裁判が起こされて、
判決が下った時に、加害者の責任の取り方として、
罰金か懲役しかないのってつまんないなぁとふと思いました。
このシステムを否定してるわけじゃなくて、
罰金の判決が下されたのに財政的に支払えない人もいるし、
その代わりに懲役すればいいと言っても、それは本来の責任の取り方とはちょっと違うんじゃないかなと思う所があるからなんですね。この2つの刑罰だけでは、自分が起こした行為に対して、本当の意味では責任を取ったことにならないですしね。
極悪人は別として、
もっと柔軟な刑罰があってもいいんじゃないかな~と思いますね。
例えば、人んちに泥棒に入って金銭的に被害を与えた場合、与えた被害額を倍にして返済するとか、被害に対する直接的な責任を果たすことはまず必要。
でもそれに加えて、加害者に対する精神的な人間性の部分での刑罰も必要です。
それは懲役とか禁固とか、そういう責任の取り方ではなくて、追加の刑罰(加害者自身が反省することを目的)として、泥棒をした場合は、警備の仕事を無償で半年させるとか、コンビニでお菓子を盗んだら、そのお菓子を作ってる工場で1か月間無償で働く義務を負うとか。
逆の立場を経験させることで本人がしたことに対して自らが反省し、直接責任を取るようにする機会があれば、柔軟に人間的に諭すというか、違った角度からの対応もできるんじゃないかと。
本当の反省とは、加害者自身が自分の間違いに気づいて変わることなんですよね。
もちろん与えた損害に対する直接的な責任の取り方は必要だけど、それプラス、人間的な責任の取り方として、人に害を与えたなら、それ以上、人に善意を与えられる人間になることで、社会に良い貢献をしていく。それが一つの償いの形として加害者が目指していく所なんじゃないかと。
他人の敷地の木を勝手に切ってしまったら、その分新たに植えることで責任を果たすように、
本当の意味で自分の行為に自分が責任を負うことで、加害者自身が変わっていくことが求められてる。それが必要な責任の取り方の一つだと思います。
禁固とか懲役とか拘留とか、そういう罰も必要だけど、
本当に反省するかという点においては、あまり期待はできません。
拘留、懲役なんて、ただその時間を我慢して過ごしさえすれば、本人が反省せずとも期間終了後は誰でも出てこれます。そして、再び犯罪を犯します。反省する人もいるだろうけど、期待はできない。
もちろん当事者間の話し合いの中では、今でもこのような責任の取り方が話し合われてるケースもあると思いますけど、
罰則の1つとしてシステムに組み込まれているわけではないと思うので、新たな柔軟性を持たせるために、こういった選択肢があってもいいんじゃないかな~なんて思いました。一つの考え方として。
あくまで軽微の件限定で、なおかつ被害者が満足できる形でってことで。