「どうしたら好きになってもらえるか」
「どうしたら嫌われずに済むか」
「どうしたら愛されるか」
そんなことじゃ、ないんだ。
そんなこと、いくら考えて考えてこねくりまわしたって、
好かれる方法も嫌われない方法も、
なるほど確かに、ちょ
すぐにたくさんヒットするだろうよ。
でもそんなのはすべて、すべて、
一時しのぎの安心が得ら
こういうことに頭を悩ませてしまう人が、
本当にするべき
麻薬みたいな方法論を探すことじゃない
「自分は好かれる人間だ」
「自分を嫌いな人なんていない」
そう信じて、心に感じるままに行動できるかどうか。
このことの方が、何億倍も大切なんだ。
思い込むんじゃないよ。
無理矢理そういうことにする、わけじゃない。
ただ、ただ、そう信じて、行動できるか。
目を瞑った状態で、一歩を踏み出せるか。
「目の前が断崖絶壁じゃない」と、信じられるか。
信じて、踏み出すことができるか。
そして、
「自分は最初から、
生まれた時から愛されていた」
と、知ることができるか。
人は、必ず、愛されている。
そう思えないのは、
「愛する」に持たせる意味を間違って
言葉の定義を、設定し間違えているだけなんだ。
「優しくされなかったから愛されなかった」とか、
「誰にも理解されないから愛されていない」とか、
「恋人がいないから愛してくれる人がいない」とか。
もうね、そんなことじゃないのだ。
そんなことじゃないんだって、
いつになったら気付けるの
「愛されるために何かをする」ってこと自体が、
すでにお
どうしたらその心は納得してくれるのか
好かれたい、嫌われたくない、愛されたい、じゃないんだ
世界には、あなたを、僕を、好きな人しかいない。
そうじゃなく見える人がいるとしたら、それは、
「好きなんだけどそれをうまく
なんだ。
そして、すべてをひっくるめて、
世界は、いつだって愛し
ずっとずっと、今生きている人は、
生まれてからこの瞬間
1秒も欠かさず愛されて生きてきた。
それを、いつになったら信じられるんだ。
いつになったら、そう決めて、
その好意を、愛を、受け取
いつまで受け取り拒否を続けているつもりなんだ。
はよ、もっともっと、
観念しなさい。
愛されてるから、
諦めなさい。