刀鍛冶は単なる職人ではなく、
霊感を受けた芸術家であり、その仕事場は聖なる場所であった。
日本の刀剣が鬼気迫る魔力を帯びるのは、
この刀鍛冶たちの霊魂が吹き込まれたのか、
それとも彼が祈った神仏の霊気が宿ったからであるのか。
だがそれは常に手のとどくところにあったので、
乱用への誘惑、すなわち切りたいとの衝動にかられることも、
決して少なくなかった。
新しく手に入れた業物の試し切りとして、
罪もない人の首をはねることがあった。
しかし武士道は適切正当な刀の使い方を重要視すると同時に、
その誤った使用には厳しい非難を向け、それを嫌悪した。
必要もないのに刀を振り回す者は卑怯者とか、
臆病者といって蔑まれた。
冷静なる人物は当然、刀を使うべき時と所をわきまえていた。
そして、そのような機会は、
実際のところ、希にしかやってこなかった。
新渡戸稲造著「武士道」の中の一節です。
権力を手にするとそれを使ってみたいと思う政治家たち。
彼らはけっしてサムライなんかじゃない。