刀 | 田窪一世 独白ノート

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。


刀鍛冶は単なる職人ではなく、

霊感を受けた芸術家であり、その仕事場は聖なる場所であった。

日本の刀剣が鬼気迫る魔力を帯びるのは、

この刀鍛冶たちの霊魂が吹き込まれたのか、

それとも彼が祈った神仏の霊気が宿ったからであるのか。


だがそれは常に手のとどくところにあったので、

乱用への誘惑、すなわち切りたいとの衝動にかられることも、

決して少なくなかった。

新しく手に入れた業物の試し切りとして、

罪もない人の首をはねることがあった。


しかし武士道は適切正当な刀の使い方を重要視すると同時に、

その誤った使用には厳しい非難を向け、それを嫌悪した。

必要もないのに刀を振り回す者は卑怯者とか、

臆病者といって蔑まれた。

冷静なる人物は当然、刀を使うべき時と所をわきまえていた。

そして、そのような機会は、

実際のところ、希にしかやってこなかった。



新渡戸稲造著「武士道」の中の一節です。

権力を手にするとそれを使ってみたいと思う政治家たち。

彼らはけっしてサムライなんかじゃない。



▶︎近景