この時期は社労士試験や司法書士試験筆記の合格発表があり、
毎年他の方のブログが上がってくるので何となく見てそんな季節だなぁって思ったりします。
・令和5年度社労士試験は今年も救済がなく、
択一が45/70点 64%、選択式が26/40点 65%で合格率が6.4%だそうです。
・私が合格した平成20年度は、
48/70点 69%、選択式が25/40点 63%で合格率が7.5%でした。
選択式の救済が3科目もあった年ですね。
前年の合格率が10.5%もあったので、基準点が上がって絞られるのは予想してたので、力を入れて勉強した記憶があります。
どなたかがまとめたこのような推移は見ていて興味深いものです。
公式に今年の試験問題と回答が上がっていますが、今見たら全然分からないですね…
今や労働関係は完全にやってないですし、年金も障害のみでしかも精神だけですから、
受験勉強で得た知識の数%程度を常用で使っている感じです。
では忘れてしまって、またアップデートしてなくて古いままでダメなのか?と言われたら
そうでもないんですよ。
試験は頭の中に知識を入れて取り出す必要がありますが、合格して開業して実務をやり出してからは、
後から本やネット、役所に聞いて調べるで間に合うからです。
書籍にあたるときも、どの章のどの辺に書いてあったかのアウトラインは頭に残っているので、
調べれば思い出したり、法改正でアプデされていたら、都度上書きすれば足りるのです。
だから使わない知識は奥底に落ちていきます…
という意味では一旦合格すれば、一生有効というのもありだと思っています。
司法書士試験もいつもウォッチングしてますが、
こちらは挫折した試験なんです。
何度も書いてますが、最近の読者様は分からないと思うので、私の受験歴下記ざっと書いてみます。
・平成12年度 行政書士試験(10/22試験日)
この年の6月くらいに受験を決意して7月から市販の問題集とベネッセ?の通信教材のようなもので勉強開始。
勉強期間3か月半くらいで1~2点差くらいで合格。確か1問落としてたら不合格。
発表が平成13年1月くらい。
・平成13年度 宅建試験(10/21試験日)
行政書士に3か月で合格できたので、宅建も3か月と決めて7月から始めた記憶があります。
市販の教材を3回転したのみ。
↓テキストは、『らくらく宅建塾』
権利関係、宅建業法、法令その他に3分冊に切り取って読んでました。
↓過去問集はLECのウォーク問
分冊になってて使いやすいです。
LECとTACの公開模試を一回ずつ受けた記憶があります。
過去問と何か雰囲気違うなぁ…っていう印象で、時間配分と大勢の所で時間内に問題解くために会場まで行きました。
判定は合格ラインに届かず頑張りましょうと書かれてた記憶があります。
本番が大事なので、これはあまり気にしてないです…
それより行政書士一発合格して周りから宅建は楽勝でしょうと言われてたプレッシャーの方がきつかった記憶があって、
開始して10分くらいはドキドキして問題文が頭に入ってこなかった記憶があります。
こちらも2点差くらいで合格。
私の場合、資格試験はタダの試験であって学問ではないという考えなので、
試験範囲と配点と使える時間を考えて最低点+2~3点の狙いでいつも組んでいました。
行政書士試験では3か月で全部回すのが独学では無理でしたから、地方自治法なんかは1~2点の配点で、
相当分量が多かったのでテキスト破って捨てました。
回答はその年は確か分からない問題は全て「3」に丸を付けるってルールにしてたはずで、
取れればラッキーかなくらいでした。
宅建でも不動産登記法とか分量と配点が見合わないものは一切手を付けず、
宅建業法のように簡単で高配点のものにガッツリ時間を割いて満点近く狙ってた感じです。
本番でも業法は確か満点近かったと思います。
平成12年、13年と連続で3か月で合格した勢いで平成14年から司法書士試験に取り組み始めました。
当時は今と違って情報も少なく、行政書士と司法書士の区別もつかない人でしたが、何となく難しい試験の方が
地位が高かったり、偉かったり?収入が多かったりのイメージで何となく高難度のものに惹かれていった感じです。
