津田塾大学の創立者です。
父、津田仙は幕臣であったため、
幕府崩壊とともに職を失いましたが、
明治2年、築地のホテル館に勤めることになり、
一家は向島へ移り住みます。
その後、父が明治政府の事業である、
北海道開拓使の嘱託となり、
開拓使次官の黒田清隆が企画した、
女子留学生に梅子を応募させ、
明治4年に梅子は岩倉使節団に随行して、
渡米することになります。
5人の女子留学生のうち梅子は最年少の満6歳でした。
6歳の娘をアメリカに留学させる父と母。
明治の人の人間としての気骨には感嘆させられます。