昔から運動するのが大好きでした。
いつも日が暮れるまで外で遊んで、、
気付けばボールを蹴っていて、、
母に懇願して地元の少年団に入り、、
毎日、毎日サッカー。サッカー。
そんなこんなで22年間続けたサッカー。
楽しいことも苦しいことも、、
人生の全てのことはサッカーが教えてくれたし、、
自分自身を育ててくれたと思ってます。
そのなかで出来た経験。
巡り逢えた人達。
自分にとっては全てが大きな財産です。
ここまで続けて来れたのも自分一人の力ではありません。
何一つ文句を言わず好きなことをやらせてくれた父親。
毎週、毎週、送り迎えや試合の応援、お弁当、、
一番近くで一番長い間一緒にいてくれた母親。
そんな弟のために色々我慢してくれていた姉。
あまり話さないし、会えない家族ですが、
本当に感謝しています。
後は、指導者の方々やチームメイト、ファンサポーター、
一人一人挙げるとキリがないし、
書ききれないのでこの場を借りて感謝の言葉を伝えたいと思います。
ありがとうございました!!
22年間順風満帆なサッカー人生ではありませんでした。
むしろ辛いことや苦しいことの方が多かったかもしれません。
何度も心が折れそうになったり、
やめようと思ったこともありました。
それでも今まで続けて来れたし、
夢であったプロサッカー選手にもなれました。
プロとしての一歩を踏み出す機会を与えてくれたFC岐阜。
プロ初アシスト、初ゴール、
初めての経験をたくさんさせてもらいました。
今思うとあのメンバーで天皇杯ベスト8は本当に凄いことだったと懐かしく思います。
初めての移籍を経験し自分を必要としてくれた大分トリニータ。
色んな不安もすぐに吹き飛びました。
チームメイト、ファン、サポーター、県民のみなさん温かく受け入れてくれて本当に嬉しかった。
本当は人見知りでシャイな自分が、
ラインダンスにより一皮も二皮も剥けたと思います。笑
J1昇格プレーオフ。
そしてJ1昇格。
夢の様な時を過ごせて幸せでした。
その後、トライアウトを経て、
またサッカーをするチャンスを与えてくれた栃木SC。
何とかその気持ちをプレーで返したい。
貢献したいと思っていましたが、
プレー機会も少なく、
何もチームの力になることが出来ませんでした。
それでも応援してる。頑張って!といつも声をかけてもらえたことが、
嬉しくもあり苦しくもありました。
そして、引退を覚悟してプレーする機会を求めていた時に誘ってくれたSC相模原。
サッカーの楽しさ、喜び、悔しさ、
忘れかけてた気持ちをまた取り戻させてくれたことは忘れません!!
夏のデイゲームも忘れることはないだろうな。笑
岐阜、大分、栃木、相模原の4チームで、
J1.J2.J3と全てのカテゴリーでプレー出来たのは自分の誇りでもあります!
しかし、、
選手としては試合に出ること!
結果を出すこと!
向上心を持ち続けること!
その上でサッカーを楽しむこと!
これが求められるのがプロの世界です。
年齢も重ね、、
サッカー人生にもいつか終わりを告げなければならない日が来ることを年々感じていた中、
思うような結果が出せない日々が続き、
自分自身あれだけ大好きだったサッカーが、
嫌いになってしまいそうでした。
そこでもう引退しようと、
入れ替え戦の後に自分の中では決まっていました。
そんな中でオファーを受けてビックリしたし、
嬉しい気持ちも、
まだまだ出来るという気持ちもありました。
色んな人にも相談したし、
自分でもこれでもかって程考えましたが、
やはり最初に思った気持ちを上回るパワーは湧いてきませんでした。
そして、、
そのパワーがセカンドキャリア。
これからの人生の楽しみの方に向いていることにも気付きました。
サッカーしかやって来てないからサッカーしか出来ないとも思わないし、、
これだけ色んな思いも経験も努力もしてきたなら、
何やったって出来るんじゃないかという、
変な自信しかありません!笑
すごく不安な部分もあるけど、
人間ってそんなもの。
サッカー続けとけば良かったじゃん。。
って言われないように、、
みんなに負けないように、、
新たな道で頑張ります!!!
またここで報告できることがあれば、
不定期に更新しますね!
それでは本当にありがとうございました!!
そしてこれからもよろしくお願いします^ ^