今回は、オーラアートを始めたきっかけについてお話ししてみたいと思います。
※オーラアートについてはこちらの記事をご覧ください
僕がオーラアートを初めて描いたのは、5・6年前のこと…
幼馴染に「絵を描いてほしい」と頼まれたのがきっかけでした
けれども僕は絵が昔からすごく苦手で 苦笑
以前ブログにも書いたことがあるのですが、中学生の頃美術の課題で賞を取った時に、
担任の先生から「どうせ真似だろう」と言われたことにひどく傷ついた経験や
ドラえもんを描けば「魔除けのお面?」と言われ、犬を描けば「耳のついたミミズ?」と言われる始末なんですよね。(今でも 笑)
そういったことから、「絵を描く」ってこと自体にすごく抵抗を感じていたのですが、その時なんとなく、
「絵に対する今までの感覚をリセットする機会なんじゃないか」と、ふと感じたんです。
それで、「絵を描く」んじゃなくて「色を塗る」ことにしてみたんです。
当時は絵の具の種類も知らなくて、アクリルと油絵具の違いすら知りませんでした。
でも、そうして概念を外してみたら、自然と描けたんですよね。
不思議なものですよね
描いている時のことを思い出すと…
「この人ってどんな色だろう?」ということだけを“感じて”、他には何も考えずに塗る色を選んでいきました。
そうしたら不思議なことに、その人は青が好きだったのですが、青を選ぼうとすると指先に電気が走るみたいな感覚になって拒絶されたんです。
では、と赤を選ぼうとすると自然に手に取れたっていう流れで。
選んだ色に正しいとか間違いってことも一切なく、色選びに関しては僕の意思や意図は全く反映されていない状態で
「目の前に絵画が現れていった」という感覚でした。
完成したアートから生まれたもの…
そうして出来上がったアートを見て、幼馴染がすごく感動してくれたんです。
まず、自分のために一生懸命に描いてくれることに、
そしてその感動っていうのが、僕の描いたものの「色形の精巧さや技法的なもの」に感動したんじゃなくて、
描かれていく自分のエネルギーのような形のない「色」を目の当たりにして、ただそれを受け取るということに対して
「自分がその絵に投影されている」ような感覚を覚えてくださったのだと、話していて伝わってきたのです。
なぜなら僕の絵には「こう見せてあげたい」「こう描いてあげたい」「この方がかっこいいんじゃないか」のような、意図的・恣意的な表現はなかったからなのだと思います。
そして、自分と向き合う時間のように感じて、そこに感動してくれたのだとわかりました。
『巧詐は拙誠に如かず』という、韓非子(かんぴし)の言葉があります。
※こうさはせっせいにしかず
「うまくそのように作り上げられた物事」は「拙くとも誠のあるものには遥かに及ばない」ということに通じるのだと思います。
僕は絵が苦手と冒頭にもお伝えしたのですが、
その「拙さ」というものは自分の概念で、その拙さの中に「誠」が映し出されるものなのかもしれない、と今は感じています。
なんて 笑
そんなふうに始まった「オーラアート」は、自他ともに幸福感に包まれるような…僕にとって作品を制作するときのあり方を大きく変える体験となりました。
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