なにものか | 占い師  帰ってきたタクロウ  たましる(魂を知る)数秘術をお届けします。

占い師  帰ってきたタクロウ  たましる(魂を知る)数秘術をお届けします。

2024年は『破壊と成功』の年と読み解きます。2024の数字根は「8」大きなパワーを表します。自分自身のパワーをどう使っていくかが肝心なのです。成功に向かう運命の波を探すお手伝いをいたします。

ただいま!

帰ってきたタクローです。

 

あ、言いたい事はわかりますよ。

 

いったいどこから、帰ってきたの?

でしょ。

 

 

まあ、それは置いといて。

 

 

小さい時からの自己紹介

 

1967年4月6日に生まれました。

生まれた日と書いて星という字になるのです。

0歳時に腸重積という大きな病気で死にかけました。

ギリギリセーフ、あと一歩でお星さま。

 

 

小学生の頃は、クラスの友達と遊ぶのが使命だと思っていたようで。

必ず、誰かに「今日遊べる?」って聞いて遊びに行っていました。

 

もちろん、仲の良い友達を中心に遊んでいましたが、基本的に誰とでも男女問わず

 

クラスのほとんどの子達と遊んでいました。
 

 

中学生の時には、1年生で生徒会副会長に立候補し2年で生徒会長になりました。

 

この頃が人生で一番のモテ期でバレンタインチョコレートを30個以上貰いました。

 

高校生では、クラブ活動に没頭しこの時代は吹奏楽部にたくさんの時間を費やしました。

まあ、順調にたのしくすごしておりましたが、勉強は全くしてきませんでした。

 

だからここで、停滞期2年間の浪人時代をすごすことになりました。

 

 

ようやく大学に入りアルバイトに没頭しました。浪人の2年間と大学4年間の合計6年間

 

区のアルバイト職員として、区内の小中学校の夜間警備、校庭開放指導員、遠足付き添い

 

プールの指導員、移動教室臨時職員など学校の雑用などのアルバイトをしておりました。

 

 

そして、就職です。

 

この時、人生の分かれ道がありました。

 

小学校の用務員になるか・・・

TVゲームメーカーに就職するか・・・

 

その時ファミコンブームが盛り上がりスーパーファミコンが発売された時期だったこともあり

 

TVゲームメーカーに勤める事にしたのです。

 

ゲームソフトを売る販売部で毎日たのしくTVゲームを売っていたのです。

 

しかし、知っての通りゲーム業界は、大きく盛り上がったあとに急降下で衰退していったのです。

 

その後、軌道修正しようと用務員の道へ戻ろうとしましたが、正式採用の前に

用務員の新規採用がなくなってしまったのです。

 

途方にくれていましたが、都合よく大学時代の友人が

今、社員募集しているから来いと印刷業社に誘ってくれたのです。

 

そこで18年間働きました。

 

そして・・・・

大きな転機を迎えたのです。

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

次回予告

 

生まれてすぐ、お星様になりかけた以降

順調に過ごしてきたタクローは大きな転機を迎えたのであった。

 

次回 運命の波にのる の巻