことである。しかしながら、ネフィリムには他の多くの呼び名が当てられている。巨人族の二つの異なる種族が前面に出ているように見えるが、それは何故か? 何がそれを決定しているのかを見極めるのは困難である。今日の我々には分からないが、しかしイスラエルはその違いを区別していた。多分、一つの種族はオグとその近親の系統で、もう一つはトナピシュティムとその近親の系統だと思われる。あるいは、一つは不動のセト族、もう一つはヘルモン山系だったのかもしれない。


* Raphaラファが誰であるかは分からないが、ヨシュア14:15にArbaアルバの名が「ヘブロンはかつてキルヤト・アルバと呼ばれていたが、それはアナク人の中で最も偉大な人物アルバの名によるものであった。」として聖書に挙げられている。アルバは神話の伝説的アナク王である。彼はアナクとアナク人の父祖であり㊽、洪水後の最古のアナク人としてと認められており、また、アナクの実の父だった㊾。さらに、アナクは三人の息子をもうけたが、みな巨人だった㊿。聖書のキルヤト・アルバの地名はヘブロンとしてのほうがよく知られているが、その始祖として認められているアルバにちなんだ名である(51)。アナクは彼の名にちなんだ巨人族Anakimアナキムあるいはアナク人の始祖と見なされている。この限定的資料の他に聖書にアルバについての記述はないが、アルバの生き様からして彼の名は聖書では悪評高い呼び名だったにちがいない。

* アルバ、アナク、ラファは民族表にネフィリムとして載っていないので、我々はそれ以上この線を辿って遡ることはできず、袋小路に突き当たることになる。しかし慎重な熟考と旧約聖書の研究を通して、別の道を辿って、アナク人からラファへ、ラファからネフィリムへと辿ることができる。この精神で以下の章句を辿って呼び名を検証してゆこう。

≪2:9 主はわたしに言われた。「アルの町は既にロトの子孫に領地として与えた。――かつて、そこにはエミム人が住んでいた。強力で数も多く、アナク人のように背の高い民であった。彼らもアナク人と同様に、レファイム人であると見なされているが、モアブの人々は彼らをエミム人と呼んでいた。 ≫申命記2:9-11
 
≪2:20 ここも、レファイム人の土地と見なされている。レファイム人はかつてここに住んでいた。アンモン人は彼らをザムズミム人と呼んでいた。 2:21 彼らは強力で数も多く、アナク人のように背が高い民であったが、主が彼らを滅ぼされたので、アンモン人は彼らを追い払い、代わってそこに住んだ。 2:22 それは、セイルに住んでいるエサウの子孫のために主がなさったことと同様である。主は彼らの前からフリ人を滅ぼされたので、エサウの子孫は彼らを追い払い、代わってそこに住み、今日に至っている。≫ 民数記2:20-22

* アンガー聖書事典は「エミム人はヨルダン川東の地を占有していた巨人の原住民だったが、モアブ人によって追い出された。」と記している(52)。エミム人の名は彼らの罪業と大きさに恐れをなしたことから由来している(53)。ザムズミム人はアトランティスやタイタンによってよく知られた雷のような怒声を発する者か、あるいは、呟く者、囁く者から来ているようである。アンモン人が彼らを滅ぼした(54)。zamzumminの語はまた、戦場で発揮される彼ら巨人の能力のこととを指している。他の記事では戦争マスターとして描かれている(55)。アビム人はガザのペリシテ人の間に住む不正な巨人として描かれており、ヘト人のことである(56)。アウジムはハムの中に住み、「輝ける民」と訳されている(57)。同様に、Iuvimはエジプト人に付けられた名で、容易に魂の資格を判断する能力を有する蛇のような資質を表わしている(58)。

* レファイムは、もっと古い民族に由来する巨人原住民として理解されていた(59)。もうひとつのレファイムの訳語は、その様相で人の心を恐怖に陥れ萎えさせる巨人のことを現わしている(60)。ネフィリムが蛇のような頭をし、多毛の粗肌、ハニーゴールドの目、その周りが輝く姿をしていたことを思い出していただきたい。ネフィリムは伝説や神話では「輝く者」として知られるようになった。Webster's New Compact Format Dictionaryはaboriginalを“original nation”、その地に最初から住んでいた「原住民」と定義している(61)。以上のことはレファイムが正真正銘、洪水後の契約の地の原住民だったことを暗示している。おそらくはそれ以前からの。

* 民数記と申命記の二つの句節はアナク人、ザムズミム人、ホリ人、エミム人、アビム人と、当時の巨人をみなラファと結びつけている(62)。もっと正確に言えば、彼らをすべてレファイムとして名付けている。この結びつけはアモリ人とアマレク人にも当てはまる。申命記と民数記ははっきりと、アナクを含むこれらすべての巨人はレファイムだったことを強調している(申命記2:10-11、民数記2:20-22)。というわけで、レファイムは洪水後ネフィリムの原種族あるいはその一つだったにちがいない。しかし再度言うが、ラファは民族表からは辿れない。ラファはどちらの章句にも挙がっていない。そこでラファが言及されている最古の資料を探索しなければならない。

*******************************
* 次回:第24章:ソドムとゴモラ
*******************************