当時の予備校のパンフレットにも司法書士は豊かな高収入、平均年収1400万円って書いてありましたからね…
自営業からすると平均年収とは何ぞや?って話になりますが…
売上なのか利益ベースなのかは書いてないし、何となくフリーターの20代の私からしたら夢みたいな話ではありました…
行政書士の平均年収が3~400万って情報も当時からあって、
やり方によっては1000万以上も、みたい文字が躍ってて、
頭の中が「?」になってました。
今でも求人誌で、仕事次第では月収40万以上も可!みたいな文字がありますらね…
「やり方次第」とは?という突っ込みをしたくなりますが、当時は若造でした。
さて、法律の試験にのめり込み、司法書士試験に立ち向かったわけですが、
ここは別世界でした。
早稲田セミナーの竹下先生の講義を通信カセット講座で受講して、
一回転するのに14ヶ月講座でした。
分量が行政書士試験の何倍だろう…って感じです。
数倍では利かないレベルでした。しかも捨て科目を作れず満遍なく高得点を取らなければならず、
平成15,16,17年と結論3回落ちて脱落…という感じでした。
書籍はデュープロセスシリーズ、直前チェック、書式ブリッジなど大量の書籍を買って、
毎年法改正で買い替え、六法も真っ黒になるまで使って、
それで一回も択一の基準点越えすることなく敗退。
当時は挫折と絶望に明け暮れたものでした、本当に存在価値ないのでは?と思うほど、
追い込まれた感じです。
↓下記『合格ロード』で竹下先生が、思いつめるなって書いてくれてたんですけど、
土壇場受験生は追い込まれるものです。
願っても叶わないことってあるんだなぁという経験をして、
諦めなければならないこともあるんだなぁっていう思いをして、
手持ちの行政書士でやるしかないんだぁなっていう妥協をして、
平成17年11月に行政書士で開業した感じです。
妥協の産物の資格という認識でした、ただ会社勤めできないタイプだと分かっていたので、
何とか頑張っていこうと思ってネット営業の勉強とかにつながっていくのです。
当時流行っていた新会社法がらみで、会社設立という業務を軌道に載せたかったですが、
先駆者がいて勝てませんでした。
そこで挫折、開業はしつつも、派遣生活になりました。
そんな派遣生活しながら、行政書士に+αを、と思って始めたのが社労士試験だったのです。
一度平成19年に受験して不合格になり、翌年冒頭のように合格した流れです。
当初は行政書士で創業支援を行い、社労士部門で顧問や助成金、給与計算で長期契約化、単価アップをと
考えてました。
それもなかなかうまく行かず、細々と顧問を取って行きましたが、
いかんせん、入退社の手続きや離職票を書いてみても、
「楽しくなく」
こんなことをやるために社労士になったのか?と呆然としてしまいました。
2~3枚書いて飽きてしまったのです。
もちろん労働関係は大切な仕事です。
私には合わなかったということです。
でもこの合わないという感情にフタをしなかったので、
同期の知人から障害年金のお誘いを受けて、試してみようというムーブになったのは確か。
今まで無駄だと思ってたことや、叶わなかったことが全て、
点と点が線につながり、無駄にしなかった結晶だと思っています。
社労士は1年目はTACの通信講座、岡根先生、
2年目はIDE社労士塾通信(今はない)です。
長々と振り返ってみましたが、
先が見えない中、若造の頭なりにその時々考え抜いて行動して取り組み続けた結果が今に至っていることは間違いないです。
平成12年は通信の大学に行っている20代フリーターで時給800円とかの世界で生きてました。
そこから20年以上経過して40代も後半になり、色々と経験して、体力、気力、意欲も色んな意味で
変化してきています。
どうしても当時なりたかった司法書士ではなく何となく始めた社労士が天職になっているって、
本当に分からないものだなぁって思うんですよね。
色んな段階の方がいらっしゃると思いますが、
どうしてもこうしたいと思うことがあれば、あきらめずにその時なりの努力をされると、
拓ける可能性は高くなると思います。
参考になれば幸いです。
今日もたくさんのお問合せいただきました。