日本人はあまり知らないが、
実はフィンランドは親日国である。
今から百年ほど昔の二十世紀初頭、
フィンランドはおよそ百年間帝政ロシアの支配下にあったのだ。
しかし日露戦争を目の当たりにして、
フィンランド人たちは驚いた。
大国ロシアを小さな島国の日本が倒したからだ。
そして自分たちもロシアから独立出来るのではと、
勇気を貰ったのだ。
日露戦争集結から十二年後フィンランドは念願の独立を果たす。
さらに独立直後、
フィンランドの歴史に名を刻む日本人が現れる。
新渡戸稲造である。
新渡戸は当時の日本人には珍しく国際感覚に溢れていた。
彼の著書「武士道」は日本人が、
外国人に向けて書いた最初の日本人論。
二十カ国以上で出版されベストセラーとなった。
新渡戸はその武士道精神で、
フィンランドが抱えていたある大きな問題を解決したのだ。
その問題とは、フィンランドとスウェーデンの間の海峡にある、
オーランド諸島で起こった。
大小六千もの島々からなるフィンランドのオーランド諸島に、
およそ三万人が暮らしている。
古くからオーランド諸島は、
バルト海の真ん中に位置する戦略地だった。
ヨーロッパ各国がその所有を巡り争って来た島なのだ。
1809年まではスウェーデン領。それ以降はロシア領。
そして1917年、フィンランドがロシアからの独立に伴い、
フィンランド領にしようとしたのだ。
ところがかつて保有していたスウェーデンが待ったをかけた。
フィンランドとスウェーデンによって領有権争いが起こり、
まさに一触即発の状態に。
そこで両国は1920年、当時の国際連盟に提訴した。
その調停の責任者こそ、
当時国際連盟の事務次長だった新渡戸稲造だったのだ。
新渡戸はそこでのちのちまで、
新渡戸裁定と呼ばれる画期的な解決方法を示す。
それは現在の島の生活を見れば分かるという。
現在、オーランド諸島で使われている言語はスウェーデン語。
当時、新渡戸が下した裁定書を読むと、
そこには「フィンランドに主権を与える」と書いてある。
「しかし言葉や文化風習はスウェーデン式にせよ」とある。
もともとこの島の住民は古くから、
スウェーデン語を使って生活していた。それを尊重したのだ。
さらに島にはオーランド自治政府の議事堂が。
新渡戸はスウェーデンとフィンランド両国から、
干渉されないようオーランド諸島に自治権を与え、
非武装中立地帯としたのだ。
争いを生んだ島は平和の島へと生まれ変わった。
両国を納得ささせ一滴の血も流さずに解決した、
新渡戸の功績は今も語り継がれている。
「武士道」の中で新渡戸はこう言っている。
「武士道の究極の理想は平和である」と。
エピソードとしては、当時、国際連盟の職員500人で、
人気投票をおこなったところ、
なんと全員が新渡戸に票を入れて、
一位になったほど人望があったという。
さらにアインシュタインやキュリー婦人を説得して、
世界遺産登録などで有名な、
ユネスコを作ったのは新渡戸稲造である。
▶︎増上寺