虚空遍歴 | 田窪一世 独白ノート

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舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。

山本周五郎の「虚空遍歴」を45年振りに読み返していて、俳優として看過出来ない一説があったので一部割愛して掲載します。

 

宝永元年の二月に市村座で初代団十郎が殺された。殺したのは生島半六で上方で坂田藤十郎の芝居にいた。藤十郎は近松門左衛門の本によって、まったく新しい実事という演技を創案した。それまでの芝居が舞踊とか、史上の英雄豪傑伝などを主にしていたのに対し、心中物といって、ごく平凡な市民の人間的な苦悩や悲しみをとりあげたのだ。芝居はここで大きく進歩し、見世物ではなく人間生活とむすびついた。

 

しかし江戸芝居はそうではなかった。団十郎の創案した荒事という誇張された演技、人間生活と関係のない、観る者の眼をおどろかすための非現実的な芝居を守っていた。もちろん団十郎は非凡な役者だったし、客はたのしみに来るのだ、という主張もあった。だから実事芝居のように、市民生活の苦しさや悲しさを演じてみせるのは本分に反する。という意味のことを強く云っている。その主張にも一面の理がある。だが「客をたのしませる」にしても、単にその場かぎりのものと、客の心に残り客の生活に役立つ要素をもつものとがある筈だ。

 

生島半六が団十郎を刺した理由はそこにある、と私は思う。半六は藤十郎の一座にいた。そして、実事という新しい演技を身につけた。けれども江戸へ来てみると、団十郎の荒事がひじょうな人気を集めている。見世物に近かった芝居を、実事という演技で大きく変化し前進させた藤十郎の成果は、荒事芝居によってまた逆戻りをしようとしている。これが狂言作者などなら、書いた本が百年のちに改めてその価値を認められる、という望みもあるが、役者はその日の舞台がいのちであり、舞台のほかで自分の演技が評価されることはない。半六は現実にその壁にぶっつかった。団十郎が生きている限り、自分の芸は認められないだろうし、このままでは「荒事」のために、芝居が見世物にまで逆戻りをしてしまう。この二つの理由から刃傷の決意をしたのだと思う。と冲也は云った。

 

45年前に読んだ時にはあまり記憶に残らない一説だったと思いますが、今回は思わず何度も読み返してしまいました。山本周五郎の芸事に対する造詣の深さに敬服するばかりです。